第25話 掘っ立て小屋

「あそこだ」


 重低音のエンジン音と、アスファルトがタイヤを削る音だけが支配するタクシー車内で、ソルスが突然言った。


 俺は驚きつつも、すかさず聞き返す。


「あそこ?何処だ?」


 ソルスが道路に面した海岸沿いに建つ、漁民が使うような掘っ立て小屋を指さした。


「あの小屋の中だ」


 俺はすかさず前を向き、運転手に向かって言った。


「「ここで止めてくれ」」


 ユニゾンだ。この野郎、俺と同時に同じこと言いやがった。


 横をちらりと覗くと、ソルスがにやりと口の端を上げている。


 ちっ!俺は思わず心内で舌打ちをした。



 ほどなくしてタクシーが止まると、料金支払いをソルスに任せて地面に降り立つ。


 日本海から寄せる風が、暗闇の中でびゅうびゅうと吹きすさんでいる。


 車の雑音が消えたためか、ざあざあと砂浜に打ち寄せる波の音がクリアに聞こえる。


 この地には街灯も何もなかった。そのためヘッドライトをともしたタクシーが去っていくなり、辺りは無限の暗闇となった。頼りとなるのは、ほんのりと雲間に覗く月明かりだけ。


 逃亡者が行きつく先としては、相応ふさわし過ぎる場所だな。


 俺は墨汁で満たしたような漆黒の海しか見えない荒涼とした景色を数秒間堪能すると、先ほどソルスが指さした小さな掘っ立て小屋に向かって道路を横断し始めた。


 道路を渡り終え、その先の砂浜へ向かうため、その障壁となるガードレールを跨いで乗り越えるなり、急斜面の三メートルほどの高さの石垣を飛び降りた。


 俺の靴と砂との摩擦で、キュッという心地よい音が奏でられた。


 砂浜を歩くなんて久しぶりだな。そもそも海を見たのはいつぶりだろうか。


 魔王との最終決戦に至る準備のため、島から船で大陸に渡った時以来か。


 ならばもう五年以上前のことになる。


 俺たちは大陸に渡って以降は、内陸部を少しずつ進んでいった。そしてあの長く苦しい戦いを終えると、大賢者リトラトスの空間転移魔法によって王都に帰還した。だから帰りは海を見ていない。


 五年ぶりの海だ。


 海から吹き寄せる湿った風が、むき出しの顔にまとわりついてくる。


 この感覚は正直あまり好きじゃない。肌がべたつくと、気分が萎えるくらいだ。


 そもそも俺は、そんなに海は好きではなかったんじゃなかったか。


 ならばなぜ、こんなに感傷的なのだろうか。


 やはり現世の久しぶりの海だからだろう。


 打ち寄せる波の音、肌にまとわりつく風。それらは現世も異世界も変わりはしない。


 やはり気分の問題だ。


 俺は帰ってきた。その実感が、感傷的にさせている。


 だが帰る家はなくなってしまった。生きるよすがもだ。


 それでも人は、生きて行かなければならない。そのためのすべを手に入れなければならない。


 視線の先にポツンと佇む掘っ立て小屋に、それはある。


 俺の今後の生きる術が、あの小さな古びた小屋の中にある。


 いや、いる。


 俺は軽く顔を横に向けるなり、隣を静かに歩くソルスに問いかけた。


「あの中にいるんだな?」


 ソルスは俺の方を向かず、真正面を向いたまま確信をもって答えた。


「いる」


 俺は軽くうなずき、さらに小屋へと近づいていった。

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