第22回 推鞫

 ぼくは頷くと手元の書類をざっと一読し、その記録と彼の話とに食い違いが無いことを簡単に確認した。そして、次に事件当日の詳しい行動について話を移す。


「事件当日……いや、この閏二月周りの行動について詳しく教えて貰おうか」


「へい。二月の初めのことでございますが、孟家の方で『お前の家には子供が多すぎるから、出ていけ』と馘を申し渡されました。二月二十五日になりまして京師に出て参りますと、内務府で働いております甥の六格のところへ二十日ほど厄介になりましたが、老母まで養わせる訳には参りませんので、どうにかツテを辿って黄五福という男を介して下町の長屋に住まいを借りることができました。


ところが、どれ程歩いても仕事は見つからず、目ぼしいものはみんな質に入れて僅かな費えに換えましたので、遂に如何ともし難くなり、この上は死ぬより他にないと思い切りました。そこで十八日に、祖母が会いたがっていると言って息子を家に呼び寄せ、なけなしの銭で食物を買って一緒に過ごしました。


そして、いよいよ死のうと思っていた時、俄かに『このまま死んだとて、誰も知ることはあるまい。ならば、せめておれがこんなにも苦しんだことは誰かに伝えてやろう』という悪心が群がり起こり、ちょうど主上が紫禁城へお戻りになるという話を聞いて、小刀を手に上の息子と共に東華門から紫禁城へ入り、西夾道を通る人混みに紛れて神武門へ着いたのです。


しかし、決して主上をお殺し申し上げたかった訳ではありません、小刀を手に走り出れば忽ち侍衛達が私を滅多切りにするだろう、それならば私は後腐れなく死ねるし、その死も皆に知られて痛快なことだ。そんな風に思って事に及んだのです。主上に恨みがあった訳でも、誰かに指図を受けた訳でもございません。皆ことごとく、私一人のうちから出た愚かな考えでございます……」


 長大な証言である。(実際のところはこれよりももう少し長い)しかし、陳徳はそれを最後まで言い終えることはできなかった。『ございます』という語尾が消える直前、甲高い男の悲鳴がそれを覆い隠し、新たに糺そうとしたぼくの質問が喉奥に押し戻される。


「馬鹿な、その様な理由で畏れ多くも大逆を企む者がいるか!本当の理由は何だ、一体誰が黒幕にいるのだ!」


「おやめ下さい、嘘はございませぬ、嘘はございませぬ」


「黙れ、これ以上は耳をつねるだけでは済まさんぞ。さあ、真実を言うのだ!」


「やめろ、無駄な力を使うでない」


 ぼくは椅子の上に拘束された陳徳の両耳を捻り上げて──寧耳というやり方である──自白を迫る獄吏を制すると、もう一度証言に間違いは無いかと確認する。


「本当に誰かの指図を受けたわけではないのだな」


「はい、本当でございます」


 そんなことがあるものか。ぼくの中で、もう一人のぼくが叫んだ。高々こんな貧乏人一人の理不尽な逆恨みの為に、数億の人民を背負って立つお方が害されようとしたなどと、断じて許せるものではない。


「(もっと激しい手が必要だろうか)」


 どうやら、相棒が傍にいなければぼくは何処までも酷薄になれるらしい。流石は西域で数万の敵兵の血を大地に飲ませた男の息子だ、この辺りについて斟酌する良心など生まれた時から既に無い。


焼鏝やきごてを用意しろ。本人の前で一つ、何か焼いて見せてやれ」


「畏まりました」


 管理官に命じると、彼はすぐさま獄吏に命じて真っ赤に焼けた焼鏝を一つ用意させ、いつでも罪人の痩せ細った体に消えない屈辱の印を刻むことができる様にする。獄吏の長がそれを振り翳しながら、


「さあ、慈悲深い親王殿下がお許しになるうちに、真実を言うのだ。さもなくば、お前の左胸がまるで祭日の豚の様にこんがりと焼き上げられることになるぞ。俺はやりたくないが、正義はお前の薄っぺらな皮一枚よりもずっと価値があるものだ。さあ、よく考えてみろ。改悛の情をしめさば恩赦の目もあるぞ」


「知りませぬ、本当に知らないのです!どうか、どうかお聞き届け下さいませ。お願い致します、お願い致します」


「ええい、まだ言うか!」


 続いて、じゅうじゅうと強い熱で焼かれて水分が蒸発し、収縮する時特有の音と匂いがぼくのところまで届いてくる。だが、悲鳴は聞こえてこない。それもその筈、彼が焼いたのは罪人の肌ではなく、あらかじめ用意させた一枚の革切れである。


 流石のぼくもいきなり人間の肌を焼かせるほどせっかちではない。まずは、目の前の犠牲がどんな末路を辿ったのかをじっくりと見せてやり、自分に降りかかるであろう痛みと苦しみを想像させるのが最も大切なのだ。


 ところが、


「殿下、申し訳ありません。どうやらこの男、気を失った様です」


「何!?」


 慌てて窓の外を覗き込むと、陳徳はぐったりと手足を投げ出して股の間に汚らしい染みを作り、あんぐりと口を開けたまま固まっていた。失禁してしまったのだ。


「いますぐ水をかけます、意識を取り戻させましょう」


 獄吏がそう言って指を切るほどに冷たい水の入った桶を推鞫部屋の前まで持ってきた時、遥か遠くで時を告げる重々しい鐘の音が響き渡った。しまった、長々と話に付き合ってやっていたせいで、時刻のことをすっかり忘れてしまっていた。


「今は何時だ」


「辰の正刻でございます」


 そうか、もうそんな時間か。ぼくは鷹揚に頷くと、獄吏たちを留めて、


「いいや、無理にやらないでいい。強引に水をぶっかけたりして、暴れられても面倒だからな。これからぼくは宮中の方に行くから、それまではお前たちにここを任せる。そして、」


 ぼくは牢獄の管理者の方を向いて、


「其方にはわたしの代わりに、一つ仕事を頼みたい。兵馬司の方に宛てた命令書を起草し、陳徳の話に出てきた関係者を探し出して、話を聞けるようにして欲しいのだ。命令書本体はわたしが直接持っていくから心配は要らない──そうだな、こちらにはまた夜の頃に戻ってくるから、その時に推鞫の結果を教えてくれ。あまり強引にはしてくれるなよ、死んでしまっては面倒だからな」


「はは、畏まりました」


 なんとも締まらない第一声の様に感じられてならないが、そもそも事件の始まり自体締まらないことここに極まれり、と言った風情であった。今更どうこう文句を言っても仕方がない。少し早めの夕餉を取るまで、まずはこれまでと言ったところ。

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葬令 〜変人親王の最後の事件〜 津田薪太郎 @str0717

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