5話 クーデレたまらんなぁ
ようやく泣き止み、ひとまず隣の部屋に邪魔させてもらっていた。
所々に劣化が目立つアパートだが、広くて部屋もいっぱいあって住みやすそうだ。
入ったのは和室というやつだった。チェチェンにはアジアの要素は皆無だから興味深い。床なんて木の板しか見たことないが、畳は歴史と人情を感じられて素敵だと思う。自然を彷彿とさせる竹の香りも良い。
ここにはテレビがあったりゲーム機があったりと生活感を覚える空間だ。
図々しいが勝手にリモコンを取って、画面を灯す。くだらんバラエティ番組が放映されていたので、チャンネルを切り替えた。第二次大戦の特集だ。内容は馬鹿には難しそうだが、圧倒的にこっちの方が面白いし知識にもなる。
「……んー、何か怒られてる感じが」
専門家が現地に訪れて巡るアウシュビッツ強制収容所の解説に見入っていると、背後から冷たさと熱さがごっちゃになった視線を受けた気がした。
何というか、地味に恨まれているような……。
溜め息を一つ吐き、テレビを一旦消して振り返る。
ソファの裏側に顔面を手で覆って指の隙間からこちらを見つめるスラヴァの姿が。隠しているつもりなのだろうが、目元が赤く腫れているのが丸見えだ。だいぶ長く泣いていたから変化するのは仕方ない。
「何だよ、スラヴァも一緒に見ようよ」
リモコン握って液晶に振りながら誘ってみるが、返事は一切なし。
それどころか、荒い吐息を放ってずっと敵対心を向けられているようにすら思える。
気味悪いと、リモコンを離して彼女の横に回り、至近距離から声を掛ける。
「さっきから様子ずっと変だけ――――いたっ!?」
人が心配してあげてるのに何てことをするんだコイツは! と胸中で怒鳴った。
短くも鋭い破裂音が木霊し、頬に刺激が迸る。
思い切り平手打ちされたのだ。それも相当強く、どう考えても未成年者にやっていい力ではない。
「う、うるさい……! げ、幻滅しただろう……!」
まーた変人じみたこと言っちゃって。
「幻滅って何だよ。お前、おかしいことしか言ってないぞ」
「それはさっき私が人前で泣いた上にラムザン君に抱き着いてしまったから……」
あー、はいはい。意図は分かった。
つまり、恥ずかしい一面を晒してしまったから気まずいと。
「スラヴァちゃんとやらは謎な奴だなぁ。まあ座れよ」
ソファに再び腰を下ろし、横のクッションを指で突く。
「う、うん……」
座ったのを確かめると、さっきの番組の続きを再開させた。今度はアウシュビッツではなくパレスチナ問題に焦点を当てた事柄を取り扱っていた。ムスリムの自分にとっては切っても切れない話題だ。
「別に弱みは誰にでもあるからダサいことじゃないだろ」
「そんなわけない! 私は軍用兵器として弱点はごくわずかに……」
「あっ、肩にミミズが」
「え?」
もちろん嘘に決まっているが、スラヴァは豆鉄砲を喰らった小鳥のような顔にガラリと変わり、次の瞬間には、
「ひゃああぁぁあああ! 虫は嫌いだから早く取れ!」
……可愛らしい場面をどうもありがとう、と思わず口元が綻ぶ。
スラヴァの高貴な風格はどこへやら。そんなものは崩れ去り、思春期の女子みたいな絶叫を響かせた。
女性にしてはやや低かった声も甲高くなっている。
いやぁ、クーデレはたまらんな。俺のいた異世界では味方とか敵とか関係なしにツンデレが人気を博していたが、普段は冷静なお姉さんが照れたり慌てふためたりするほど尊いものはないだろう。
「か、肩のどこにいる!? さっさと――――」
体を激しく揺さぶり、困惑の真っただ中を勘違いして突き進む。
もっとこの姿を拝みたいが可哀想だと思ってきたので、そろそろ真実を明かすことに。
「あの、スラヴァ」
しかし慌てすぎているがあまり話し掛けるタイミングが分からず、最初の一言はぎこちなかった。
虫、そんなに苦手なのか……無機質な人だが人間臭くてこれはこれでナイスな点かも。
「な、何だ!? 傍観せず早く……」
「いや、冗談で言ったつもりなんだけど」
頭を掻きむしりながら歯切れ悪く伝える。
「ふぇぇぇえええ?」
力ない疑問の声がスラヴァの中途半端に開かれた口から漏洩し、笑いを何とか我慢。本当に態度が愛らしすぎるよ。
「き、貴様……!」
怒気の張り詰めた声が横からはっきりと響き、ちょっとヤバそうだと身を離すが、強い腕力で引き寄せられた。
反撃を試みるが相手の力の方が大きく、失敗に終わった。
まさかこんな人に負けるだなんて。外観に惑わされて油断するのはいけないな。初歩的なミスを犯すとは自分もまだまだ成長の余地がある。
「お、落ち着けよ……」
苦笑して誤魔化すが通用せず、振り上げられた拳の影が顔を覆い被さる。
あちゃー、こりゃお仕置き確定だ。
「私を侮辱したことを反省しろっ!」
鈍く、重く、固く、そして骨がぶつかり合う轟音が平和なアパートの一室に染み付くのだった。
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