4_恋人

風の心地良い季節になった。教室の窓から広場が見える。先日開催された体育祭の期間中は練習場所として利用されていた場所だ。体育祭が終わり、騒がしさが消えたその場所はどこか寂しげに映る。青々としていた木々の葉が枯れ始めたことも寂しさの原因の1つだろう。


1年生は3階、2年生は2階、3年生は1階にそれぞれ教室がある。学年が上がるたびに階段を上らなくてよくなるシステムだった。3年生となった俺たちはその特権で毎日階段を上らなくてよくなったが、その代償として教室から景色を見下ろすことはできなくなってしまった。


ボーっと窓の外を眺めていると後ろから声を掛けられる。


「キークーチー君!」

元気のいい声の主のほうを見る。


「何か用?」

「いや、暇そうだったから絡んでやろうと思って」

「せっかく黄昏てたのに邪魔しないでよ」

「みんなが受験に向けて必死に自習している中、黄昏れてるなんて随分余裕だね~」

そう言ってニヤニヤした顔でこっちを見るのは"クルス アキラ"という女子生徒だ。

ナガさんほどではないが目鼻立ちは整っていて、少なくとも今のクラス内では一番可愛いのかもしれない。


「余裕があるわけではないよ。ただの息抜きだよ。ていうか、余裕があるのはむしろそっちでしょ?」

「まぁねぇー」

彼女は自信満々にそう返事をする。こんなバカっぽい喋り方をする彼女だが、こと成績に関しては学年1位の秀才だった。


「あ、どこかわからない箇所ある?教えたげるよ?」

「いや、いいよ。わかんないとこはセイヤとかに聞くし」

「つれないなー。シラクボっちより私のほうが成績いいんだけどなー」

頭を左右に揺らしながらおどけた調子でそんなことを言ってくる。肩にかからないショートボブの髪も一緒に揺れていた。


「自分のこと鼻にかける人は嫌われるよ」

「いやいや、私が何人の赤点を回避させてきたと思っているんだね。みなが私に恩があるのさ」

恩があっても嫌われるときは嫌われると思うが…。まあ、実際のところ彼女を嫌う人物は少ない。人を見下す発言が多い彼女だが、それは彼女なりのコミュニケーション方法であって、本気で見下しているわけではないと関わる人は理解している。それに赤点の話だって、彼女がその人たちを見捨てることなく真剣に付き合った結果なので、好かれているか嫌われているかで言えば、彼女は確かに好かれている。


「でもクルスのほうこそ勉強しなくていいの?いくら学年1位だからって目指している大学は超難関でしょ?」

学年1位というのは素晴らしいステータスではあるが、それはあくまで狭い枠組みの中に過ぎない。それこそ彼女が志望している大学は各学校の1位が席を奪い合うような場所だ。


「痛いところを突いてくるねぇ。でもね、私の気持ちもわかってほしいんだよ。朝起きたら2時間勉強!家に帰ったら4時間勉強!そんな生活を4歳のころから1日も欠かすことなくずーっとしてたら、自習の時間くらい友との談笑にも花を咲かせたくなるさ」

おちゃらけた口調でペラペラと口が回る彼女だが、その目にはどんよりとした絶望の色があるような気がした。彼女の親は勉強に厳しいタイプらしい。

勉強机で長い時間過ごす日常を頭では受け入れていても、心では受け入れることができない。彼女の語り口からはそんな感情が薄く見えた。


「だから、家以外ではたくさん雑談したいわけだよ。でも流石に受験生の邪魔をするわけにはいかないから。そんな時に暇そうに黄昏ている人がいたら話しかけちゃうよね。つまり君が悪いんだよ」

少ししんみりしかけた空気の中で、最後はなぜか俺が悪者にされた。この野郎...


でも、まあ、彼女にとっては家よりも学校のほうが休める場所なのだろう。ならばクラスメイトのよしみで少しくらい彼女のストレス発散に付き合ってあげるとするか。


それから10分弱の雑談を交わして、自習の時間が終わる。


窓の外を見るとアスファルトはオレンジ色に照らされ始めていた。少し前までこの時間帯は真昼間と変わらない空の青さを見せていたはずだが、季節が変わりこの時間帯の空の色は青よりもオレンジが多くなっていた。


この学校で、もう3回目の秋となる。ふと高校生活を振り返り、気付く。


リホと付き合い始めてもうすぐ2年となる。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


ここ最近の放課後の過ごし方といえば、学校の図書室で勉強会となっている。

今日も今日とて図書室へ向かおうと廊下を歩く。勉強会ならクルスも役に立つかと思い誘ってみたが断られてしまった。どうやら18時までには家に帰りつかなければいけないらしい。それでも1時間弱くらいは一緒に勉強できるとは思うが、仲良しグループに割って入るのは流石の彼女も心苦しいのかもしれない。


勉強会のメンバーは5人。俺とセイヤ、コウにリホ、そしてナガさんだ。

1年生の頃からずっと一緒にいるメンバーと思われるかもしれないが、意外とそうでもない。

2年生では俺とリホ以外は別々のクラスとなり、環境が変わったことでゆっくりとお昼を共にする相手や休日に遊ぶグループも変わっていった。俺個人に関してはあの文化祭以来、クラス内の友人が増え、リホとも付き合いだし、交友関係がそれなりに変わったこともある。

3年生になって今度はセイヤとリホが同じクラスになり、それ以外はバラバラになってしまった。

そうなることで少しずつ5人で集まることは減っていたのだが、些細なことがきっかけで夏休みに5人で遊ぶ機会が生まれた。それから今のように5人で集まることが日常にまでなったのだ。


図書室に入るとセイヤの姿があった。


「お疲れ。セイヤだけ?」

「ううん。さっきまでリホもいたんだけど、参考書取りに教室まで…あ、後ろ」

そう言われて振り返ると分厚い参考書を抱えたリホが図書室に入ってきた。


「あ、マー君。おつかれさま」

「うん」

短く返事を返して席に着く。

リホは相変わらずの二つ結びだが、その長さは胸のあたりまで伸びている。

身長に関してはリホも伸びたのだろうが、それ以上に俺が大きくなった。俺の身長は2年前のセイヤとコウくらいまで伸び、どちらかといえば高い部類になった。しかし、俺が成長した分、セイヤとコウも成長しやがったので身長差は縮まっていない。


「ねえ、マー君、ここわかる?」

勉強を開始して5分くらい経った頃、リホからそう問われる。


「あー、残念ながら俺もそこで悩んでた。シラクボ先生、ご教授お願いします」

勉強会メンバーで一番成績の良いシラクボ先生に解説を求める。


「うーん?どれどれー。あー、えっとね、ここはこーして…」

彼は丁寧かつ的確に難題を解き明かしていく。


「なるほどねー。完全に理解した。ありがとう」

完全に理解した気になった俺たちはセイヤにお礼を言う。似たような問題があったらまた躓くかもしれないが、その時はまた解説してもらおう。


それからしばらく3人とも集中モードに入り、俺の集中が解けかけたタイミングで図書室にコウがやって来た。コウは「よっ」と短く挨拶し、そのまま俺の向かいの席に座る。

その後すぐにナガさんも到着し、5人での勉強会が開始された。


「はぁ~」

静かに勉強を進め、わからない箇所があったら教えあって、勉強に適した空気となっていたところを気の抜けたため息で壊したのはナガさんだった。


「わかんないとこあった?」

コウがそう質問する。


「わかんないところは当然あるんだけど、このままだと今年の文化祭はやっぱり参加しないほうがいいのかな~って思って」

本校の文化祭において受験生は自由参加となっている。なので受験生は文化祭準備期間も勉強に費やし、文化祭当日だけ参加する者が大半となる。


「俺は文化祭当日だけ参加するつもりだけど、アイちゃんは何かするつもりなの?去年みたいにステージで踊るの?」

コウの言った通り、ナガさんは去年の文化祭で10人くらいの女子生徒とアイドルグループを結成し、歌とダンスを披露していた。リホが客席でやたらとはしゃいでいたのを思い出す。


「それもしたいんだけど、メンバーもほとんど受験生だから厳しいかな。せっかく最後の文化祭だからバンドとか演劇とかしてみたかったんだけど」

「大学にもそういうイベントはあるんだし、受験のほうに力を入れるべきじゃないかな」

ナガさんの願望に対して横から口を挟む。受験シーズンに入ってからナガさんも勉強を頑張りだしたが、他の受験生も当然頑張り始めたので、彼女の学内順位は大して変動していない。それに今の成績では彼女の志望校に合格するのは厳しいであろう。


「だよねぇ。私もみんなみたいにもっと頑張らないと。リホとキクチは3年生になってからだいぶ成績伸びたよねー」

ナガさんの言うとおり、俺とリホはそれまで学年で真ん中くらいの成績であったが、今は上の下くらいの成績である。ちなみにコウは1年生のときから今の俺らと同じくらいの成績をキープしている。


「私が成績伸びたのはシラクボ先生のお力添えあってのことだよ」

リホが偉大なるシラクボ先生の顔を立てる。


「まあ、ナガさんはそのシラクボ先生に中学から勉強教えてもらってるのにこれなんだけどな」

俺は悲しい事実を口にする。


「キークーチー。私もそれ思ったけど、なんで口に出しちゃうかなー」

ナガさんが怒ったような口調でそう返してくる。


「あ、ごめん。確かにアイのほうが私より教わってたね。結果的にアイのお馬鹿さが露見したみたいになっちゃったけど、わざとじゃないの。許して」

リホの悪意なき言葉がナガさんのメンタルを追撃する。


「凄い嫌みのはずなのに本当に私に申し訳ないと思ってるからリホは立ち悪いのよ。キクチみたいに私を傷つけるためだけに言ってくれたほうがまだダメージは少ないなぁ…」

「失敬な。俺が人の心を傷つけるのが好きみたいに聞こえるだろ」

俺はちょっとだけナガさんのお馬鹿さを突いただけというのに。


「実際、キクチは昔に比べて随分と私に毒を吐くようになったよね」

「そうかなぁ。ナガさんに毒を吐けるような弱点がたくさんあるのが悪いんじゃないか?」

「そういうところよ!?」

ナガさんのリアクションがいいせいでつい口が滑ってしまうんだよなぁ。


「でも文化祭、たくさんやりたいことあるのになー。あ!あれやりたい!あれ!」

ナガさんが再び文化祭に話題を戻す。あれあれ言っているのがどれかはわからないが、こいつは本当に文化祭期間中も勉強に集中する気があるのだろうか。


「何をやりたいの?」

「あれだよ!未成年の主張的なやつ!公開告白のやつ!」

未成年の主張は恋愛の告白だけではないのだが、今のナガさんの頭にあるのは恋愛の告白のことだけらしい。


「私が大胆にもセイヤに告白し、そして結ばれる。そんな展開はいかがですか?」

ナガさんがとんでもないことをセイヤに聞く。が、ナガさんがセイヤへの好意剥き出しなのは今に始まったことではない。どうやら1年の文化祭でセイヤに告白したらしく、それ以来ナガさんは解放され、いつ如何なる時もセイヤへの愛を表現するバケモノとなってしまった。もはや日常茶飯事の光景である。


「勘弁してくれ。アイのファンクラブに殺される」

呆れた声でセイヤが答える。優しく優秀で人望もある完璧人間の彼だが、ナガさんから好意を持たれ、あまつさえそれを拒み続けていることで、ナガさんの厄介ファンに殺意の視線を向けられることも多々ある。


「あ、もちろんセイヤが私に公開告白してくれるってのでもいいよ。そういうの超憧れ!一番理想のシチュエーションかも!」

セイヤの返事など聞き流し、彼女は幸せな妄想に浸っている。振られ続けている身でありながら、何故か公開告白を要求しているのは本当にどうかしてやがる。


「却下」

セイヤがバッサリとナガさんの提案を切り捨てて勉強に戻る。セイヤも1年くらい前までは申し訳なさそうにナガさんの告白を断っていたが、ここ最近はナガさんの告白方法が適当過ぎて、彼自身もバッサリ拒絶するようになった。そんな風に何度拒絶されてもナガさんがめげないのは、セイヤがナガさんのことを心の底から大切に思っていると伝わっているからだろう。


「でも、ナガさんのファンクラブは本当に過激だからなぁ。どうにかならないのあれ?」

俺はそう口にする。ナガさんのファンクラブ、正式名称『アイちゃん応援隊』は去年の文化祭でセイヤに格闘技での勝負の場を設け、挑戦者全員がセイヤに敗北したという珍事件を残している。ちなみに、その中には柔道部やボクシング経験者といったガチの強者たちもいたのだが、みんな歯が立たなかった。セイヤ曰く、勉強などは努力で身に着けたものだが、こと暴力に関しては幼き頃から天賦の才があったとのこと。


「私が一番どうにかしたいよぉ。あれ非公式だからね」

彼女はげんなりした顔で答える。彼女の知らないところで勝手にファンクラブができて、彼女が文化祭でアイドルをやったりする度に会員を増やしていった団体だ。マジで厄介な方々だな。ちなみに、『アイちゃん応援隊』の創設者であるリホは知らん顔して勉強を続けている。彼女は会員の暴走により例の珍事件が起きた際、自責の念を抱きファンクラブを脱退している。


「なんか集中力切れてきたな~。どうする?今日はもう帰る?」

どうでもいい話をし過ぎたのか、集中力の切れたコウが伸びをしながらそう言った。


「そだねー。どうせあと30分くらいで図書室からは追い出されちゃうし」

リホがそう返事し、本日の勉強会はお開きとなる。


それから各々片づけをし、校門のところでサヨナラする。俺はコウとセイヤと同じ帰り道だが、駅までリホを送っていくので少し遠回りして帰ることとなる。ナガさんについては全員と違う方向だ。


秋になり夕方は肌寒くなってきたが、今日に関しては気温が高めで少し暑いくらいだった。


「何か食べて帰る?」

空腹を感じてきたので彼女にそう提案する。


「お!いいねぇ。食べたいものある?」

聞かれて考えてみるが特に思い浮かばない。


「なんでもー」

適当に返事すると彼女は考え始める。


「それなら中華の気分かなー。でも勉強帰りのファストフードも捨てがたいなぁ。パンケーキとか食べたいけど夕飯としては微妙だしー。うーん」

悩み始めた彼女はいつもの癖で口先を尖らせ鼻に近づけている。

その姿にみっともないなぁという感想を抱く。


最後には中華を選択した彼女とエビチリやら酢豚をシェアしながら腹を満たした。

夕食を済ませた俺たちは駅に到着した。あと15分くらいで電車が来るらしい。彼女を駅まで送り届けた俺はまた明日と言葉を伝え、我が家を目指し歩き始めた。


空には雲が出ているらしく、月も星も全く見えなかった。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


『明日のデート楽しみ!この前コウに誕プレでもらった服を着ていくから楽しみにしててね!』

彼女からメッセージが届く。この夏から付き合い始めた1つ下の女の子だ。

学年の壁を越えて可愛い女の子がいるという話題は広がっていたので、1年前からその子のことは認知していた。去年のクリスマスに学生たちの間でパーティーが催され、そこで彼女とは初めて話した。


俺は以前付き合っていた彼女と別れたタイミングで、そんな時に今の彼女から猛アタックされて付き合い始めた。

最初は控えめだった彼女からのメッセージ文面は日に日に積極的になっている。

高校に入って5人目の彼女であり、その経験豊富な自分の見解では続いてあと3か月くらいかなぁと思った。俺と付き合った子は大体いつも最初の3か月で恋の燃料を使い切り、それから2か月後くらいに別れようと切り出してくるのだ。そして彼女は今がピークのように感じる。


ここまで恋人との別れ方の傾向が重なると、自分自身に何か問題があるのだろうと流石に気づく。しかし、何が悪いのか考えてみるがわからない。ちゃんと彼女を好きだと思っているし、夜中まで電話とかも付き合ってあげる。デート代とかも基本的に出してあげるし、彼女が求めていることを察して行動に移すことだってできているはずだ。


『コウって本当は私のこと好きじゃないよね…』

俺に別れ話をしてくる恋人はみんなこのような言葉を投げかけてくる。その言葉の真意だけは察してあげられたことがない。俺は彼女を好きだと思っているのに、相手はそう感じないらしい。言葉や行動でどれだけ好きだと伝えても、その終わり方は変わらなかった


周りから信じてもらえた試しはないが、付き合った女の子を俺から振ったことは1度もなかった。先ほど来たメッセージのように熱い愛情をぶつけられるが、最後は彼女のほうから別れを切り出してくる。向こうが別れを望んでいるのであれば仕方がないので俺はそれを承諾する。一時だけでも好きでいてくれてありがとうと心の中で感謝し、恋人という関係を終える。


「それ彼女と連絡してるのー?」

リビングのソファーに座っていると、3番目の姉から話しかけられる。


「うん。明日のデートについて話してた」

姉のほうに振り向き、そう答える。俺には3人の姉がいて、その全員が美形だった。しかし、性格がいいとは言えない人間性で、人の内面よりもステータスで判断するような人たちだった。といっても俺自身は姉が嫌いというわけではなく、どちらかといえば好きだ。家族なんてそんなもんではないだろうか。性格が多少悪くても許容できる。


「いーねぇー高校生。どうせ卒業して離れ離れになったら別れるんだし、今を楽しまなきゃね」

それが姉の意見らしかった。俺の恋愛に対する考え方も似たようなもんだが、どうせ別れるとか言われると少しだけ反発心も浮かんでくるので不思議だ。


「まあ、別れるかどうかは彼女次第かな。相手が拒まない限り、俺は求められてる彼氏をちゃんとするつもりだし」

それが俺の恋愛に対するスタンスだ。


「いいね~。実に私ら姉妹好みの男になったねー。でも、それじゃつまんないでしょ?」

「?...俺は今のままで十分楽しいよ?」

つまらないと言われて?が浮かぶ。18年という短い人生を恋愛というカテゴリーに絞って振り返ってみるが、大抵は楽しかった記憶ばかりだ。姉が何を思ってつまらないと言ったのか理解できなかった。


「伝わらないかー。きっと私たち姉妹のせいなんだろうねぇ。男が女の子に対して抱いている理想的なものを、抱く間もなく壊しちゃったから」

姉の目線を下に向け、目は開いているがどこも見ていないような感じだった。


「日頃から男はステータスって言ってる私が言うのもなんだけど、誰かと恋愛する上で一番大切なのはそこじゃないんだよ。コウみたいにステータスが高い人は、手放すのが惜しいってだけで、愛おしいってこととはイコールにならないんだ。わかる?」

珍しく、というより今まで見てきた中で一番と言ってもいいくらい姉が真剣に話していて、ちょっと気持ち悪い。


「あんまりわからない」

姉の言っていることの意味はわかるのだが、いまいち自分の中に入ってこない。


「結局はステータスも互いを繋ぎ止めるための要素でしかないってこと。まあ、それでもやっぱり私は一番じゃないだけで総合的にはステータスが超重要だと思うけど」

今まで思考のレベルが同列だと思っていた姉が、まるで達観しているような、この世の真実を知っているような口ぶりで話す。ただ賢いフリをしているだけかもしれない。


「まあ、お姉ちゃんの話は頭の片隅に入れとくよ」

「そうしなさい。さ、私はコンビニアイス買ってこよー」

そう言って姉は玄関に向かう。俺の分のアイスも注文したいところだが、それをすると俺が買いに行く展開になるので諦める。


明日のデートを楽しみにしつつ自室へ向かう。就寝の時間だ。

今のように彼女の恋の熱が冷めないうちは、お互い幸せでいられる。


そんなことを考えているとふと思う。マサムネのことを。

彼自身は気づいているのだろうか。


リホちゃんに向けている熱が冷め始めていることに。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


リホとキクチが喧嘩した。

そのため本日の勉強会はなんとなく気まずい。といってもキクチに関してはバイトでこの場にはいないのだが。受験生なのにバイトしてるなんて、彼の受験に対する余裕が伺える。


喧嘩の話に戻ろう。

喧嘩の経緯についてだがリホ曰く、

①デートの約束をしてた

②キクチ、バイトの先輩の送別会でドタキャン

③リホ、キクチに対して小言で攻撃

④最初は謝っていたキクチも不機嫌になり口喧嘩勃発

⑤口喧嘩にてリホの歯並びについて嫌味を言うキクチ

⑥リホ憤怒


それが昨日の出来事である。夜にリホから電話が掛かって来て、涙声で相談された。

デートをドタキャンした件については、いつものリホならばそれほど怒ったりはしない。前々から最近マー君が塩対応な気がすると弱音をこぼしてたので、その辺の不満が小言になってしまったのだろう。

リホについては、頭に血が上り口喧嘩してしまったことを反省しているようだった。歯並びというコンプレックスに触れたことはキクチが100%悪いと思う。


そんでもって今日の朝にリホがキクチに謝ったわけだが、キクチは『全然気にしてないよ』と冷たい目と声で回答。その態度にリホのイライラ度が再びアップ。

形式的には仲直りした2人だが、今日はそれから碌に会話もしておらず、怒りと悲しみを纏ったリホの顔は涙を浮かべながら険しい表情になっている。


他の男子2人も事情は知っているようだが、アサガオは敢えていつも通り振舞っている。セイヤは最初に『大丈夫?俺からマサムネに何か言っといて欲しいこととかあったら言ってね』と声を掛け、そこからはいつも通りだ。そんなセイヤの対応にキュンとしつつも、昨日の夜にリホから謝ってみようと助言し、その結果がこれな私はかなりキョドっていた。度々セイヤがいつも通りしろとアイコンタクトを送ってくるが、全然普段通りにできない。数分おきに明るい声でリホにジョークを言ってみるが、気を遣わせてごめんといった感じで微笑んできて、めっちゃ申し訳なくなる。


「セイヤ、採点お願い」

リホのケアも考えないといけないが、私は勉強のことも考えないといけない。愛おしい彼が私専用に作ってくれた小テストを解き終わったので採点をお願いする。


「了解」

と言って、彼は赤ペンで私の答案用紙にチェックを入れていく。あれ?チェックマーク多くない?全然丸を書いてくれないんだけど。まあ、外国とかは正解したら丸ではなくチェックマークを付けるって言うし、たぶんそういうアレ。


「アイ、ちゃんと集中して。凡ミス多い」

やべー。普通に叱られちゃったー。リホへ意識を向けすぎてて全然集中できてなかった。

せっかくセイヤが私のために用意してくれた小テストをこれ以上無駄にしないために気合を入れ直す。

それ以降は真剣に勉学に励み、本日の勉強会は終了する。


みんなと下駄箱へ向かう。外はもう薄暗く、いつもなら部活組以外の姿は見えない時間帯だが、廊下にも中庭にも結構な数の生徒がいた。今日から文化祭準備期間に入ったからだ。

その光景に胸が躍りだし、私も参加したくなるが受験生なのでそうもいかない。


下駄箱を通過し、正門で男子2人とバイバイする。リホとも帰り道は違う方向なのだが、今日は一緒に帰ることにした。


「キクチもキクチだよねー。リホから謝ってるのにあんな態度してさ!気にしてないとか言われたら、それ以上どうしようもないじゃんね!」

リホへの助言について万策尽きた私は悪口作戦に移行することにした。不満を吐き出せば少しは胸も軽くなるだろう。あと、私もキクチに対してムカついてきたのもある。


「でも、私の言い方とかが悪かったかもだし…」

ネガティブ状態のリホは弱音を吐く。

が、それも最初だけだった。話し始めて10分もした頃には

「だよね!態度悪かったよね!マー君だって絶対悪いとこあったのに何で私が悪者みたいに!そもそもはデートドタキャンしたマー君が悪いんだし!」

と不満を爆発させていた。それに対して私もキクチのイラっとする態度とかの話をしていく。


それから20分、この話題は大いに盛り上がり、リホも覇気を取り戻した。取り戻しすぎたかもしれない。やはり人間は陰口が好きな生き物なのか。そう思うと若干悲しい。


「ありがとね。愚痴聞いてくれて。すっきりした」

「全然大したことないよ。私も日頃から奴にはストレスを蓄積させられてたからスッキリしたよ!」

リホは笑っている。よかった。


「また明日、ちゃんと話してみるよ。今回みたいにウザいなーって思うところもあるけど、やっぱりマー君のこと好きだし」

それが彼女の出した答えだった。ちゃんと前を向こうとする彼女と友人でいられることを誇らしく思った。きっと仲直りも上手くいくと本気で思った。


だからこそ、その後の出来事でリホを拒絶した彼のことを、私は許すことができなかった。

リホがもう一度仲直りしようと決意を固めた次の日、結ばれていたはずの2人の関係は、千切れた。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


いつからだろう。彼女との関係を面倒だと思うようになったのは。

いつからだろう。魅力的に見えていた部分が色褪せて見えるようになったのは。


俺は変わった。体格も、交友関係も、学力も、考え方も、体力も、性格も。きっとそのほとんどが良い方向に。


身長はクラスでも高い部類で、友達もたくさんいて、勉強もできるほうで、バイトなんかでも頼れる存在として認知されている。昔のセイヤとコウの腰巾着の俺はもういない。

正しいはずだ。かっこいいはずだ。楽しいはずだ。今のほうが。

それなのになぜなんだろう。前のほうが幸せだったように思えるのは。


そして考える。


友達が増えたから、それに比例して遊びに誘われる機会も増えた。だけどリホとのデートがあって断ることが多かった。

見た目がマシになったからか、名前も知らない女の子から告白されたこともあった。当然、リホがいるからきっぱりと断った。

夜に好きな漫画の新刊を読んでるときに、リホから電話が掛かってきた。夜中まで電話が続いたため、漫画は読み終わらなかった。

学校行事でマラソン大会があった日も、いつものようにリホを駅まで送り、電車が来るのを一緒に待った。本当は疲れていたので、早く帰ってベットに飛び込みたかった。

小学生の頃から仲の良かった女友達と2人で遊ぶことができなくなった。別に恋愛感情なんてお互いに微塵もないのに。

バイト先のみんなとは仲が良く、何度かバーベキューしようという話になったが、リホとの予定が被り、結局まだ一度も参加できていない。


小さな小さな積み重ね。一つ一つは別に不満に思うようなことでもない。それでもそれらが積み重なって、リホとの関係がないほうが幸せなのではないかという考えが頭をよぎるようになった。

だから考えないようにしていた。リホを煩わしく思うなんて嫌だった。

だってそういうことを考える自分を自覚したら、自分を嫌いになりそうだったから。


別に彼女を嫌いになったわけではない。

顔はそこそこで、性格もいいほうで、周りからも羨ましいと言われることが多い。

そこまで考えて気づく。今の俺は、リホと付き合っていることで得られるステータスを気にしていることに。それに気づくと異様な気持ち悪さが込み上げてきて、自分はそんな奴じゃないと思い込もうとしてしまう。


いつの間にか、彼女の癖やコンプレックスをみっともないと思うようになってしまった。付き合い始めた頃は、そこすらも可愛いと思っていたはずだ。何が俺の考え方を変えたのだろう。あの頃の彼女に向けていた熱は…


そこまで考えて気づく。


何かが俺の考え方を変えたのだと思っていた。違う。そうじゃない。逆なんだ。

恋だ。

恋があの頃の俺を変えていたのだ。そして、その恋がようやく去って行ったのだ。


恋は盲目という言葉があるが、恋が去った今の俺は盲目ではいられないのだろう。

恋という体の内に大量の熱を生み出し、特定の相手を見るときだけフィルターをかける機能はもう失われたのだ。


それならば、どうすればいいのだろう。

どんな選択が正解なのだろう。

次の選択をしなければならない。恋という盲目の病から解放されたその目で。


目を開けた俺は―――


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


いつからだろう。明確にいつからということはない。当時は特に何も感じていなかったが、今こうして思い返してみると、半年ほど前から少しずつその変化があったような気がする。


付き合い始めてから、毎日のように私を駅まで送ってくれた。そして、電車が来るのをお喋りをしながら待ってくれた。最近でも駅まで送ってくれることに変わりはない。だけど一緒に電車が来るのを待ってくれることはなくなった。


デートの時、手をつなごうと言い出すのは彼のほうだった。それがここ最近は私のほうになった。手をつなぎたいと言っても、嫌そうにしたりはしない。でも、あの頃のような嬉しそうな顔は随分見ていない。


彼はかっこよくなった。髪のセットとか、コミュニケーションとか、スポーツとかまで上手になった。私は彼が努力によって、それらを手にしていくところを隣で見ていた。初めの好きかもという感情は少しずつ、でも確実に大きく膨らんでいった。彼の努力する姿が私を魅了した。そして成長し続ける彼が遠くに行くようで、ちょっとだけ寂しかった。


今回、大喧嘩した私たちだが、これまでも仲が険悪になることは何度かあった。それでもお互いにどう落としどころをつけるかを考え、最後はちゃんと納得しあって仲直りできた。今回の喧嘩もそういう風にできるはずだった。だけど彼は対話を拒んでいるようだった。


それでも私は、彼とちゃんと対話することを選択する。


「マー君、ちゃんと仲直りしよ。この前みたいに曖昧な感じじゃなくて、ちゃんと」

小さな公園のベンチ。右を向けば海が広がっていて、オレンジ色の夕日がこれから水平線に潜っていくところだった。風はもうすっかり冷たくなって、秋になったことをその身で感じる。

すぐ脇にあるベンチにはお互いに座ることなく、正面から向かい合う。


「…そうだね。ちゃんと話をしよう」

そう返事が返ってきた。よかった。マー君も話し合いをする気があったんだ。


「まずこの前のこと。マー君に予定が入っちゃったからって不機嫌な態度とってごめん」

ちゃんと最初のところから、悪かったことを1個ずつ謝っていこう。


「ううん。元は俺が急にデートを断ったのが悪いし、機嫌を損ねて当然だよ。ごめんね」

彼のほうからも謝ってくれた。やった、これでまた仲良しに戻れる。


「全然大丈夫だよ。むしろ最近は私のほうが束縛気味だったなーって思ったし。あと、喧嘩した時も酷い言葉たくさん言ってごめんね」

あの時の自分は本当に酷かった。頭に血が上りすぎて、考えるより先に暴言が飛び出していた。


「俺のほうこそ、リホを傷つけるつもりで嫌なこと言ってごめん」

「まあ、確かにあれは傷ついたなー。私が歯並び気にしてること、知ってるくせにあんな事言うなんてね。次言ったら許さないけど、今回は私にも非がたくさんあったので許します!」

ちゃんと仲直りできそうで安心した私は、冗談っぽく彼の謝罪を受け入れる。


「もう二度とあんなこと言わないよ。これで、仲直りはできたってことでいい?」

優しい表情を浮かべて彼はそう答える。


「うん!あ、仲直り記念にケーキでも食べに行かない?私が奢っちゃうよ」

心底ほっとしながら彼にそんな提案をしてみる。


「…行かない。…リホ、ちゃんと仲直りをした上で、話したいことがあるんだ。大事な話」

誘いを断られたので、まだ怒ってるのかなと顔を伺ってみるが、そこにあるのは真剣な表情だった。


「う、うん。わかった。話って何?」

ちょっと緊張しながら彼に尋ねる。


「…俺たち、、別れよう」

真剣な表情の彼から出た言葉はそんなものだった。

え?

理解が追い付かない。


「ごめんね、リホ。俺、ちゃんと考えたんだ。考えた上でわかった。俺はもう、リホのこと、好きではなくなった」

わからない。ちょっと待ってほしい。理解が追い付いてないのに彼の言葉が続いていく。


「好きじゃないってのは、人として嫌いとかじゃなくて、むしろ人としては好きで、だけど恋愛感情としての好きはもう終わったんだ。本当にごめんね」

「…」

言葉にならない。何と答えるべきかもわからない。口だけがパクパクと動くけれど、声を発することもできない。


「リホ?」

何も喋れなくなった私に対して、彼は心配そうに名前を呼ぶ。


「…え、えと、、、ごめん、急に言われたから、その、なんていうか、、、」

ようやく声が出た。それと同時に私の視線は下に落ちる。彼のほうを見るのが怖くなった。


「その、考え直したりは、、えっと、だから、、」

私の声は次第に情けない音になっていく。


「もう十分考えて出した答えだから。リホが話し合いたいなら時間は作るけど。俺の結論は変える気ないんだ」

、、、、あ、もうダメなんだ。彼の中では決まったことなんだ。そっか。それなら、えっと、どうすればいいんだろう?


「ごめん、なんて答えたらいいかわかんなくて…」

「うん。急に言ってごめんね。ちゃんと待つよ」

そう答える彼の声は優しいのに悲しい。

あぁ、答えを出さないといけないんだ。今、ここで、覚悟を決めないとな。


…やっぱり、嫌だなぁ...


そんな私の本音は聞かなかったことにして、私の口は動いていた。


「わかった。ちゃんと言ってくれてありがとう。もうマー君の中に、私が入る隙間はなくなっちゃったんだよね?」

弱弱しかった私の声はもう大丈夫そうだ。しっかり言葉を伝えられている。

でも、やっぱり彼の顔を見ることはできそうにない。


「うん。恋人っていう関係は終わりにしたい」

はっきりと彼は答えてくれた。


「わかった。私たち、別れましょう」

涙はこぼれなかった。


「仲直りを持ち掛けてくれてありがとう。この話はちゃんと、仲直りした上でしたかったから」

涙はこぼれない。


「それじゃあ、バイバイ」

そう言って彼は去っていった。

涙はこぼれない。

涙がこぼれていれば、彼は心配して立ち止まってくれたりしただろうか。


夕日はすっかり沈み、空は黒く、海はもっと黒く染められている。


この暗さなら、誰かが通りかかっても顔を見られることはないだろう。

そう思って、ようやく涙はこぼれ始めた。

長い時間をかけて、こぼれ続けた。

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