第12話 世界だけで終わらせない日

午前九時半。役員会議室・前室。


長机に並べたノートPC三台と、紙コップのコーヒー。

プロジェクターのテスト画面が、壁いっぱいに青い四角を映している。


俺――朝倉 光は、最後のチェックをしていた。


左側のフォルダ名は《WORLD_4》。

右側のフォルダ名は《DECIDE_6》。


「……名前だけ見ると、ゲームのステージ選択みたいですね」


ことねが呟く。スーツの袖を少し直しながら画面を覗き込む。


「WORLD_4クリアで、DECIDE_6解放」


「ラスボス:創造神」


紗良がさらっと言う。


「やめろ。ラスボスは課題だから」


ゆいがケーブルを確認しながら、名乗りボタンの最終チェックをしていた。

6枚目の右下に、小さく人型+ペンアイコン。


「押すと、誰がどの会議で何を選んだか残ります。ちゃんと御堂さんのフォントに合わせました」


「創造神フォントって言うな」


 


扉がノックもなく開いた。


「下界の民よ、今日も元気そうだな」


御堂 律が入ってきた。黒シャツ、細いネクタイ、いつも通り。

ただ今日は、珍しくジャケットまで着ている。全社の役員が来るからだろう。


「創造神、コーヒー飲みます?」


「供物か。受け取ろう」


紙コップを受け取って、ひと口。眉が少ししかめられる。


「薄い」


「予算の限界です」


紗良がきっぱり言う。


「濃い味はWORLD_4のスライドだけでお願いします」


御堂の口元がにやっと歪んだ。


「言うじゃないか」


 



九時四十五分。役員たちが入り始める。


社長、事業本部長、開発、営業、経理。

十数人のスーツが席に着くたび、椅子がカチッと床を鳴らす。


白石部長が前に出て、マイクを持った。


「本日は新しいプレゼン方式のテストをかねて、次期サービスの方向性を決める会議を行います」


簡単な挨拶のあと、ホワイトボードにマーカーで書く。


 世界 4枚 + 決める 6枚 = 10枚・10分


「まず御堂くんに“世界編4枚”で、背景と課題を見せてもらいます」


「神である私に“くん付け”とはな」


御堂が小声で言う。

白石は聞こえていないふりをして続けた。


「そのあと、朝倉チームが“決める6枚”で、選択肢と数字と、今日の決定案を出します」


社長が腕を組んだまま、ふん、と小さく笑う。


「10分で“決める”ところまで行けるなら、いくらでも協力しよう」


プレッシャーのかけかたが雑だ。


 


♢ 御堂スタート


プロジェクターが暗転し、最初のスライドが映る。


1枚目:いまの世界。


スライドには、ユーザー数と市場トレンドのグラフ。

でも御堂が話し始めると、数字以上に“情景”が見えてくる。


「——世界の話をしよう」


一言目から、声に妙な重みがある。


「我々のサービスは、今ここだ」


グラフの一点を指で示す。


「使っているのは、“覚えてくれている人”だけだ。アプリを立ち上げ、メニューを探し、“ここを押せば便利だ”と知っている人たちだけ」


2枚目:放っておくとこうなる。


画面には、競合他社のアイコンが並ぶ。


「このまま“知っている人”だけを相手にしていれば、やがて世界は分かれる。“知らないまま不便な人”と、“知っているから便利な人”。便利なほうだけを見ていれば、実績は伸びているように見える」


御堂はそこで一拍置き、声を少し低くする。


「だが、それは世界の半分しか見ていないということだ」


3枚目:こうなりたい。


「我々が本当にやりたいのは何だ?」


御堂は天井を見上げるような仕草をし、

すぐ視線を戻した。


「“気づかれない不便”も含めて、世界のほうから“こっちに来てくれた”と言える状態だ」


スライドには、アプリの外側に広がる生活のイラスト。

買い物、通勤、家事、介護。

そこに小さく“ここで使える”と吹き出しが付いている。


4枚目:だから今日、この会で決めたい問い。


画面には、大きな文字でただ一行。


【“知らない人”を、どこから先に連れてくるか?】


御堂はマイクから少し口を離し、

静かにこう締めた。


「今日、この場で決めるのは、“誰を一番先に楽にするか”だ。世界は広い。だが、手は二本しかない。だから——優先順位を決めよう」


スクリーンの光が役員たちの顔に当たる。

誰もまだ喋らない。


一番最初に、「ふむ」と低く声を漏らしたのは社長だった。


「分かりやすい。“全部”じゃなくて“誰から”だな」


小さく拍手が起こりかける。

数人が手を動かし——俺はその瞬間、すかさずPCのEnterキーを押した。


WORLD_4が終わり、画面が一度だけ黒くなる。


 



♢朝倉チーム


1枚目:現状数字(3パターン)。


・高齢ユーザー(60代〜)

・子育て世代(30〜40代)

・地方の小規模店舗


それぞれの利用率と問い合わせ件数が、

シンプルな棒グラフで並ぶ。


「“知らないまま不便な人”が一番多いのは、高齢ユーザーです」


ことねが説明する。


「でも、“困った声を上げてくれている人”が一番多いのは、地方の小規模店舗」


2枚目:選択肢の一覧。


A:高齢ユーザー向けに窓口と紙マニュアル強化

B:地方店舗向けに営業・電話サポート強化

C:子育て世代向けにアプリ内チュートリアル強化


3枚目:ざっくり比較。


メリット・デメリットを表で3行ずつ。


「Aは公共機関との連携がやりやすいです。ただ、初期コストが高い」


「Bは“困っている声”がすでにあるので、成果が見えやすい。ただし営業の負荷が増えます」


「Cは今いる開発リソースで回しやすい。ただ、“知らない人”に届くかは弱い」


4枚目:決定条件。


画面には三つの丸。


・「声を上げづらい人を先に」

・「一年以内に成果が見えること」

・「現場の負荷が一番マシな案」


紗良が言う。


「今日は、この三つの条件に沿って判断してもらいます」


5枚目:今日の案(1案)。


大きく“B案:地方店舗から”と書かれたスライド。下に小さく注釈。


・高齢ユーザーはBの改修で間接的に恩恵あり

・子育て世代向けは既存施策で維持

・一年以内に“売上+問い合わせ減少”のどちらも測れる


ことねが短くまとめる。


「“困ってます”とすでに言えている人から先に楽にする案です」


6枚目:決めるスライド。


画面には二つのボタン。


[今日B案で進める]

[もう一度考える]


右下に、人型+ペンアイコンの名乗りボタン。


ゆいが一歩前に出て、マイクを取る。


「最後のスライドは、“この場にいた人が、自分で決めた”という記録です」


彼女はボタンを指差した。


「“今日B案で進める”を選ぶなら、お名前の横にチェックを入れてから押してください。ログには、押した人の名前と時間だけが残ります」


社長が腕を組んだまま言う。


「“決めませんでした”を選ぶこともできるのか」


「はい」


俺ははっきり言う。


「“今日は決める会”と言っておいて、あとで『やっぱり先送り』になるのが一番遅くなります。ここで“もう一度考える”を選ぶなら、その理由を次回までに全員で書き出してもらいます」


部屋が少し静かになる。


御堂が椅子から立ち上がった。


「……いいか?」


社長が頷く。


「創造神の意見も聞こう」


御堂はスクリーンに向かって歩き、

6枚目のスライドをじっと見た。


名乗りボタンの小さな人型アイコンを指でなぞる。


「“ここに立ち会った”という刻印だな」


俺は息を呑む。


「名乗りボタンは、ハンコの代わりです。“世界を見せた人”も、“決めた人”も、同じログに名前が残ります」


御堂は振り返り、役員たちを見渡した。


「——いいじゃないか」


笑った。


「世界を作る側も、責任から逃げないということだろう。なら、創造神も押そう」


社長がふっと笑う。


「そこまで言うなら、最初に押してくれ」



最初に立ったのは、意外にも経理本部長だった。


「B案でいいと思う。数字も、現場の負荷も、見通しが立つ」


彼は自分の名前の横にチェックを入れ、

[今日B案で進める] のボタンを押した。


画面の端に、小さくログが出る。


〈経理本部長/B案/10:07〉


それを見て、営業本部長が笑った。


「じゃあ乗るか。ウチもB案支持」


同じように押す。


始まってしまえば早かった。


・開発本部長

・カスタマーサポート部長

・人事

・総務


次々とボタンが押され、ログが積まれていく。


誰も[もう一度考える]には触れない。


最後に社長が立ち上がった。


「よし。B案で行こう」


名乗りボタンを押す音が、静かな会議室にカチッと響く。


画面の右側に、社長の名前が追加される。


〈社長/B案/10:09〉


ことねが小さく息を吸った。


(終わった)


(10分で本当に“決める”ところまで来た)


 


会議が終わり、役員たちが資料をまとめ始める。


社長が立ち上がりながら言う。


「御堂くんの“世界4枚”もよかった。でも、今日は“決める6枚”もちゃんと効いたな」


御堂が肩をすくめる。


「世界だけで“うわぁすごい”って終わらせるほうが、正直、楽なんですけどね」


「楽だけど、何も動かない」


俺は思わず口を出した。


「今日みたいに、“世界見たあとに指を動かす場”がないと、創造神が何回宇宙を見せても、現場は変わらないです」


御堂はこちらを見た。


一瞬だけ、いつもの軽口が消える。


「……分かってるよ」


小さく言う。


「世界だけで拍手もらって終わる会議が、何度も何度も続いたあとで、誰も何も覚えてない顔を見るのが、どれだけ虚しいか」


それは、たぶん本人にしか言えない重さだった。


白石が割って入る。


「今日は、“世界だけで終わらせなかった”ということで、この方式を正式採用でいいですか?」


社長が頷く。


「いいだろう。世界4枚+決める6枚。次の大きい会議からは、この形でやっていこう」


場が少しどよめく。


御堂は、壁のスクリーンを見上げた。


「……創造神のステージが、少し狭くなったな」


「その分、“一緒に立てる人”が増えます」


俺は笑って言う。


「御堂さん一人に任せなくていい会議が増えるなら、そのほうが世界は広がります」


御堂は、ふっと笑った。


「下界のくせに、だいぶ神の言葉が分かるようになってきたな」


「下界のほうが現場に近いですから」


 



会議がはけたあと。


片付けをしながら、ことねがぽつりと言った。


「……御堂さん、最後ちょっとだけ寂しそうでしたね」


紗良がケーブルを巻きながら頷く。


「“全部自分でやってた舞台”から、半分こにされたわけだからね」


ゆいが名乗りボタンのログ画面を見つめる。


「でも、“押した”のは事実ですよ。御堂さんも、社長も、他の人も。“ここにいました”って」


俺はスクリーンに映った最後のログをもう一度見た。


〈御堂 律/B案/10:08〉


「……創造神の名前、ちゃんと残ってるな」


「消したほうがよかったですか?」


ゆいが冗談めかして言う。


「いや。“ここにいた”って残るのは、いいことだ」


俺はボードの「世界4枚+決める6枚」の下に、小さく書き足した。


 + “名乗りボタン”


 



帰り際。エレベーターホール。


御堂が壁にもたれて、スマホをいじっていた。

画面には今日の世界4枚のサムネイル。


「創造神、今日はお疲れさまでした」


俺が言うと、御堂は顔を上げる。


「……一つだけ、文句を言ってもいいか」


「どうぞ」


「四枚じゃ、まだ足りん」


「知ってます」


即答した。


「今日の四枚は、“御堂さんの宇宙”の、ごく一部だけだと思ってます。だからこそ、次があります」


御堂は少し目を細める。


「次」


「はい。今日のB案が回り始めたあと、“それでもまだ届かない世界”が出てきたら——、そのとき、また創造神に宇宙を描いてもらいます」


「そのときは?」


御堂が問う。


俺は笑って言った。


「四枚じゃなくて、三枚で。」


御堂の眉がぴくりと動く。


「三枚で宇宙を語れと?」


「はい。世界を見せるのも、決めるのも、もっと短い時間でやらないといけない場面が、必ず来ます。そのとき、“創造神が三枚で世界を出す”のを見てみたいです」


御堂はしばらく黙っていたが、

やがて小さく笑った。


「いいだろう。その日が来たら——、創造神は三枚で世界を出す」


エレベーターの扉が開き、

中から誰も出てこない。


「ただし」


御堂は続けた。


「それでお前が人を動かせなかったら——、また十枚ぜんぶ、神が奪い返す」


「そのときは、そのときです」


俺は中に乗り込みながら答えた。


「三枚でも十枚でも、“世界だけで終わらせない”なら、何枚でもかまいません」


扉が閉まる直前、

御堂が片手を軽く上げるのが見えた。


「楽しみにしてるよ、下界の民」


扉が閉まり、エレベーターが動き出す。


天井の照明が揺れる中、

俺は心の中でひとつ決めた。


(次のラウンドで、“創造神”じゃなきゃ動かない世界は、もう一段減らす)


三枚で戦う番外編の火種だけが、

静かに灯ったままだった。

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