旦那様に夫(腐)人小説家だとバレてはいけない!
八十八夜
第1話 目が覚めたら
「君、これは一体なんだ?」
「そ、それは……」
目の前にある大量の紙たちには、びっしりと文字が書かれている。
それだけならまだいいが、問題は中身だ。
(旦那様は私に興味がないと思っていたのに……!)
旦那様の手にある数枚の紙は、すでに読んでしまったらしく、怪訝そうな顔をしている。
ここに来て約一年……いや、正確に言えば十一年。
旦那様はその間、私に全くの興味を示さなかった。
私が新聞が欲しいとか小説が欲しいとか言っても、たくさんの紙や筆記用具を買おうとしても何も言わなかったのに。だから旦那様は私に全く、興味がないと思っていたのに……。
(もう、終わりかしら)
大きなため息が出てくる。
バレてしまった以上、離婚と言われてもおかしくない。公爵夫人である私が、妻である私がこんなことをやっていたなんて知られたら離婚に決まっている。ここで離婚をされたら旦那様の家を出て、一人で暮らしていかなければならないだろうが、十分な資産はある。最悪な実家に戻らなくても、一人で生きていくことができるだろう。
「旦那様、私は小説家になりました」
それも、同性愛の物語を書く小説家に。
… … … … … … …
〜 一年前 〜
(私の人生って、意味があったのかしら……)
霞んでいく意識の中でそんなことを考えていた。
死んだ経験などないのにも関わらず、もうそろそろで自分の命が終わることがわかっていた。
ベッドに横たわっている彼女の姿はひと目見ただけで病人だとわかるほど細く、頬はこけていた。艶のあった髪の毛は抜けて、薄くなっている。
息は浅く、ヒュー、ヒューという呼吸音が聞こえ、呼吸さえ正しくできていない。
もう、長くはない。
「奥様!」
アメリアの手をそっと握り、眉を下げながら彼女の専属侍女であるリリーはずっと祈っていた。
祈ったところで、もう命は長く続かない。
「だんな……さま、は?」
力を振り絞って声を出したが、聞くに耐えないほどの掠れた声だった。
それでもリリーは聞き取ったが、気まずそうに眉を顰めながらゆっくりと首を横に振った。
「……そう。リリー、ありが、とう……あなたが、いた、から……」
「そんな! 奥様、もったいないお言葉を……!」
「たいしたこと、できなかった。ごめ……なさ、い……ありが、とう……」
「奥様! しっかりしてください、奥様!」
アメリアの意識はゆっくりと落ちていき、聞こえていたリリーの声も聞こえなくなっていった。
(ああ……もう終わりだ。なんにもできない人生だった)
最悪な家から出て旦那様の家に嫁いで、幸せになれなくてもほどほどに充実した人生が送れると思った。
でも、私はただの道具でしかなかった。
旦那様の妻という肩書きだけで後継ぎを産むためだけの、ただの道具。
結局、跡継ぎも作ることができなかった。そのせいなのか彼からの扱いはもっと冷たいものになり、存在している人間として扱ってもらえず、私はほとんど空気のような存在だった。
彼の役に立つこともできず、後継ぎができないことで社交界での扱いも酷いものだった。
結果、心労を募らせて病気にもやられた。
リリーがいなければ、本当の孤独だったに違いない。
悔しい。もっと足掻けばよかった。
旦那様が私に興味ないなら、好き勝手にやればよかった。
今更後悔したところで意味なんてないのに、後悔が押し寄せる。
戻れるなら、戻りたい。
やりたいことをやってから死にたかった。
どうか、次の人生はもっと良いものに……。
・
・
・
大きな声で名前を呼ばれ、アメリアは目が覚めた。
目を開ければそこにはいつもと同じ天井が見え、視界の中には侍女であるリリーの姿があった。
「奥様、大丈夫ですか? ずいぶんとうなされてましたが……」
「え?」
急いで起き上がった。
目の前にいるリリーは、急に起き上がった私の姿に驚きながらも心配そうに眉を下げ、不安の表情を浮かべている。
でも、それどころではない。不思議なことにリリーの姿が、出会った時と変わっていないのだ。
(なんで、私は生きているの……?)
間違いなく、自分は死んだはずだ。
病気とはいえ、比較的穏やかに死んだと思っていたが今さら走馬灯でも見ているのではないかと混乱してしまう。
「奥様? どうかなさいましたか?」
辺りを見渡しても、そこは間違いなく自室だった。
でも、少し違った。部屋はもっと暗くて病気特有の匂いもあった。今はそんな匂いもしないし、太陽の光が入っていて明るい。
そもそも、このように起き上がることも不可能なほどに体は衰弱していたのに。
(待って、起き上がることも?)
慌てて自分の体を見たが手首は痩せ細っておらず、肩にかかった髪は艶もあって長さも量もある。
痩せていない手首、姿が出会った時と変わらぬ侍女の姿。
何より、あれだけ息をするのも苦しく、体を起こすこともできなかったというのに今の自分は健康そのものだった。
「リリー、今日は何年の何日?」
心臓がドクドクと、大きく鳴った。
そんなわけない。絶対にあり得ない現象だと考えているのに、どうしても心臓がうるさくなる。
リリーは不思議そうにしながらも、今日の日付を答えた。だが、あまりにもあり得ない日付で心臓の音が体中に響くようだった。
(嘘、でしょう?)
聞いた年月は十年も前の年月だった。
思い出せば、公爵家に嫁いだ数ヵ月後くらいの日付だ。
(まさか、過去に戻ったというの……?)
そんな異常現象の話など聞いたこともない。
あまりにも信じられない状況に気絶しそうだったが、そうも言っていられない。
「奥様、そろそろ起きて準備をしないと朝食の時間が……」
「……わかったわ」
ベッドから降り、リリーの手を借りながら身支度をする。
いつものように体を拭き、着替え、化粧台の前に座る。
(まさか、本当に過去へ戻ったというの?)
鏡に映し出された姿というのは、十年前に見た時の姿と同じだった。
健康的な肌色、髪の毛は長く痛みもなく、痩せこけた頬もなくて肌艶も良い。
あまりにもあり得ない状況に頭が混乱し、頭痛もしてきた。
(でも、本当に戻れたのだとしたら、こんなチャンスは使わないと)
気が付けばさっきまであった不安はなくなっており、不思議と生きる気力も湧いてきている。
体が軽く、とても調子が良い。なんでもできるような気さえする。
これが死ぬ前に見ている最後の夢でもいい。自由にできるチャンスを神様がくださったのなら、このチャンスを使いたい。
「終わりました」
リリーの声でハッとした。どうやら身支度が終わったらしい。
アメリアはお礼を言いながら立ち上がり、食堂へと向かった。
(過去に戻ったとしても、気は重いままね)
少しため息を吐きながら、自分の旦那と食事をするために部屋を出た。
食堂に向かえば、そこには旦那様であるウィリアム様がすでに座っていた。私の到着の方が遅かったらしい。
「おはようございます。旦那様」
「……」
今日も返事はない。
いつもこうだった。声をかけてもこれといった反応はしない。
家に関わることについて質問をした時や、お金を使ってもいいかどうかを聞いた時くらいにしか反応をしてくれない。
私たちは政略結婚だ。
私、アメリア・ウォーカーの結婚前はブラウン伯爵家の一人娘だった。
ブラウン家は代々、商店の経営やお店での商売で生計を立てていた。だがある日、ブラウン家が商いとしている香油や衣服などを取り扱う店が急に増え始めた。他の店は輸入商品も扱っていることから、国内商品のみを扱っているブラウン家の店の経営は危うくなる一方であった。
結婚話が舞い込んできたのはそんな時だった。
事業の経営を得意とする公爵、ウィリアム・ウォーカーが婚約相手を探しているという噂が社交界で出回った。その噂を聞いた両親は「こんな偶然は二度とない!」と言い、私の許可なく婚約を申し込んだ。
事後報告に腹を立てたものの、ウィリアムの噂もあって結婚が怖いと思った。
ウィリアムは容姿端麗で、経営のことを任せれば横に出るものはいないと言われているほどの優秀さだが、女性には酷く冷たくて有名だった。
ある令嬢が言い寄れば無視を貫き、またある令嬢が声を掛ければ「二度と話しかけるな」の一言。暴力などはなくても、女性に対する態度が紳士とは言えないほど、ひどいことで有名だった。そんな公爵が伯爵令嬢の私と結婚をするわけがないと、もっと貴族らしい教育を受けて経営に関する知恵を持つ仕事仲間のような女性を選ぶと、そう思っていたのだ。
『公爵様が婚約を受け入れた』
『……え?』
『一週間後には公爵様のもとに行け。干渉してこないのが条件だそうだ、くれぐれも面倒を起こすなよ』
『そんな、急に言われても!』
『文句を言うな! お前をここまで育ててきてやっただろ、公爵様はお前を嫁がせたら支援もしてくれると言った。今までの恩を返せ!』
お父様は、ここで何を言っても聞き入れてくれる人ではない。
伯爵令嬢であるため少しの教育は受けたものの、他の貴族令嬢と比べれば私が受けた教育は裕福な平民と同じくらいだ。
両親は男児を望んでいたが、生まれてきたのは女である私だった。女性は伯爵家の跡継ぎにもなれないことから、生まれてきた時からずっと散々な扱いを受けてきた。
「女のくせに生意気だ」
「男ならどれだけよかったか」
「貴方なんて生まれてこない方が良かった」
「人生の失敗だわ……。お金だけがかかる娘だなんて」
などなど。
両親から言われてきた言葉は心に残っているが、すでに麻痺していて、もうどうでもよかった。
ひどい言葉を浴びながら生き続けるよりかは、公爵家に嫁いだ方が良い生活かもしれない。そうやって自分に思い込ませながら、承諾の返事をしたのだった。
『……承知しました』
『最初からそう言え!』
フン、とわざとらしく鼻を鳴らしながらお父様は仕事へと戻った。
両親は家を出発をする時も見送りに来ることはなく、少ない私物を持って馬車に乗り、ブラウン家を出たのだった。
馬車に数時間ほど揺られると、ウォーカー公爵家に到着した。実家よりも大きなお屋敷に圧倒され、果たして自分はここでうまくやっていけるのか不安になった。
『初めまして。ブラウン家のアメリアと申します。どうぞよろしくお願いします』
『……あぁ』
旦那様との初めての会話は、これで終了だった。
噂通りすぎて言葉が出なかったが、そういう条件のもとだから仕方ないと割り切った。
彼は全く私に興味がないと、言われてもいないのにそう思った。
そんな出会いだったことを思い出す。
この時代には珍しいことに、結婚式などは行わずに婚姻届の提出のみで私はウィリアム・ウォーカーの妻となった。
今は彼の妻になって数ヶ月が経った頃だろう。記憶が正しければ、あの日以外で彼と会話をしたのは家のことを聞いた時くらいだったと思われる。
「旦那様、お願いがあります」
「……どうした」
どうやら、話は聞いてくれるらしい。
旦那様は朝食を食べる手を止めたわけではないが、完全な無視はしなかった。
「私にも毎日、新聞を届けてもらいたいのですが可能でしょうか?」
それを聞いた瞬間、ウィリアムは一瞬だけ止まってアメリアの方を見た。
それもそのはずだった。この時代の女性たちは新聞なんて読まない。
新聞に書かれている内容のほとんどが経営や経済といった内容で、女性が関わる必要のない内容ばかり。むしろ、そういったことに興味を示す女性は異端だ。
だから、彼が許可を出してくれるかどうかはわからなかった。
「……好きにするといい」
「え、あ、ありがとうございます」
予想外な返答に戸惑ってしまったが、彼が許可を出してくれたことに感謝をした。
私のこれからの人生には、情報も学びも必要だ。何があるかわからないからこそ、備えをしておきたい。
そして、密かに叶えたいと思っていた夢のためにも頑張ろうと決心をした。
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