第19話 罪の共有

 昇降機を乗り継いで乗り継いで辿り着いた先は展望台。アルデバランはさらにその先の階段を行く。

 その間一言も話さないのだから、気まずいといったらなかった。特に昇降機だ。あの狭い箱の中で二人きり、静寂が随分耳に痛かった。

 螺旋状の石段を黙って登る。ふと下を見ると展望台の床から結構離れていて少し怯んだ。アルデバランが腕を掴んだたままでいてくれて良かった、と少しだけありがたくなった。


 階段の先にポツンと佇むこれまた重そうな扉。アルデバランが空いている方の手を軽く振ると音も立てずに開く。


 その部屋はロゼアリアの好奇心を大きく刺激した。


 見上げれば一面の星空。壁は本、棚には色々な大きさの瓶。光る鉱石やキノコが閉じ込められている。あのガラス器具は実験道具か? どこを見ても興味をそそる物で溢れかえっていた。ごちゃごちゃとしているが決して散らかっているわけではない。


(あれはベッド? でも本で埋まってる。カーネリア卿はベッドで寝ないのかしら)


 天蓋のついたベッドは本来の役目を放棄し、テーブルにでも生まれ変わったようだ。

 ようやくアルデバランが手を離し、ソファに座れと合図される。


 好奇心のままに部屋を見て回るには、今の空気は些か重すぎる。大人しくロゼアリアは座ることにした。

 そしてアルデバランといえば──長いローブを脱いだかと思えば、そのまま無造作に服も脱いでいく。


「は!? ちょ、なんでっ!?」


 なんで脱いでるの? ねえなんで脱いでるの??


 大慌てで腕で顔を隠すロゼアリア。その間にもアルデバランの上半身は何も纏わず、そのままの姿になっていた。


「これは月の女神が呪いをかけた印だ」


 アルデバランの声に、恐る恐るロゼアリアが腕の隙間から彼を覗く。なるほど、細身だとは思っていたが想像よりずっと細い。騎士団員と比べると半分くらいしかないんじゃないか。

 ではなく、彼の白い胸元には黒い月の紋章がはっきりと刻まれていた。二柱の女神を祀る神殿などで見る、月の印章とまったく同じものだ。


 繰り返される生と死。不老不死ではなく再生。彼が特異な存在であることを焼き付けるような印。


「昨日のお前の問いに答えてやる。死にたくないんじゃない。死ねないんだよ」

「生まれ直しは冥府の王との契約だって……」

「嘘に決まってる。エレトーが俺にかけた呪いだよ。誰が望んで生き地獄なんか選ぶ」

「なんで、そんな嘘を」


 アルデバランは冷たく笑うと、再び服を着始めた。そのことにロゼアリアはホッとする。


「背中の刻印は?」


 胸だけではなく背中にも紋章を刻まれている。太陽と片翼。それは初めて見る形だ。


管理者エリュプーパを継いだ証だ」

管理者エリュプーパ?」

「それも含めて話してやる」


 ローブに身を包んだアルデバランがお湯を沸かし始める。程なくして、目の前には爽やかな甘い香りの花茶。ただ、向かいに座ったアルデバランのカップから漂ってくるのは苦い香り。

 お茶会で彼がいつも飲んでいたのは同じ花茶だったはず。


(拒絶されてる……)


 ほんの些細なことだが明確に感じ取れる。今この瞬間も、アルデバランはロゼアリアを許していない。


「黒い魔法使いの話は知ってるだろ」

「それは、もちろん」

「その魔法使いの名はブレイズ・ステラ・カーネリア──かつての俺だ」

「…………え?」


 アルデバランが、黒い魔法使い? いや、かの魔法使いは確か処刑されたはずだ。そう考えて、ロゼアリアの動きがはたと止まる。

 生まれ直し。月の女神がかけた呪い。黒い魔法使いが殺した、太陽の女神。


「貴方が、黒い魔法使い?」


 太陽の女神を、世界を殺した大罪人。まさかそれが、目の前にいる男だなんて。

 無表情のアルデバラン。なぜ彼がこんな重大な話を始めたのか、その意図はまるで汲み取れない。


「厳密にはその生まれ変わりだ。アルデバラン・シリウス・カーネリアの名前に嘘偽りは無いし、この身体はブレイズのものじゃない」

「どういうこと?」

「アルデバランにとってブレイズは伯父だ。まさか俺も、実の妹をママと呼ぶ羽目になるとは思わなかったなぁ」


 くつくつとアルデバランが低く笑う。ロゼアリアは笑えない。彼は今、どんな気持ちでこの話をしているのだろう。


「……どうして、太陽の女神を殺したの?」


 アルデバランの口元から笑みが消え、また無表情に戻る。


「……女神の権能が欲しかった。世界まで殺したかったわけじゃない」

「どうして女神の権能を」

「理を作り直したかったんだよ。魔法使いかそうじゃないかで果てなく戦争が続くなら、その境界を失くそうと思った」


 魔法使いを率いて人間と戦い続けた黒い魔法使い。アルデバランが彼だったのなら、三百年人間を拒み続けたことに納得できる。そして、人間に対して嫌悪を抱いていることも。


 暗がりの中でもよく分かるアルデバランの両眼。どうやら、彼の瞳は僅かに輝いているらしい。


「私にこの話をしようと思ったのはなぜ?」


 アルデバランの視線がロゼアリアから逸れる。


「別に……ただの気まぐれだ」

「私がこのことを他の誰かに話したら?」

「その時はお前とソイツを消すだけだ」


 脅しているわけでもなく、淡々と紡がれる言葉。多くの人間を殺した黒い魔法使いなら、今さら一人二人殺すことくらい厭わない。


 アルデバランが片手で顔を覆う。その姿はとても疲れているようだった。


「どうせお前も百年後にはいない。俺からすれば些末なことだ」


 それはロゼアリアには到底理解し難い感覚だった。永遠と在り続ける彼だからこそ知り得る感覚。


「誰にも言わないわ。信じる人もいないでしょうし」


 こんな突拍子も無い話、アルデバラン本人から聞かなければ自分も信じなかった。


「生まれ直しの呪いは月の女神が与えた俺への罰だ。それを恨んだりはしないさ。今は、まだ」


 まるで長い旅路を歩いてきたようなアルデバランの言葉にロゼアリアは耳を傾ける。否、実際に彼は長い旅をしているのだ。既に三百年、そしてこの先にまた何百年と。もしかしたら何千年と続く旅路かもしれない。それも、たった一人きりの旅。

 アルデバランは途方に暮れていた。けれど受け入れていた。これこそが自分が背負うべき罪で罰なのだから。


「けどいつかきっと俺は俺の犯した罪を忘れる。自分が始めた戦争のことも、殺した人間の数も、女神の権能を奪おうとした理由も、世界を殺したことも何もかも。そうなったら俺は自分勝手にエレトーを恨み、憎むだろうな」


 多分、彼は誰かに話したかったのだ。一人で抱えてきたものを、ほんの少し軽くしたかったのだ。誰でもいいから、この苦しみを零したかった。

 けれど魔法使いには話せない。ブレイズだった頃から今日まで、彼は何よりも魔法使いを大切にしているから。


 ロゼアリアは立ち上がって、アルデバランの前へと移動する。投げ出された方の手に触れると、その指先は氷のように冷たかった。白い肌と相まってまるで死人。皮肉にも程がある。彼に永遠の眠りが訪れる日など無いのに。


「俺にできることはせいぜい塔に引きこもるだけだ。世界を殺して壊した責任をとるために、世界と一切関わらず過ごすことだけだ。いっそ全部忘れた方が楽なんじゃないかと思うよ」

「嘘」


 アルデバランの乾いた嗤いをロゼアリアは真っ向から否定する。


「世界と干渉したくないなら、どうして人間に魔法道具を与えたの。三百年も交流を絶っておきながら、どうして人間の暮らしを発展させたの」

「…………」

「どうして、私とお母様を助けたの」


 その理由をアルデバランは答えなかった。だから代わりにロゼアリアが答える。


「罪悪感があるのでしょう?」


 やはり、アルデバランは答えなかった。


「貴方は人間を殺したことに、世界を殺したことに、人々から太陽を奪ったことに、罪悪感をいだいてる。世界と関わりたくないなんて嘘。そうじゃないなら、嫌いな人間相手に便利な魔法道具なんか与えない」

「っ、」

「聞いて」


 振り解かれそうになった手をぎゅっと握る。そのままアルデバランの頭を抱き締めた。

 もしロゼアリアが、それこそ白薔薇姫のような美しく可憐な令嬢であれば、我がことのように心を痛め「ずっと一人で辛かったのね」と彼を慰めただろう。


 けれどロゼアリアは、ロゼアリア・クォーツ・ロードナイトという少女は、たしかに由緒正しい貴族の令嬢で、天真爛漫な普通の少女で、そして一つの部隊を率いる騎士であった。

 だから彼女は、まるで聖母のように優しく彼を抱き締めながら、その心臓に杭を打つことにした。


 アルデバランの手を握り、彼の頭を抱き寄せ、今から贈る一言一句から決して逃げられないように捕らえた。


「貴方のそれは決して責任を取ってない。ただ自分の罪から逃げてるだけ。貴方が空けた穴によって現れた魔物を始末しているのは私達人間なの。魔法使いではなく。少なくともグレナディーヌはそう。私ももう何度も前線へ出てる。オロルックの同期はこの前の遠征で片腕を失くした。それも利き腕を。義手を買えない彼はもう二度と剣を握れない。私達は既に、国のために命を賭けてる」


 自分の後ろには何百という騎士の命がある。父の後ろには何千、何万という騎士の命がある。さらにその後ろには、グレナディーヌの民の命がある。

 どれだけ魔物の脅威が増そうと、この責務から逃げるわけにはいかない。


「もう人間の手だけでは限界なの。私達は魔物の巣へは入れない。根本的に魔物を消すことができないから、巣がグレナディーヌの地を侵食していくのを、ただ見ていることしかできない。だから魔塔に助けを求めにきたの。貴方は一度だって話を聞こうとはしなかったけれど」


 自分でも驚くほど冷静な声だ。そうだ。初めから、これを伝えるために魔塔へ来たんだった。


「弱音はもう十分に吐いたでしょう。本当に責任を取りたいと思うのなら、自身の罪を償いたいのなら、今ここで立ちなさい」

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