婚約破棄された私が、前世の記憶を思い出したら、辺境経営で国ごと救う価値ある最強悪役令嬢になっていた件 ~勝手に切り捨てた連中を土下座させ「婚約破棄の違約金は国の主権で払ってもらうわ」~

人とAI [AI本文利用(99%)]

第1話 公開断罪――地味な悪役令嬢、王太子に切り捨てられる

グラスを持つ指の角度、裾をさばく歩幅、会釈の深さ。


 全て、教本通りに。


「セリーナ様、本日の献立表の差し替え、王室料理長に届けました」

「ありがとう。アレルギーのある伯爵令息の席次も、さきほど移動をお願いしましたわね?」

「はい。殿下には“偶然気づかれた”という形でお伝えしてあります」


 完璧。


 私は微笑みを崩さないまま、侍女の報告に小さく頷いた。


 王城大広間は、光と楽の海だった。シャンデリアが宝石の雨を撒き、磨き上げられた大理石の床には貴族たちの影が揺れる。香油とワインと香辛料の匂いが混じり合い、誰もが己の衣装と家紋と噂話に酔っている。


 本日は私、セリーナ・アーデルハイト・フォン・クロイツェルの社交界デビュー。そして同時に「王太子妃お披露目」の夜会。


 ――表向きは。


「セリーナ、こっちだ」


 低く通る声に振り向けば、深紅の礼服に身を包んだ王太子アルノルト殿下が立っていた。整った金髪碧眼、絵に描いたような王太子。私が一礼すると、彼は見慣れた微笑を浮かべる。


「招待客の案内もありがとう。君がいてくれて助かる」

「勿体ないお言葉ですわ、殿下」


 ええ、実際助けて差し上げていますものね。


 王城厨房の火事寸前トラブルの揉み消し。外交使節団の席次誤配の修正。軍備予算案の誤字訂正から、殿下の不用意な発言フォローまで。全部、影で片付けてきたのは「地味で冷酷で実務的な」この私。


 でもそれは、王家のため。国の安定のため。そう信じて疑わなかったから、苦ではなかった。


「殿下、そろそろお時間です」


 宰相閣下が囁き、楽団に視線を送る。


 次の瞬間、華やかなワルツが不自然に途切れた。


 ……あら?


 大広間のざわめきが波のように収まり、何十という視線が玉座前へと吸い寄せられていく。その中心に、一歩踏み出したアルノルト殿下。


「本日は、我が許嫁セリーナ・アーデルハイト・フォン・クロイツェルの社交界デビューの場であると同時に――」


 朗々とした声。いつもの演説調。ここまでは段取り通り。


「――新時代を導く“真の花嫁”を、皆に紹介するための場でもある!」


 ……はい?


 脳内で、綺麗に組んでいた進行表が一枚、音を立てて破れた。


「殿下、それは……?」


 思わず出かけた声を、私は飲み込む。ここで口を挟む令嬢はいない。だからこれは、私の台詞ではない。


 殿下の隣に、小柄な影が進み出る。淡い桃色のドレス。柔らかな栗色の巻き髪。涙に濡れたような大きな瞳。


 ――男爵令嬢リリアナ・フローレス。


 可憐、健気、庇護欲をくすぐる、今季社交界の話題の人。


 嫌な予感が、背を撫でた。


「紹介しよう。このリリアナこそ、民の痛みに共感し、聖女としての奇跡を示した、“新時代”の王妃にふさわしい淑女だ!」


 大広間に、どよめきと拍手。驚愕と興奮と、計算された笑み。


 私は、笑ったまま瞬きをする。


 ええと――これは、私が知らない台本ですね?


「そして、ここで一つ、大切なことを告げねばならない」


 殿下がこちらを向く。その目に、いつもの親しみはなく、奇妙な優越感だけが浮かんでいた。


「セリーナ・アーデルハイト・フォン・クロイツェル。お前との婚約は、ここに破棄する」


 一拍、音が消えた。


 やがて、誰かが息を呑む音が広がり、ざわめきが花開く。


「まあ……」

「やはり、あの冷たい令嬢が」

「地味で笑顔も硬いしな」


 好き勝手な囁きが耳に刺さる。


 私は、殿下を見つめる。


 言葉を間違えた、と誰かが訂正してくれる気配はない。当然だ。これは、彼らが用意した“見せ場”なのだから。


「殿下。恐れながら、そのような大事を、今この場でとは……」


「そうよ、殿下。セリーナ様はこれまで――」


 誰も庇わない。宰相は目を伏せ、王は黙したまま。母は唇を噛み、父はほんのわずかに首を振った。


 「喋るな」と。


 ああ、茶番。


 私は微笑を深める。


「ご説明を賜れますか、殿下」


 殿下は待ってましたとばかりに顎を上げる。


「お前は、礼儀作法も政務も確かに申し分ない。だが、その冷酷で古臭い価値観は、民の心を理解せぬ“時代遅れ”だ」


 はいはい。


「リリアナは違う。彼女は弱き者に寄り添い、涙を流し、奇跡を起こす真の聖女だ。対してお前は……」


 わざとらしく、会場を見渡す。


「彼女に陰湿な嫌がらせを行ったと、報告を受けている」


 きた。


 その瞬間、リリアナ嬢がびくりと肩を震わせて前に出る。


「わ、わたくし……申し上げるべきか迷いました。でも……ずっと、怖くて……」


 震える声。完璧な演技ね。いいえ、もしかして素でやっているのかしら。


「セリーナ様には、あの……“聖女の真似事はやめなさい”とか、“身の程を弁えろ”とか。わたくしにお出ましのお茶会の席を教えてくださらなかったり……でも、わたくし、セリーナ様にもお慕いしていて……!」


 ここまで根拠がふわふわしていると、逆に清々しい。


 私は頭の中でチェックリストを走らせる。


 証拠提示なし。具体的事例なし。第三者証言は……ああ、ほら、出てきた。


「それは、確かに見かけたことがあるな」

「リリアナ嬢が泣いておられた」

「前から思っていたが、クロイツェル家の令嬢は冷たすぎる」


 殿下の取り巻きが、待ち構えたように口々に同調する。


 あなた方が泣かせた令嬢の尻拭いをして差し上げたの、誰でしたかしらね。


「宮廷魔導師長としても申し上げますが」


 今度はローブ姿の男が進み出る。白髪交じりの髭を撫で、鼻で笑った。


「セリーナ様の魔力量、制御ともに“中途半端”でしてな。王太子妃としては地味すぎるのですよ。リリアナ嬢の“聖属性”とは比べるべくもない」


 中途半端?


 防御結界の再構築、魔導炉暴走の抑制、全部やらせておいてその評価。面白い冗談ですわ。


「加えて」


 宰相格の貴族が、一歩前に出る。柔らかな笑みを貼り付けたまま、冷たい声で宣告した。


「王太子殿下との婚約は、王家とクロイツェル公爵家の盟約に基づくもの。これを破棄される以上、違約金は相当な額になります」

「……承知しております」


 父に視線を送るが、彼は目を逸らしたまま拳を握りしめるだけ。


 あら。そう来ますのね。


「ただし今回の件、我らの調査では、セリーナ様個人の不徳に起因すると判断せざるを得ません。従いまして、違約金はクロイツェル家ではなく、セリーナ様お一人に負っていただくことになるでしょう」


 ざわ、と空気が揺れる。


 それはつまり――家も守りたいが、王家とも争いたくないので、「便利な長女を生贄にする」方針、ですわね。


「もちろん、これに異議を唱えることは自由です。しかし、王太子殿下への中傷と受け取られれば、それは……」


「反逆にもなりかねませんなあ」


 宮廷魔導師が愉快そうに被せる。


 いや、本当に脚本が雑。もう少し法的整合性を整えなさいませ。


 会場の視線が、一斉に私に突き刺さる。


 哀れみと、好奇と、優越感。


 誰一人、「不当だ」と声を上げない。


 父は沈黙。母は涙を浮かべているが、一歩も出ない。妹は……妹?


「お姉様が完璧すぎたから、殿下もきっと、疲れてしまったのね……」


 ああ、なるほど。


 悪気なく刺す、天才。


 胸の奥で、何かが静かに切れた音がした。


 プツン、という擬音が似合う感覚。痛みは不思議と薄い。


 ああ、そう。


 私は深く一礼する。


「……王太子殿下。皆様」


 声は震えていない。礼儀作法の先生が聞いたら喜びそうな、完璧な淑女の声音。


「このような場でのご通達、誠に遺憾ではございますが……私の至らなさゆえとあらば、異議はございません」


 ざわめきが、意外そうに波打った。


 いいえ、あなた方の望む“悪役令嬢の逆ギレ”はあげませんわ。


「リリアナ様に対しても、誤解を招くような振る舞いがあったのでしたら、お詫び申し上げます」


「セリーナ様……!」


 リリアナ嬢が涙ぐみ、殿下の袖を握る。


 ええ、泣いていなさいな。


「違約金と、その他必要な処分につきましては、後日正式な文書で賜れれば、粛々と従います」


 宰相が満足げに頷く。


「クロイツェル家としても、それでよろしいですね?」


 父の肩が震え、「……ああ」と搾り出す。


 王と王妃は、終始沈黙。責任回避の沈黙。


 確認完了。ここには、私を守る者は一人もいない。


「では、これにて――」


 誰かが閉じようとした空気を、私は先に切った。


 一礼。もう一度、深く深く。


 誰にも縋らず、誰にも言い訳をせず。くるりと背を向ける。


 裾が床を薙ぎ、音を立てる。視線が追いすがる気配。嘲りと憐憫と、それでも私の“美しい退場”を楽しむ残酷な鑑賞者たち。


 笑いたければ笑うといいわ。


 扉へ歩みながら、私は心の中で静かに言う。


 ああ、そう。なら――いいわ。


 あなた方が選んだのなら、その未来を、きちんと味わっていただきましょう。


 ただ一つ、まだ片付いていない仕事がある。


 王宮図書塔。私が預けた資料と、王家の裏帳簿と、そして――


 扉が背後で重く閉まる音を聞きながら、私は決めた。


 今夜のうちに、封印された書庫へ行く。


 そこで何が待っているかも知らずに。

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