放課後の約束は、君の笑顔の中に。

神田 双月

放課後の約束は、君の笑顔の中に。

 チャイムが鳴って、教室に静けさが戻った。

 放課後の光が差し込む窓際、黒板のチョークの粉が淡く浮かぶ。


 僕――**相沢湊(あいざわ・みなと)**は、ひとりでノートを閉じた。

 今日も誰ともあまり話さずに、一日が終わる。

 いつものことだ。


 「……あ、まだいたんだ」


 声がして振り向くと、教室の扉のところに**転校生・桜井澪(さくらい・みお)**が立っていた。

 長い黒髪を後ろで結び、制服のリボンを少し緩めている。

 彼女がこのクラスに来て、まだ三日。

 なのに、すでに何人もの友達ができているらしい。


 「うん、ちょっとノートまとめてて」


 「真面目だね。……私、わかんないとこ多くてさ」


 「転校してきたばっかだし、仕方ないよ」


 「ねぇ、教えてくれない?」


 唐突なお願いに、少し驚いた。

 けど、断る理由もない。


 「いいけど……どこ?」


 「英語のここの文法。この“would”って、どうして過去形なの?」


 「あぁ、それは仮定法ってやつで――」


 説明しているうちに、澪はじっと僕の顔を見ていた。


 「……なに?」


 「ううん。相沢くんって、話すと優しいね」


 「え?」


 「最初、怖そうな人かと思ってた」


 「それはひどくない?」


 「ごめん、ごめん!」


 笑いながら手を合わせる澪。

 その笑顔が、窓から差し込む夕陽に照らされて、少し眩しかった。


 ***


 それから放課後になると、彼女はよく僕の席に来るようになった。

 「ここ教えて」「ノート見せて」

 そんな何気ないやり取りが、だんだんと楽しみになっていった。


 ある日、澪がふいに言った。


 「ねぇ、相沢くんって、放課後どこ行くの?」


 「家。寄り道とかしないタイプ」


 「つまんなーい」


 「……言うと思った」


 「じゃあさ、今日、寄り道しよ」


 「え?」


 「本屋さん。行きたいとこあるの。付き合って」


 「え、なんで俺?」


 「だって、放課後に一緒にいたら、なんか楽しそうじゃん」


 そんな無邪気な笑顔に、断れるわけがなかった。


 ***


 駅前の本屋。

 冷房が効いた店内に、インクの匂いが漂っていた。


 澪は文庫コーナーで立ち止まる。


 「これ!」


 差し出したのは、恋愛小説の新刊だった。


 「好きなの? そういうの」


 「うん。なんかね――“恋っていつ始まるのか”ってテーマらしくて」


 「へぇ」


 「ねぇ、相沢くんはどう思う?」


 「なにを?」


 「恋が始まる瞬間」


 「……そんなの、わかんないよ」


 「でしょ? だから、ちゃんと探したいの」


 その言葉に、僕は少しだけ胸が熱くなった。


 ***


 その日の帰り道。

 夕暮れの坂道を歩きながら、澪がぽつりと言った。


 「ねぇ、私、転校してきたのさ……急に親の仕事の都合で」


 「うん」


 「だから、またすぐ引っ越すかもしれないんだ」


 その一言で、胸の奥がざわめいた。


 「……いつ?」


 「わかんない。でも、あんまり長くはいられないと思う」


 彼女は笑っていたけど、その笑顔はどこか無理をしていた。


 「だからね」


 「うん」


 「この学校で、ちゃんと“思い出”作りたいの」


 「思い出?」


 「そう。放課後に一緒に笑ったり、話したり、

 そんなのが一番残ると思うんだ」


 その言葉が、静かに胸に落ちた。


 「……じゃあ、俺でよければ付き合うよ」


 「ほんと?」


 「うん。お前が笑ってる方が、なんかいい」


 「ふふっ、ありがと」


 夕陽の中、澪の笑顔が揺れた。


 それが、僕らの“放課後の約束”になった。


 ***


 その後も、澪は変わらず放課後にやってきた。

 本屋、屋上、校庭、購買。

 他愛ない時間を積み重ねていくうちに、

 気づけば僕は、彼女の笑顔を探すようになっていた。


 ――それが、終わりに近づいているなんて知らずに。


 ***


 数週間後の放課後。

 彼女の席は、空っぽだった。


 担任が言った。

 「桜井さん、また転校だそうだ」


 胸の奥で何かが崩れる音がした。


 机の中には、小さなメモが残っていた。


 > “約束ね。思い出、ちゃんと作れたよ。

 > ありがとう、湊くん。

 >  もしまた会えたら――今度は恋の話、しようね。”


 文字が滲んで見えなかった。


 でもその瞬間、やっと気づいた。

 ――あのとき、恋はもう始まってたんだ。

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放課後の約束は、君の笑顔の中に。 神田 双月 @mantistakesawa

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