8話 整備士
「で、俺は何したらいいの?」
「空き部屋は沢山あるからいいとして……まずは大家さんに会って事情を話しに行こう」
アパートの錆付いた廊下を歩きながら会話を弾ませ、階段を下っては靴と赤茶色に変わり果てたアルミがぶつかり合う音が足に響く。
最下層に辿り着くとそのまま一直線に進み、アパートの側面に回り込んで、無骨なシャッターが現れた。こちらも経年劣化しており、先程の階段と同じく所々の色がおかしくなっている。
「なあスラヴァ」
「何だ?」
「このアパートって結構古いのか? 中は広かったけど……」
建物全体を見渡しながら言葉を繋げていく。
外壁が剥がれている箇所もあるし、屋根の瓦も吹き飛んで無い部分も確認できる。四方を支える木の柱も腐っていて、地震が来たら一瞬で崩壊そうな感じ。しかも日本は災害が多いからなおのこと不安がこみ上げる。
「その通り――――とても古い家だ」
「どれくらい昔の?」
スラヴァはシャッターの横にある基盤に特定の数字を打ち込みながら。
「ここの住人によると、1948年に建てられたそうだ」
ピッタリ百年もこのアパートは人々に寝床を提供しているのか。物凄いサービス精神だな。
基盤から古びた外観には不適切な電子音が小さく漏れ、シャッターのロックが外れた。
慣れた様子で屈み込み、スラヴァがシャッターを押し上げていく。
重たそうなのにたった数秒で半分まで開いた。
疑っていたが、やはり人間でないのは本当のようだ。
例え普段から訓練を行っている女性でもこれを一人でやるのは厳しいと思う。
シャッターは頂点に達し、その内部が露わとなった。
それは住居というよりガレージ。家具はソファと手作り感満載のテーブルと、その上に備えられたパソコンと周辺機器しかなく、生活感は薄めだ。
エアコンも簡易的なものでスラヴァの家は暖房が効いていたから暖かったが、こちらは寒い。一応フル稼働はしているが、寒冷に負けて使い物になっていない。
澄ました顔で堂々と入っていくスラヴァの背中をそそくさと追う。
これ、不法侵入なんじゃないのか。
彼女の様子からして大家さんとは知り合いなんだろうが、それでも勝手に他所の家に入るのは法的にもプライバシーの観点で考慮しても問題が多そうだけれど。
少し不安を募らせ、これまた簡素な後付けと思われるキッチンでコーヒーを淹れるスラヴァに話し掛ける。
「お、おい、大丈夫なのかこれ」
「ん、何が?」
彼女は台所に肘をつき、優雅な仕草で湯気の上るコーヒーを飲みながら返した。
「いや、バレたら大家さんに怒られるというか……」
「ああ、何だそのことか――――」
アルミのカップを握りつつこちらへ来て、俺の真正面に立った。
改めて思うが、この人は世の中の美人連中を超越した顔だ。性格やスタイルも良さげだし、非の打ち所がない。
鼻や唇は凛々しいのだが、唯一眼球だけは小動物みたいで可憐だ。丸くて光沢があって。
イスラムの原理主義者達はLGBTに対して強硬な姿勢を取っているが、ああいう団体もアンドロイドたるスラヴァを目に入れれば意識は変わるだろう。というか新たな性癖が開拓されると思う。
しかもスラヴァには生理があったり受胎があったりと妙に人間らしくて生々しい機能も備わっている。ロボットにこんな機能載せるとは闇深さを覚えるが、上手くやれば家庭も築けそうかも。って、俺はなんつー妄想してんだ。
配線と鉛の物体に好意なんて……ありえないだろ。いや、スラヴァは俺のタイプと驚くほど合致しているし割とある未来か。
人間にせよアンドロイドにせよ誰もムスリムとは付き合いたくないだろうから、仮にこっちが告白しても断られてビンタされるのがオチだろうが。
「おっ、何か用かな――――?」
突然、背後から男性の穏やかな挨拶が。
振り返ると、純白のワイシャツにカーゴパンツというシンプルな格好のおじさんがにこやかに立っていた。年齢は中年ぐらいのように見えるが、東アジアの人間と関わったことはないので憶測が当たっているかは未知だ。
外国あるあるかもしれないが、何だかアジアの人間は実年齢より若く目に映る。
「え、えっと……」
別にコミュ障じゃない。ただアジアに馴染みなんてないし、そもそもスラヴァ以外とまともに立ち会ったのは今が初めてだから、戸惑いが生じた。
コーヒーを堪能し終えたスラヴァがおじさんに会釈しながら自分の横に来てくれて、詰まることなく滑らかに事情を話す。
「堀越さん、この子を空いている個室に住まわせてやってくれないか?」
「そう言えば、見ない顔だね」
堀越と呼ばれた男性は笑顔を絶やさずに俺の顔に視線を合わせた。
「名前とか言ってくれるかな?」
全く敵意を感じられない。
異世界の人間は基本的にフラストレーションが溜まっているのか気難しい奴ばかりだった。
「えーっと、ラムザン・カワサキ……17歳の日系チェチェン人で、ちょっと前まで異世界にいました」
作り話もいいところだが、予想に反して彼はニッコリと頷いてくれた。
「最近はラムザン君みたいな人が増えているからねぇ。それにしてもチェチェンの日系人とはこれまた珍しい」
「そうすかね?」
「ああ、もちろん。チェチェンなんてまず名前すら聞かないからね。強いて言うなら、チェチェンの独立戦争とかアルカイダのテロとかはたまに聞くけどね」
東アジアでは祖国の知名度は皆無なようだ。不人気なのかと一瞬落胆したが、反対の立場で考えてみるとチェチェンでも日本に関する報道はほぼなかった。真珠湾攻撃や原爆投下がテーマのチャンネルで何回か目にしたことがあるくらいだ。
「それと自分ムスリムっす。迷惑かけるかもしれませんけど、よろしくお願いします」
「こちらこそ――――あ、僕はエンジニアをやってる堀越拓郎という人物だ。亡命申請に苦労しているスラヴァのメンテナンスを定期的にしているから、父親みたいなおっさんでもあるけどね」
彼は爽やかに素性を名乗った。
「お、おっさん? 若く見えますけど……」
「ん、お世辞かな?」
「ち、違います違います! ただ、三十代ぐらいというか……」
自信なさげに年齢を言い当てるが、
「不正解――――僕はもう44のおじさんだよ」
大幅に間違っていた。誤差などではなく桁がそもそも異なっているじゃないか。
人は皆平等とはよく言うが、チェチェンとアジアンは骨格も肌の色も別物すぎて共通点を見つけるのが難しい。初見で理解できる点といえば、眼球があることぐらいだろうか。
多文化共生は意味こそ称賛されるべき目標だが、世界の人種を一つに纏めない限りは実現しないと思う。
そもそも民族に互換性というものはない。スラブ人を丸ごとアフリカに移住させても軋轢が生まれるだけだ。
「とりあえず、これをあげるね。スラヴァの横の部屋のやつだから、なくさないように頼むよ」
「ありがとうございます」
堀越さんから鍵を受け取り、ちゃんと感謝を述べる。
「ではラムザン君の住居も確保できたことだし、早速帰ろう」
「そーだな、協力してくれてありがとさん」
用は解消できたのでスラヴァと共にここから出ようとしたが、
「ちょっと待って――――」
何故だか堀越さんに手首を掴まれ、中へ再び引き込まれていった。
用意されたパイプ椅子に座ると、彼は整頓されていないぐちゃぐちゃの棚を漁り始め、格闘の末に分厚いファイルを渡して来た。
「これは何ですか?」
「ラムザン君、それはスラヴァというか……猟兵のことが細かく書かれた資料さ。色々な施設から盗んで、何とか自分で纏め上げたんだ」
「そう言えば、猟兵とやらの誕生した経緯って結局は何なんですかね? スラヴァが人間ではなく機械なのは分かりましたけども、排泄とか絶対にいらない機能のような……」
その疑念に堀越さんはやや俯いて、虚偽が感じ取れる表情で呟く。
「それは、人間社会に違和感なく溶け込むために必要な機能……詳しくはその資料を見てくれ」
裏が隠されていそうな言い方に俺は尋ねようとしたが、やってはダメだと直感し、ファイルを横腹に抱えながらガレージを出て行った。
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