元社畜は、S級探索者『魔砲少女』と契約して魔力バッテリーにされる。S級ダンジョンのボスも一撃で蒸発させる彼女を、俺のスキル『ギフト』で、МPをフルチャージして無双させます

速水静香

第一章:地獄の日々からの脱出

第一話:МPゼロのゴミ

 ピコピコピコ、と安っぽい電子音が部屋に鳴り響く。

 ほとんど眠れなかった頭に、アラームの音が突き刺さる。手を伸ばし、スマートフォンの画面を乱暴にタップして音を止めた。

 薄暗い天井を見つめる。

 六畳一間、ユニットバス付き。壁の薄い、ありふれたワンルームのアパート。ここが俺の城であり、今の俺の全てだ。


 俺、二十三歳。


 大学を卒業し、新卒で入った企業を、わずか一年で退職した。


 理由は単純。いわゆるブラック企業だったからだ。


 朝から晩まで、上司の怒声がフロアにこだまする。タイムカードを切ってからが『本番』と呼ばれる謎のサービス残業。終電を逃し、オフィスの硬い床で仮眠を取り、始発でこのアパートにシャワーを浴びるためだけに戻る。

 そんな日々を繰り返した結果、ある朝、俺の体はまったく動かなくなった。玄関のドアノブに手を伸ばすことすら、できなかった。


 それっきりだ。


 心も体も、すっかり使い古しの雑巾みたいにくたびれ果ててしまった。

 今は無職。貯金を切り崩しながら、このアパートで無為な日々を送っている。

 床には、昨日食べたコンビニ弁当の空き容器と、飲み干した空のペットボトルが転がっている。

 ああ、そういえば。

 俺はおもむろにスマートフォンの銀行アプリを開く。表示された数字に、またため息が出た。


「……今月の家賃、払ったらマズいな」


 独り言は、誰にも拾われることなく、薄暗い部屋に落ちた。


「……行くか」


 重い体を無理やり起こし、昨日から着たままのヨレヨレのシャツの上に、安物のプロテクターを身につける。

 玄関のドアを開け、錆びついた階段をギシギシと鳴らしながら外へ出た。



 向かう先は、探索者ギルドの新宿支部だ。

 俺には、暇な学生時代に取得した『探索者』ライセンスがある。これが、今の俺の唯一にして最低の収入源だった。


 この『探索者』ライセンスは、『次元の断層』と呼ばれる異世界への裂け目から這い出てくるバケモノどもを討伐することができる資格、その許可証だった。


 奴らを討伐し、人類の生活圏を守るため、魔法の力に目覚めた者たち――『探索者』。

 探索者はモンスターを倒して得られる素材をギルドで換金し、莫大な富を築く。

 才能さえあれば、一攫千金も夢じゃない。今やスポーツ選手やアイドルよりも人気のある、花形の職業だ。


 ……まあ、それは、本物の才能があればの話だが。

 そう、ごく一部の運に恵まれた、高ランカー以外は今の俺のような……。いや、もうこの話はやめよう。


 新宿駅の雑踏を抜ける。


 パリッとしたスーツに身を包んだサラリーマンたちが、忙しない足取りで俺の横を通り過ぎていく。

 その姿を見るだけで、胃がきりきりと痛む。あの黒いスーツは、俺にとってはかつての戦場――いや、処刑場へ向かう囚人服のように見えた。


 ギルド支部は、都庁の近くにそびえ立つ高層ビルだ。


 エントランスは高級ホテルのようにきらびやかで、最新鋭の装備に身を包んだ、いかにも『デキる』探索者たちが行き交っている。

 俺は、そんな彼らと目を合わせないように、壁際をコソコソと歩き、一番端にある薄暗いカウンターへと向かう。


「雑務の受付……お願いします」

「はい、ライセンスカードを」


 受付の職員は、こちらに視線をやるでもなく、機械的に手を差し出す。

 俺はポケットからくたびれたカードケースを取り出し、ライセンスカードを提示した。

 職員はそれを端末に読み込ませ、一瞬だけ俺の顔と、端末の表示を見比べる。その目に、あからさまな軽蔑が浮かんだのを、俺は見逃さなかった。いや、もう見慣れた。


「……Fランク、相田さんですね。今日はDランクパーティー『グリムリーパーズ』様の荷物持ちです。 第3ダンジョンゲート前で待機してください」

「……はい。わかりました」


 俺のランクはF。

 最底辺。 ギルドに登録されている探索者の中で、これ以下のランクは存在しない。

 Fランクの仕事は、戦闘行為の一切ない、こうした雑用だけだ。



 指定されたゲート前で、壁にもたれて待機する。

 ダンジョン攻略に向かうパーティーの邪魔にならないよう、ひたすら息を潜める。これが俺の仕事だ。

 手持ち無沙汰に、俺はスマートフォンを取り出し、探索者専用アプリを起動した。

 『ステータスオープン』――そう心の中で唱える必要すらない。アプリが俺の生体情報を読み取り、視界の端に半透明のウィンドウを表示させる。


================

名前:相田 ショウ(アイダ ショウ)

ランク:F

レベル:1

HP:85/85

MP:0/0

スキル:【ギフト】Lv.1

================


 これが、俺の全てだ。

 二十三年間生きてきた結果が、これだ。


 HP85。これは一般人の成人男性と変わらない。いや、むしろ平均より低いかもしれない。


 そして、最大の問題がこれだ。


 MP:0/0。


 ゼロ。皆無。


 探索者とは、すなわち魔力を持った人間のことだ。その魔力を使って魔法を放ち、身体能力を強化し、モンスターと戦う。

 だというのに、俺の魔力はゼロ。

 俺にできるのは、こうしてステータス画面を視認することだけ。

 ライセンス取得時の講習で、教官に言われた。


「魔力ゼロの人間が探索者登録されたのは、私が知る限り、君が初めてだ。……君が必要だと判断した以上、ライセンスは発行する。まあ、正直、別の仕事に就いた方がいいと思うが……せいぜい、荷物持ちでもして日銭を稼ぐといい」


 あの時の哀れむような、それでいてどこか面白がるような目を、俺は一生忘れないだろう。

 そして、唯一のスキル【ギフト】。

 これもまた、どうしようもない『ゴミスキル』だった。

 スキルの詳細欄をタップする。


【ギフト】Lv.1:

 自身のリソースを、契約した相手に転送する。


 これだけだ。

 一見すると、サポート系の有用なスキルに見えるかもしれない。


 だが、このスキルには致命的な欠陥がある。


 まず、このスキルは魔力ゼロの俺がこれを使うには、まず俺自身がMPポーションなどで譲渡する魔力を得る必要がある。

 これなら、俺のスキルなんかあてにせず、そのままポーションを飲んだほうが良い。


 それに『契約した相手』にしか譲渡できない。

 この『契約』とは、『専属契約』のことで、冒険者として相方を選ぶ、重要な契約だ。

 誰が、魔力ゼロで戦闘能力皆無、おまけにスキル発動のために高価なポーション代を負担させなければならないFランク探索者と、わざわざ専属契約など結ぶだろうか?


 答えは、否だ。


 ライセンスを取得してから数年、俺はこのスキルをただの一度も発動させたことがない。


 だから、俺のレベルも1のまま。スキルレベルも1のまま。

 俺は、探索者でありながら、探索者ではない。


 ただの荷物持ち。

 あるいは雑用係。

 ブラック企業にいた頃と、何ら変わらない。


「おい、Fランの」


 思考の海から引き戻したのは、低く、不機嫌そうな声だった。

 見上げると、重装備に身を包んだ男が三人、俺を見下ろしていた。今日、俺に荷物持ちを依頼してきたDランクパーティー『グリムリーパーズ』の連中で間違いないだろう。


「お前が荷物持ちか? つかえねー面してんな」

「す、すみません。よろしくお願いします」


 俺は慌てて立ち上がり、深々と頭を下げる。

 リーダー格の男は、鼻を鳴らした。


「いいから、これ全部持て。俺らは先に中層まで行く。お前は入り口付近の安全地帯で、俺らが倒したゴブリンの素材でも掃除しとけ」

「は、はい!」


 ドサドサと、巨大なバックパックや、予備の武具が入ったケースが俺の前に積まれる。

 全部、俺一人で運ぶのか。

 文句なんて言えるはずもない。俺は必死にそれらを背負い、両手に抱えた。

 ズシリ、と全身に重みがかかる。

 社畜時代、真夜中のオフィスで、終わらない量の資料を運んでいた時のことを思い出す。


「……あ、あの」

「あ? なんだよ、まだなんかあんのか」

「いえ、あの、こ、この資料は、どちらまで……」

「チッ。こっちだ。さっさとしろよ、トロいな!」


 男は舌打ち一つして、ダンジョンの入り口へと歩き出す。

 俺はよろめきながら、その背中を必死に追いかけた。

 背後から、残りのパーティーメンバーたちの嘲笑が聞こえる。


「マジかよ、あいつ。MPゼロのFランクだってよ」

「荷物持ち専用スキル(笑)とか言われてる奴だろ? 使えねー」

「あんなの雇う金あるなら、ポーションの一本でも買いてえよな」


 聞こえている。

 全部、聞こえている。

 だが、俺は何も言い返せない。事実だからだ。

 俺は使えない。

 だから、俺には価値がない。


『おい相田! お前、何度言ったらわかるんだ! この営業電話もまともにできねえのか!』

『すみません、すみません!』

『お前の代わりなんていくらでもいるんだよ! わかってるのか!? 使い捨てのゴミが、生意気に意見するな!』


 ブラック企業時代の上司の怒声が、頭の中で反響する。


 そうだ。俺はゴミだ。

 あの会社では、数字すら出せなかったゴミ。


 ここでは、無能でゆえに荷物を運ぶためだけの消耗品に成り下がっている。


 どこへ行っても、俺は俺のままだ。


 必死に荷物を運び、ダンジョン入り口の安全地帯で、彼らが戻ってくるのを何時間も待った。

 戻ってきた彼らは、血と泥に汚れた装備のまま、俺が運んできた荷物から予備の武器やポーションを無造作に漁り、またダンジョンの奥へと消えていく。

 俺は、彼らが捨て置いたモンスターの素材――ゴブリンの耳や、牙のかけら――を、指示された通りに拾い集める。


 これがFランク探索者の仕事。そして、俺の現実。


 夕方。


 ようやく解放された俺は、雀の涙ほどの日当を握りしめ、ギルドを後にした。

 体は死んだ遺体のように重く、精神はすっかり擦り切れていた。

 とぼとぼと、アパートへの道を歩く。


「……三日分の食費にはなるか」


 家賃には、まだまだ足りない。

 誰も待っていない、薄暗いワンルームの部屋を思うと、足取りはさらに重くなる。


 俺だって、こんなはずじゃなかった。

 だが、現実はFランクの荷物持ち。


 MPゼロのゴミスキル持ち。

 俺は、社会から必要とされていない。


 ふと、足が止まる。

 いつも通る、新宿駅近くの公園。日が落ちかけて、人通りもまばらだ。

 近道のために公園を抜けようとした、その時だった。


 キィン、と金属を擦るような、不快な音が耳の奥で鳴った。


 なんだ?


 空気が、ピリピリと肌を刺すような感覚。

 これは、探索者技能講習で習った、『次元の断層』発生の前兆――。


「まさか」


 俺が顔を上げた、その瞬間。

 公園の中央、噴水の上の空間が、ビリビリと音を立てて裂けた。

 まるで、黒い画用紙をカッターで切り裂いたかのように。

 そこから、ドロリ、と粘度の高い闇が溢れ出す。


「うわっ!?」


 俺は思わず尻餅をついた。


 まずい。まずいまずい!

 モンスターだ!

 俺は戦闘能力ゼロだぞ!


 俺の絶望的な日常が、今、さらに最悪の形で塗り替えられようとしていた。

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