第十話 ヘビーメロウ②

聖遣ダーリアは床に手をついて吐寫している。多数の人を取り込んだことによる拒絶反応の一種だった。胃に何かを入れたわけではないのでただ水を吐いている。落ち着いてきて、ゆっくりと顔を上げた。

 聖遣の見つめる先に、人が横たわっている。




「戦場では目立つな、と口酸っぱく言ってきたが……」

 墓場で二人の男が煙草をふかしている。刻まれた名前をライトがぼんやりと照らしていた。

「目立たなかったのはお前だけだったらしい」

 風が煙をさらっていく。背の低い方の男が、背の高い男を見た。彼等の前に並ぶ墓には軍のマークがついている。

「俺はただ生き残っただけです。目立つとか目立たないとか、頭は回りませんでしたよ」

 背の高い男は淡々と話す。

「それが異常なんだがな……」

「これから俺達が動員されるような戦争は起きますかね」

 煙草は高級品だったので、墓前でしか吸わなかった。

「この星では起こらんだろうが、お前の食い扶持くらいはあるだろ」

 背の低い男はへらへらと笑う。高い男は眉をひそめた。

「カムリ、そんな顔するな。餞別に良い服でも買ってやるよ」

 男達は暗闇の中でしか生きられなかった。




「その赤ん坊、売らないか」

 スラム街の路地に似合わない、高価そうなコートを着たカムリが赤子を抱いた女に声をかけた。まだ名前すらもついていない赤ん坊は取引の末、彼に売り渡された。

 第二王子派の宰相は有脳体関連の利権を独占しようと躍起になっていた。製造のための人体実験も活発に行っている。

 カムリはこの赤子が碌でもないことに使われることは分かっていた。

「お前も消耗品か。恨むなよ」

 赤子は知らない人間に抱かれているにもかかわらず、すやすや眠っている。カムリは地下の研究所に向かい、小さな命を研究員に引き渡した。


「第二王子の?」

「ええ。隊長のおかげですよ」

 カムリは簡素な部屋に上がりこみ、黒いコートをハンガーにかけた。隊長――背の低い男――から貰ったものだ。隊長はヒーターの前に座り込んだ。すぐに酒瓶を開ける。

「えらく出世したな」

「宇宙船を操縦できる人間が欲しいみたいです」

 カムリは軍を除隊した後、第二王子の直属の部下として雇われた。報告がてら、隊長の家に来ている。

「今は、祝おう」

 カムリの手を払って、隊長自らが酒を注ぐ。突き合わせた安物のコップからコン、と心地いい音が聞こえた。



 カムリはコートをはためかせて全力疾走している。袖の先から血が滴っていることに気がついて、舌打ちした。赤子を抱きながら逃げることがこんなに困難なことだとは思っていなかった。

 這う這うの体で尾行を殺し、カムリは隊長の家に辿り着く。隊長は声を潜めた。

「……なんだ、その赤ん坊は……隠し子?」

「俺に嫁なんていませんよ」

 不可思議ながらも、隊長は赤子を抱き抱えて血まみれの部下を迎え入れる。扉が閉まると、カムリは深いため息を吐いてその場に座り込んだ。

「取り合えずその血をなんとかしろ。そいつは俺が抱いててやるから」

「助かります、本当に」

 隊長は柔らかな手つきで赤子を抱く。彼には子を育てた経験があった。カムリは慣れた手つきで傷口を洗い、包帯を巻く。

「有脳体の研究所がゲリラに襲われまして。非武装の研究員はほぼ死にました。俺はそいつを守れと命じられたんです」

「するってえと、こいつは……有脳体?」

「わかりませんが、そいつが死ぬと俺の首が飛ぶのは確かです」

 カムリが買ってきた赤子は検査を受けた後、厳重に管理されていた。

「それで俺を訪ねてきたってワケね」

「すみません、巻き込んで。俺には手に負えなくて」

 カムリは隊長が若くに妻と子を失っていたことを知っていた。彼しか頼れなかった。

「フッ、撃墜王と謳われたお前が?」

 隊長はそんなカムリを鼻で笑った。

「いいよ、協力してやる。こいつがただの赤ん坊のうちはな」

 赤子はいつの間にか目を覚ましていて、隊長が小気味良く揺れるのを楽しんで笑った。


 ゲリラが鳴りを潜め、研究所が移転し再開するまで三週間ほどかかった。二人はその間赤子を育て、研究所に返した。

 カムリが重い扉をくぐり抜けて、待っていた隊長に声をかける。二人ともあまり眠れずに、三週間でやつれた。

「……あいつはエリィ、というそうです」

「そうか、名前があったのか。悪いことしたかもな」

 隊長はエリィをふわふわちゃんとかぷくぷくちゃんとか、適当に呼んでいた。彼は自分には金をかけないにも関わらず、彼女に必要な物は良い物を選んで買い与えた。

「隊長、俺達が何をしようが、あいつは覚えてすらない……罪悪感を覚えることはないんです」

「そうだな。エリィは俺達が手を尽くそうが尽くすまいが、死ぬときには死ぬ。だからと言って、蔑ろにしていい理由にはならんだろ」

 隊長は真面目な話をしているときも、へらへら笑っている。カムリはやはり、妻子を失った彼を頼ったことに一抹の悔悟を覚えた。




 九年が経った。エリィはその身体の頑強さから正式に聖遣となることが内内に決定した。カムリは政敵の抹殺に暗躍しつつ、表向きは第二王子の懐刀をしている。隊長とはぱったり縁が途絶えてしまって、行方も分からない。


 風の強い日、彼は呼び出された。

「くれぐれも不遜なマネはするなよ」

 白衣の研究員に念を押され、カムリは厚い扉の前に立つ。カムリは唐突に聖遣に呼び出されたことに得心がいかないまま、白い部屋に入った。

 ベッドだけが置かれた空間に、簡素な服を着た少女が浮かんでいる。視線が合った。

「カムリ」

 聖遣ははっきりと男の名前を呼ぶ。瞬きをして、彼女は空中を泳いでカムリに近づいた。そのまま手を伸ばして、彼の頬に触れる。カムリは目を見開いた。

「ひさしぶり、だね」

 エリィの大きな瞳が輝いた。

「覚えているのか」

「ものおぼえがいいの」

 そう言って聖遣は微笑んだ。地面に降り立つ。

「ずっとお礼が言いたかった。私を守ってくれて、ありがとう。あなたのおかげで聖遣になれる」

 カムリは目線を逸らした。

「関係ねえよ」

 長身の男のぶっきらぼうな言葉にも、彼女は怯まない。

「そうかな。二人が私を守ってくれたもん。本当はたいちょーも呼びたかったんだけど、むりっていわれて」

「もう年だからな」

「会ったら、お礼を言ってほしいの」

「わかったよ」

 はたと会話が止まる。エリィはまじまじと初老の男を見上げた。

「……カムリは、怖くないの?」

「何がだ」

「私のこと」

 カムリは硝子の向こうの研究員達を見る。少し息を吐いて、彼女の背に合わせて跪いた。

「お前はまだほんの赤ん坊だ。赤ん坊を誰が怖がる」

 そう言うとエリィは目を丸くして、吹き出した。腰を折って笑い転げる。一呼吸おいて、彼に問いかけた。

「私、もう九才だよ?」

「空を飛んでいようが、兵器だろうが、お前は赤ん坊さ」

 エリィは急にカムリに抱きついた。まだ笑っていて、彼女の背中が震えているのをカムリは感じる。

「そんなこと言うひと、はじめて!」




 聖遣は行儀よく椅子に座り、長い髪を櫛で梳いてもらっている。髪に触れる若い研究員は緊張した様子だった。櫛が髪に引っ掛かり、聖遣の頭が引っ張られる。

「……っすみません!」

「いいよ、そんな怖がらないで」

 聖遣は怒るわけでもなく、安心させるわけでもなく、静かに、無表情に言った。

 張り詰めた空気の中、扉が開く。長身で白髪交じりの男が立っていた。コートの裾をはためかせて、エリィのもとへ歩む。

「カムリ!」

 ぱっとエリィの顔は明るくなり、浮かび上がって回転した。研究員は心配そうに動き回る彼女を見ている。カムリは放射状に広がる彼女の髪を見た。

「それ、貸してくれ。ヘアゴムはないのか」

「え、あ、あります、取ってきます」

 カムリは研究員から櫛とヘアゴムを受け取った。エリィを座らせ、慣れた手つきで彼女の髪を梳く。頭の中心から毛束を二分し、高い位置でくくった。あっという間にツインテールが出来上がる。

 エリィは自分の髪を触って目を丸くした。

「すごい!どうしてこんなことできるの?カムリには長い髪、無いのに」

 エリィは目を輝かせている。カムリは事もなげに言った。

「いい男ってのは、これくらいできる」

「いいおとこ?」

 エリィはきょとんとしている。カムリは目を逸らした。

「動き回るんだから、自分でできるようになっておけ。下ろしているとまた引っ掛けるぞ」

 カムリは立ち上がり、襟を正す。

「もうかえっちゃうの」

「忙しい」

「私、グソクよりも偉いよ?グソクより私に会いに来てよ」

「王子も寂しがり屋だ」

 カムリは振り返らない。

「……明日も来てね」


 カムリは自宅の扉を閉めて、背中を付けて座り込んだ。頭を垂れて、深く息を吐く。




 とある日、カムリはエリィに読み聞かせをしていた。夜になり、帰ろうとするカムリを引き留めるためにエリィがせがんだのだ。やはり赤ん坊だ、と思いながらカムリは聖典(セラヴィ)を読み上げる。エリィは眠い目をこすりながら、カムリの肩にもたれていた。

「深海に住むわたしたちのもとに、光があらわれます。

 その光は弱いわたしたちさえも、包んでしまいます。

 わたしたちを分け隔てた身体は、溶けて失われます。

 みなひとつの光となり、

 あなたがわたしに欠けていると、思わなくなります。

 時間と空間をはなれて輝きは大地(テール)に降り注がれます。

 大地にみずみずしい双葉が生え、好く咲くでしょう。

 わたしたちはまた、生まれつづけるのです。」

 それは聖遣の章の終わりで、何年も前にカムリは暗記させられていた。エリィもすっかり覚えていて、彼女の小さな聖典は使い古されていた。カムリが聖典を閉じると、エリィが眠っていることに気づいた。

 カムリは彼女をベッドに移した。やはり赤ん坊だ、と思いながら静かに扉を閉めた。




 その日、聖遣は本や剥製のある広い部屋で過ごしていた。カムリは扉を開ける。

「あ、パパ」

 エリィは手を振って、広い部屋の遠くから駆けてきた。腕には包帯を、脚には錘がついている。錘は浮き上がらずに自分の足を使わせるためのものだった。包帯に覆われた腕には有脳体の一部が縫い付けられていて、融合が行われている。

「その呼び方はやめろ。俺は父親じゃない」

 エリィはカムリに抱きついて、顔を埋めた。そのまま口を開く。

「パパがパパじゃないなら、だれがパパなの」

「父親なぞ替えが効く。いずれお前にも、それらしい父親が充てがわれる」

 ぱっとエリィが顔を上げる。エリィの大きな瞳が揺れていた。

「カムリは、私のパパになってくれないの」

 エリィはカムリのコートを強く握る。彼はただ、必死な彼女を見つめている。

「かえられるなら、カムリがパパになればいい」

 カムリはしゃがんで彼女の頭を撫でた。ツインテールが揺れる。

「お前は聖遣になって戦いを終わらせるんだ。いつまでもこんな老い耄れの近くにいてはいけない」

 彼女が求めているのはこんな言葉ではないと分かっていながら、つらつらと回る舌にカムリは嫌悪した。エリィは一瞬顔を歪めて、その後笑顔をつくった。

「私が、聖遣になったら……みんな、喜んでくれるよね」

「あぁ」

「その中に、カムリもいるよね」

「もちろんだ」

 エリィはひどく寂しそうに笑った。振り返って、部屋に飾られた長大なタペストリーを見上げる。金や銀の糸で地球の海の生物が織られている。

「私、変身したら新しいうでが生えるんだよね?それってこんなかんじ?」

 エリィは明るい調子で端の方に描かれている海月を指差した。タペストリーの中で、海が透けて藍色になった細い触手が海流に漂っている。

「……色々混じってはいるが、こちらのほうが近い」

 カムリは少し離れた場所を人差し指でなぞった。岩場に佇む白い蛸の触手だった。エリィは近寄って覗き込み、目を輝かせる。

「蛸!きれいだね。あ、ビリビリするのはこの子でしょ?」

 そう言って今度は真っ黒にうねる鰻を指差した。

「こいつは電気を持ってるのか」

「カムリ、知らないの?この子は電気を流して狩りをするんだよ。電気鰻エレクトリック・イールっていうの」

 エリィは鼻高々に話す。右手の甲を光らせて、人差し指と親指の間に火花を散らしてみせた。

「私のビリビリは、この子がもとなんだよ」

「そうか。空鯨かと思っていた」

 エリィは首を傾げた。結われた髪が揺れる。

「くうげいってなに?」

「この星だけにいる生物だ。光っていて、空を飛ぶ、大きな……そう、これにそっくりだ」

 カムリは最も大きく描かれた鯨に視線をやる。エリィはまじまじと青い鯨を見つめた。

「空を飛んでるの!」

 満面の笑みを浮かべるエリィにカムリは頷く。

「外に出たら、見られるかな?」

 瞳を輝かせているエリィを見て、カムリは目を逸らした。

「……遠くには見られるかもしれない」

「街には来ないの?」

「お前は貴族の街に住む手筈だ。そこは空鯨が来ない場所に造られてる」

 エリィの声は小さくなった。

「……なんで」

「危ないからだ」

「見に行ったりできない?」

「お前は狙われている。外出は認められない」

 聖遣は瞬きをして、ふっと笑った。

「そっか。しかたないよね」




 第一王子が死んだ。王府の緊張感は高まっており、今にもはじけそうだった。カムリはいよいよ謀略に忙しく、エリィに会う時間も捻出しにくくなっている。キーボードを打つ彼の顎髭は伸び、隈は深かった。

「空佐、そろそろ休まれては」

 カムリの部下の若い女性が彼に声をかける。カムリはモニターの電源を落とした。忙しなく立ち上がる。

「今終わった。これから休む」

「聖遣のところに伺われるんでしょう?」

 カムリの荷物を整理する手が止まる。部下は意を決したように彼の目を見た。

「不肖を承知で申し上げます。空佐は聖遣と、これ以上関わりを持つべきではありません。第一王子派の武装蜂起は近いです。聖遣の護衛を任されるようなことがあれば、貴方は一層危険な立場になります」

 カムリは彼女を鼻で笑う。

「お前は俺の昇進を阻みたいのか」

「はい。私も貴方に巻き込まれて、目立ちたくありませんから」

 部下も口角を上げる。カムリの眉が少しだけ動いた。

「……なぜ、そこまでする」

「空佐が私の恩人だから、です」

 カムリはかけてあったコートを羽織り、部下を押しのけて進む。

「空佐!」

 部下の声は、もうカムリを動かせなかった。

「死にたくないなら、さっさと辞めることだ」

 カムリは微笑んで、扉を閉めた。部下は一人、仕事部屋に取り残される。届かないと分かっていたのに、言葉を抑えずにはいられなかった。

「私は、貴方も生きてほしいのです」




 聖遣は自らの背中に手を伸ばし、服の紐を解く。肩甲骨が露わになった。

「よし」

 硝子を隔てて、眼鏡をかけた研究員が命を下す。拉致型有脳体の枷が解かれる。

 有脳体と聖遣の背中が接地する。水の音がして、二つの生命の境界線が溶けていく。紅茶に牛乳を流し込むように、有脳体は滑らかに聖遣に吸い込まれた。

「今日は遅かったな。もう帰れ」

 研究員は駆けつけたカムリに言い放つ。カムリは彼を睨みつけた。

「部屋に入れろ。俺は呼ばれている」

 研究員は不服そうな顔をして、彼を通した。

 聖遣は身体を丸めて嘔吐している。駆け寄るカムリを見て、汗を流しながら微笑んだ。

「来て、くれたんだ」

「遅くなった」

 カムリは眉間に皺を寄せて、汗ばんだ彼女の背中をさする。薄い皮膚に骨が出っ張っていた。

「ごめ……目、開けてられなく、て」

 エリィはまた吐いた。

「しゃべるな」

「だって、しゃべらなきゃ、帰っちゃう……」

「近くにいる」

 エリィは目を開いてカムリの顔を一瞥し、糸が切れたように気を失った。


 カムリは横たわるエリィの手を握っている。彼は、自らがひどく動揺していることに動揺していた。

 聖遣になるということがどういうことか、赤ん坊を王府に引き渡すことがどういうことか、分かっていたはずだった。なぜこれほどに心が乱されるのか、分からなかった。

 彼は今まで墜とした敵機や、殺した人間や、傷つけた人間を思い浮かべた。

 本当は、彼は赤ん坊が恐ろしかった。触れただけで壊れてしまいそうだから。

 そういえば、女の子は殺したことがなかった。

「ここを、出るときに……」

 か細いながら、芯のある声を聞き、カムリは顔を上げた。

「私のコア、返してもらえるって、聞いたの」

 エリィは薄く目を開けて、心地よさそうにまどろんでいる。

「たましいって、あると思う?」

コアは……形がある。たましいは、わからない。目に見えないなら、ないんだろう」

 エリィはゆっくり目を閉じた。

「目に見えるものしか信じられないなんて、かわいそうだね」

「…………は……」

 カムリは化石している。エリィはもう寝息を立てていた。




 聖遣の居住地の移転が近づいていた。


 本で溢れた部屋の中で、グソクははたと物を書く手を止める。

「空鯨を?」

「……聖典にも、生物は生物と触れ合うべき、とあります。この星を好ましく思うことは聖遣の戦意高揚にも繋がるかと」

 グソクは鼻から息を吐く。

「無理だな。聖遣は高貴な身分だが、人を巻き込みすぎる我儘を受け入れられるほどじゃない。奴を移動させるには物騒な数の護衛を付けねばならんが、それでは第一王子派の物騒な連中に勘づかれる」

「しかし」

「らしくないぞ空佐。聖遣の気にあてられたか」

 グソクは立ち上がり、カムリの言葉を遮る。

「あれを可哀そうな奴だと思うな。心を許すな。我々は勝つために生きているのだ」

「……重々、承知しております」

「貴様には期待しておるのだ。空佐。私を置いて老け込むんじゃない。冷徹でいろ」

 それ以上言えることは無く、カムリは下がった。




 カムリは幾人もの研究員達を押しのけずんずん進み、重い扉を勢い良く開けた。

「カムリ?」

 エリィはカムリの物々しさに驚く暇もなく、彼に強く引き寄せられる。

 カムリは懐から拳銃を取り出し、聖遣の頭に突きつけた。研究員達がどよめく。

「お前、何を」

「黙れ。動いたら聖遣を殺す」

 エリィは驚きつつも、狼狽したそぶりは見せない。カムリは如何にも悪そうに、口角を上げた。

「車を用意しろ」




 カムリは荒野に車を飛ばしている。エリィは二分されて流れていく景色を楽しんでいた。隣を見て、助手席から無理やりカムリの膝の上に移動する。彼はハンドルを握り直した。

「運転の邪魔だ」

「でも、こうしてると後ろから撃たれないよ」

 何も返す言葉のないカムリにエリィはしたり顔を浮かべる。カムリの懐に硬い物を感じて、エリィは彼に問うた。

「この銃、触ってもいい?」

「好きにしろ」

 エリィが拳銃を取り出し、叩いたり振ったりすると、何も装填されていないリボルバーが飛び出した。鉛玉の一つも入っていない。

「やっぱり!」

「ガラクタさ」

 可笑しそうに笑うエリィを見て、カムリも少し笑った。




 車は砂漠に停められている。エリィとカムリは丘に寝転んで空を見ていた。

 空鯨が来る。果ての無い暗闇のなかを進む明かりが、次第に大きくなった。エリィは空に両手を伸ばす。手のひらに少し火花が散った。

「空って、私ひとりじゃなかったんだ」

 惚けたようにエリィが呟く。その瞳は輝いていた。

「空鯨だけじゃない。星もある」

 エリィは照らされていた。星々と、空鯨に。光に形は無かったが、とてもよいものだった。空からカムリに視線を移して、エリィは微笑みかける。

「ありがと、カムリ。私―――」

 カムリは不意に立ち上がる。その視線の先には、影があった。

「迎えだ」

 黒塗りの大きな車が砂を撒き散らして止まった。眼鏡をかけた研究員と機動隊、合わせて五人が出る。全員がカムリに対して銃を向けた。研究員は聖遣が無事であることを見て取り、安堵する。ゆっくりと歩み、研究員が口を開いた。

「聖遣を返してもらう」

 カムリは両手を上げようとした。


 エリィが突然膝を折り、地面に手をつける。

 瞬間、エリィの手の甲が眩く光った。


 咄嗟に瞑った目を開けると、カムリは息を吞んだ。研究員達は地面に倒れ伏している。目だけがこちらを睨んでいた。

「私、覚えてるよ」

 エリィが立ち上がる。振り向いてカムリを見た。

「カムリも、こうして助けてくれたよね。赤ちゃんの私を」


 遠い昔、カムリは赤子のエリィを抱いて追手から逃げていた。エリィが大声で泣いていたから、追手は易々と彼等を追い詰めることができた。この状況で逃げ切ることは不可能、と判断してカムリは追手を誘い出し、その脳天を撃った。

 どうして、目を覆ってやらなかったのだろう。


「これは、恩返し!」

 エリィは両手を広げてにっこり笑った。

 カムリは彼女に近づいて、その頭を叩いた。

「これは、いけないことだ」

 エリィはカムリの重苦しい声を聞く。きょとんとしていたが、見開いた瞳にじわじわ涙が滲んで、わっと泣き出した。

「だって、つ、つかまったらカムリ死んじゃうもん!みんなころしたわけじゃないっ、ちょっとしびれさせただけ。なんで、カムリは良くて私はダメなの」

「お前と俺とでは、何もかも違う」

「わかんない!カムリのばか!みんな、私が守らないとしんじゃうくせに!みんな私をたよりにしてるくせに!」

 エリィは泣きながら怒っている。カムリは目を細めて、安堵した。


 銃声が鳴って、カムリはよろめく。彼の右腕から血が流れた。

「カムリ!」

 悲痛な叫びが響く。見知った気配を感じて、聖遣は振り返った。

「誘拐旅程(キッドナップ・ツアー)は楽しめたか?」

 弾の主はグソクだった。続いてもう一台車がやって来て、慌ただしく警護者が降車する。聖遣は歯を食いしばった。

「グソク……」

 握りしめた聖遣の拳が光る。

「安心しろ、そいつを殺す気はない。私は銃が上手いのだ。最初の一発で空佐の頭を吹き飛ばせた」

 つかつかとグソクは聖遣に詰め寄る。

「ただ、これ以上お前が逃げ回るのなら、流れ弾の一発や二発、覚悟せねばなるまい」

 グソクのそばに控える人間は銃を構え続けている。彼は錠をかけるため、聖遣の腕を掴んだ。

 聖遣は手のひらを強く発光させる。二人の間に電気が流れた。グソクは少し眉を寄せたが、なんともないようだった。

「そよ風だな。貴様はまだ聖遣として不完全だ。早く憎きサードアースの愚民どもに雷を落とせるようになれ。貴様の生きる意味はそれだけだ」

 空鯨のいつの間にか通り過ぎ、周囲は闇に包まれて、グソクは聖遣の手を縛った。

「約束。カムリは殺さないで」

「そのつもりだ」

 聖遣はもう抵抗しなかった。身を焼き尽くしそうなほどの怒りを内にこらえながら、黙って歩く。カムリを振り返らずに、車に乗った。

 グソクは聖遣が離れていくのを見届けて、拘束されたカムリに向き直る。

「聖遣は使えると思った。俺があいつの力を手にすれば、全てを変えられると……そう思った」

「心にもないことを。貴様が何と言おうが、聖遣を罰するようなことはしない」

 グソクは嗤う。カムリは憑き物が落ちたように息を吐いた。強く風が吹いた。

「コアを抽出したのち、鞭打ちだ。殺すなよ」




 聖遣は貴族の館に住を移した。


 扉が開いて、真っ暗な部屋に光が差し込んだ。眩しくて、カムリは目を覚ます。コートは破れ、血に塗れていた。両手を椅子の後ろに縛られている。

 カムリはなんとか言葉を絞り出した。

「王子……なぜ、殺さんのです」

 逆光を受けて険しい顔をしたグソクがカムリを睨んでいる。

「唯々諾々の下僕はいらん。若輩者の私には貴様のような配下が必要なのだ。貴様のような、転覆の力すら持っている者がな」

「この老い耄れに、そんな力は残っていませんよ」

「貴様は」

 グソクは懐からコアを取り出した。

「私が聖遣に無法を働けば、私をも殺すだろう」

 コアは鈍重に赤く光っている。

「聖遣は魂を持たない。全ての魂無き人間を受け入れるために。魂無き者は輪郭を失い、聖遣に触れれば忽ち同化する。しかし、このコアを持っていれば、貴様は聖遣に触れることができる」

 カムリは鼻で笑う。血と汗で汚れた口端が歪んだ。

「王子に従えば、聖遣の隣に居られるとでも仰るつもりですか」

「いいや」

 グソクはカムリのコアを強く握りしめた。何にも包まれていないそれは、容易く割れた。果実を握り潰したように、破片が飛び散る。手に破片が刺さって、血も数滴落ちた。

 カムリはただ目を見開いている。グソクはつかつかと彼に近づき、紅に染まった右手で、胸倉を掴んだ。

「カムリ!我が腹心!俺の為に生き、俺の為に死ね!」

 乱暴に手を放し、グソクは踵を返した。開いた扉の前に立ち止まり、振り返らずに言葉を残す。

「……従わなくば殺す」

 入れ替わりに配下の女性が入ってきて、神妙な面持ちで彼の鎖を解いた。


 ……また、生き残った。




 その日は風が無かった。

 カムリ等、第二王子の配下は、聖遣を狙う第一王子派の勢力の殲滅に赴いていた。彼等の拠点は棄てられた貴族の屋敷であり、石と鉄でできた巨大な建造物に銃火器と兵士が集められているという話だ。深夜にそこへ辿り着いたカムリ達は暗視ゴーグルを付け、眠っている敵勢力に奇襲をかける。

 北風が旅人の帽子を攫っていくように一方的で、容易かった。

 土足で屋敷を踏み荒らし、先刻まで眠っていた兵を撃つ。照明は積極的に破壊した。暗がりの中で足音、銃声、悲鳴が氾濫する。第一王子派の兵士の多くは敵をはっきり視認することすらできないまま絶命した。


 カムリは各部隊に指示を出しつつ、部隊を連れ死体と血の点在する廊下を歩いていた。ほぼ制圧が終わっている。突き当りの部屋の前にいた彼の部下が振り向いた。

「今、一人この部屋に逃げ込みました。生き残りはそれだけかと」

 部下の女性が声を潜める。その場の全員で扉の前に立ち、視線を交わした。

「突入だ」

 カムリは複数の部下と共に扉を蹴破る。


 その瞬間、何かが廊下へ投げ込まれた。閃光弾だった。カムリ達の視界が歪む。暗視ゴーグルは強すぎる光に耐えられなかった。

 幾つもの銃声が響く。

 咄嗟に物陰に隠れた部下の女性が恐る恐る目を開けると、狭い部屋に立っているのは二人の男だけだった。

「なんだ、俺のやったコート、まだ着てんのか?」

 死線にいるはずの老いた男は、軽く言った。カムリは銃を構えながら、正面に立つ老人を凝視している。

「隊長……なぜ、ここに」

 カムリは肩から、隊長は腹から血を流している。カムリの黒いコートは流れる血も隠した。

「もう隊長じゃねえよ。俺はずっと……妻と子が殺された時から、第一王子派なのさ」

 隊長はへらへら笑った。汗が吹き出し、ずるずると膝を折る。

「お前、片目にしかゴーグルやってなかったな?……完敗さ」

 隊長はもう銃を構えていない。彼の足元に血だまりが広がっていく。

「もう、辞めたと思っていた。あなたは、戦争から上がったのだと……」

 カムリはそう言って目を伏せた。死にゆく老人は壁にもたれて少し笑う。

「ひでえ顔だな。だから、目立つなって言ったのに。こんなとこにいて……エリィのそばに居てやらなくていいのか?」

「俺は……」

「行けよカムリ。お前の名前を呼ぶのは、俺とあの子くらいなもんだろ」

 カムリは奥歯を噛む。ロングコートをはためかせて、踵を返す。生き残った部下に視線を送って、扉を開けた。




 その日は聖遣の遣星の日だった。第一王子派の勢力から聖遣を守るため、極秘裏にサードアースへ送られる。隊長には漏れていたようだが。

 朝が来ようとしていた。


 頭に包帯を巻いた女性が、グソクに上奏する。

「空佐が……」

「好きにさせろ。あの手合いは、止まれんのだ」

 グソクは高い建物から、広場に停まった宇宙船を見下ろしている。多くの警備が、船に乗り込もうとする聖遣とその家族を護衛していた。その警備の中を割って進む者がいる。血を流し、息が上がり、おおよそ脅威にはなり得ないであろう疲れ果てた男だった。聖遣は赤いコアを首に下げ、父親と母親に手を引かれて、階段を上っている。

「エリィ!」

 男はついに聖遣の近くまで辿り着いて、柵に縋りついた。名を叫ぶと、聖遣が立ち止まり、こちらを振り向く。彼女は父親と握っていたほうの手を離した。

 カムリは彼女に向かって手を伸ばした。


 聖遣は横たわっている人間の死体に向かって手を伸ばした。無意識のうちに、触手もそれに合わせて持ち上がった。彼女の本当の手ではなく、後付けの触手が死体に被さる。

 ぐちゅ、と水の音がして、死体は触手の中に溶けていった。

 聖遣はまだ手を下ろせずにいる。彼女は目を見開いたまま、しばらく動けなかった。



 彼女は微笑んで、小さく手を振った。それだけだった。

 カムリは目を剝いて、しばらく動けなかった。

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コアワルツ・リィンカーネーション 彷徨南無 @houkounamu

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