第6話 アイリス

「入っても良いですカ?」


 ドアの向こうから声がする。

 カナリアのような透き通る高い声だった。女の人?


 一瞬、警戒心がほぐれたけど、すぐさま気を引き締める。この人が、私をこの部屋に連れてきた人かもしれないんだから。


「はい!」


 先ほどよりも大きな声が出た。どうせ断っても、相手は部屋に入ってくることだろう。だったら、いっそ覚悟を決めて正々堂々、迎えた方がいい。


 鍵が開く音がした。ガチャりとドアノブが回される。


 パチンと電気がつけられると、目の前にいたのは——ロボットだった。


 白くて、つるんとしている。携帯ショップの前で似たようなタイプのものを見たことがある。髪の毛がないのに、頭にはカチューシャ。それに、ラブリーなピンクのエプロンを着ていた。


 黒黒とした目が私を捉える。ゆっくりとベッドのふちまで寄ってきた。


「ワタシの名前は、アイリスでス。織川さん、よろしくお願いしまス」


「は、はぁ……」


「今から、夜ご飯をご用意しまス。こちらの部屋でお待ちくださイ」


「……」


 私が何も言わずにいると、アイリスは無言で部屋から出ていった。俊敏な動きだ。段差もスイスイ進んでいく。最近のロボットは進化しているんだなぁと感心する。ドアが閉まると同時に、無情にも鍵をかけられる音が響いた。


「あいつ、アイリス。ご飯を持ってきてくれる便利なやつ」


 ルカが寝癖をつけた頭で、そんなことを言った。まだ眠そうだった。


「昨日の夜はね、焼きそばを持ってきてくれたの。今日の朝は目玉焼き! そして、昼は寄せ鍋。庶民的な味だけど、とっても美味しかったわ。きっと今もまた、何か持ってきてくれるんじゃないの」


 へぇ。そうだったんだ。

 良い人(ロボットだけど) ……なのかな?


 そのとき、ぐぅと私のお腹が鳴った。そういえば、今まで何も食べていなかった。


 しばらくすると、またドアがノックされて、アイリスが現れた。


 おぼんの上には、餃子にご飯、味噌汁、サラダ、そして牛乳が、人数分載せられてあった。


「本日の夜ご飯でス。では、ワタシはこれで失礼しまス」


 テーブルの上に置いた後、アイリスは私たちを一瞥すると、そのまま部屋から出ていった。


「いただきまーす」


 ルカがベッドから降りて、ソファーに座り、手を合わせる。


「ちょ、ちょっと待ってよ!」


「何?」


「それ、毒が入っていたりしない?」


「どくぅ〜?」


 ルカが訝しげな目で私を見た。何言ってるのといいたげだ。


 だって、おかしい。

 ロボットが私たちのために美味しいご飯なんか持ってくる?

 怪しい罠なんじゃないかと思った。


「大丈夫でしょ! ありがたくいただきましょ。別に今まで、お腹壊したりとかなかったもん」


 ルカは、おぼんの上から自分の分の料理だけを取り、さっそく餃子に箸を伸ばしていた。中を割ると、ひき肉とニラが出てきて、ぶわっと湯気が上がる。備え付けの醤油タレにちょんちょんと餃子を付けて、そのまま口に入れた。


「んー。美味しい! デリシャス」


「……」


「"凪沙"が食べないなら、わたしが貰っちゃうけど」


 それは嫌だ。

 やすやすと目の前で横取りされるのを黙って見ていられるほど、寛容ではない。


 ルカは、白いご飯を勢いよくかき込んでいる。食いっぷりが良い。……美味しそう。

 観念した私は、彼女の向かいに腰を下ろした。


「……いただきます」


 静かに手を合わせ、まず味噌汁から手をつけた。箸で中をかき混ぜた後、口に含むと、ホッとする味がした。


 毒なんて含まれていなさそう。


 嘘。食欲に勝てずに、もうどうでもよくなっちゃった。


 そもそも人は何かを食べないと、死んじゃう生き物なのだ。受け身のまま、ひたすら待つよりも、積極的に動いた方が、まだ勝算はある気がした。


 餃子、ご飯、サラダを三角食べする。牛乳に手をつけようとしたところルカに笑われた。


「がっつきすぎ」


 こっちの台詞。だけど口を慎む。


「……想像よりも美味しかったから」


「ふふっ。毒なんて含まれてないでしょ?」


「うん」


「凪沙は、これからも私の後に食べたら良いわ」


 ルカはそう言った後、美味しそうにトマトを食べ始めた。もしかして、先に"毒味"をしてくれたのではないか。怖気づく私を見て、彼女は果敢な一歩を踏み出してくれたのではないか。


 ルカは昨日、焼きそばを食べたと言っていた。しかし、きっと怖かったに違いない。


 多分、一人ぼっちのこの部屋で、アイリスが持ってきてくれたものと向き合う葛藤の時間があったはずだ。


「ありがとう」


 私は小さな声でお礼を言った。


「んっ? 何?」


「な、なんでもない!」


「ふーん。ねぇ。このラインナップに牛乳っておかしくない?」


 ルカはビンをつんつんとつついて、上目遣いをしてみせた。


「確かに。ジャンルも中華なんだか、洋食なんだかわかんない」


 餃子がメイン料理だったら、副菜は春雨サラダが良さそうだ。まるで学校の給食のように謎めいたバリエーションだ。


「昨日たべた焼きそばなんかはね。他には、コーンスープと、食パンがついていた!」


「何それ。炭水化物かぶりだ」


「ねぇ。この献立考えた人、絶対おかしい。ランダムで出しているようにしか見えない」


 私はご飯をよく噛んでから飲み込んだ。


「——ルカは、いつからここにいるの?」


「多分、昨日の夕方くらいから。時計がないから何時かわかんない。陽が傾いていたから、大体それくらい……夕方だと思う」


「そっか。ねぇ。なんでそんなに落ち着いているの?」


 先にご飯を食べ終えたルカは、箸を置いて、きょとんとした顔をする。なんだかんだ文句を言いながらも、ずっとここに住んでいるかのような貫禄があった。

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