第19話「2vs1の対立」

 ヴィクトリーファンドとの交渉は、順調に進んでいた。

「契約書のドラフトです」

 ショーンが、分厚い書類を広げた。

「出資額は五千万ニール。株式の三十パーセントと引き換え。取締役には、桐谷さんが就任」

「最終的な意思決定権は?」

 リドラが確認した。

「三人の創業者が保持。重要事項は、取締役会での承認が必要だけど、拒否権は俺たちにある」

「なら、問題ないな」

 リドラとショーンは、契約内容に満足していた。

 だが、アダムは黙っていた。

「アダム、何か気になることある?」

 ショーンが尋ねた。

「……いや、大丈夫」

 彼の表情は、硬かった。

 翌週。契約調印の前日。

 アダムは、一人で技術戦略を考えていた。

 投資を受ければ、エンジニアを増やせる。新しい技術にも挑戦できる。

 だが——。

「本当に、これでいいのか?」

 彼の心に、疑問が渦巻いていた。

 投資家が入れば、彼らの意向を無視できない。

 技術的な判断にも、口を出されるかもしれない。

 純粋に、良いものを作る。

 それが、自分の信念だった。

 だが、金の論理が入り込めば——。

「くそ……」

 彼は、頭を抱えた。

 その夜、三人は最終確認のために集まった。

「明日、調印だ」

 リドラが言った。

「これで、俺たちは新しいステージに進む」

「ああ。楽しみだな」

 ショーンも、笑顔を見せた。

「……待ってくれ」

 アダムが、手を上げた。

「やっぱり、俺は反対だ」

「え?」

 二人は、驚いた表情を見せた。

「今更、何を言ってるんだ?」

「ごめん。ずっと考えてた。でも、やっぱり納得できない」

 アダムは、立ち上がった。

「投資を受ければ、俺たちは変わる。純粋に技術を追求できなくなる」

「そんなことない」

 ショーンが反論した。

「契約書に、技術的な意思決定は俺たちにあるって書いてある」

「建前だよ!」

 アダムが声を荒げた。

「金を出す側が、力を持つんだ。いずれ、俺たちの技術は、投資家の利益のために使われる」

「それは、考えすぎだ」

 リドラが、冷静に言った。

「桐谷さんは、信頼できる人だ。俺たちの自主性を、尊重してくれる」

「お前、本気でそう思ってるのか?」

 アダムが、リドラを睨んだ。

「ああ。思ってる」

「じゃあ、お前は変わったな」

「何?」

「昔のお前は、もっと慎重だった。リスクを恐れてた。でも、今は金に目が眩んでる」

 その言葉に、リドラの表情が変わった。

「金に目が眩んでる? ふざけるな!」

「じゃあ、なんでそんなに投資を受けたいんだ?」

「会社を成長させるためだ!」

「違うだろ! お前は、父親を超えたいだけだ! そのために、俺たちの技術を売り渡そうとしてる!」

 その言葉に、リドラは激昂した。

「テメェ……!」

 彼は、アダムの胸倉を掴んだ。

「やめて! 二人とも!」

 ショーンが、間に入った。

「落ち着いて! 掟を思い出して!」

「掟?」

 アダムが、ショーンを見た。

「お前も、リドラの側なのか?」

「僕は……」

 ショーンは、言葉に詰まった。

「答えろよ! お前も、投資を受けたいんだろ?」

「……うん。受けたい」

 ショーンが、小さく頷いた。

「財務的に、これが最善の選択だと思う」

「最善?」

 アダムが、苦笑した。

「お前ら、金のことしか考えてないんだな」

「違う!」

 ショーンが叫んだ。

「僕は、会社のことを考えてる! みんなの給料を払うために! 三人の夢を実現するために!」

「夢? 投資家の言いなりになることが、夢なのか?」

「そうじゃない! でも、現実を見ないと——」

「現実、現実って! お前ら、理想を捨てたのか?」

 アダムの言葉に、二人は黙った。

「俺たちは、技術で世界を変えるって誓ったんだ。金のためじゃない」

「アダム、お前こそ現実が見えてない」

 リドラが、冷たく言った。

「理想だけじゃ、会社は続かない。金がなければ、技術も磨けない」

「金がなくても、やれる! 俺たちは、ゼロから始めたんだ!」

「あの頃とは、違う! 会社が大きくなった。社員もいる。責任がある!」

「責任? 投資家に魂を売ることが、責任なのか?」

 アダムの言葉に、リドラは怒りを露わにした。

「お前は、子供だな」

「何だと?」

「大人になれよ。ビジネスは、妥協の連続だ。理想だけじゃ、生きていけない」

「お前こそ、金の奴隷になったな」

 二人は、一触即発だった。

「やめて!」

 ショーンが、二人の間に割って入った。

「お互いを、責めないで! 掟を——」

「掟?」

 アダムが、ショーンを見た。

「掟を守ってるのは、俺だけだ。お前らは、金のために掟を捨てた」

「そんなこと、ない!」

「じゃあ、なんで俺の意見を、無視するんだ?」

 アダムの目に、涙が浮かんでいた。

「俺は、ずっと反対してた。でも、お前らは聞かなかった」

「聞いたよ! でも、納得できなかったんだ!」

 ショーンも、涙を流していた。

「僕だって、苦しい! アダムの気持ちも分かる! でも、財務的に限界なんだ!」

「……もういい」

 アダムが、背を向けた。

「明日の調印、俺は行かない」

「アダム!」

「お前らだけで、サインしろ。俺は、関係ない」

 彼は、オフィスを出ていった。

 リドラとショーンは、呆然と立ち尽くした。

「どうしよう……」

 ショーンが、震える声で言った。

「アダムがいないと、契約できない。三人の合意が、条件だから」

「……くそ」

 リドラは、壁を殴った。

 その夜、二人は徹夜で話し合った。

「アダムの気持ち、分かるんだ」

 リドラが、疲れた表情で言った。

「俺も、投資を受けることに不安はある」

「じゃあ、なんで——」

「でも、これが最善だと思うんだ。会社を守るために」

 リドラの目には、迷いがあった。

「僕も、同じ」

 ショーンが頷いた。

「アダムの理想は、美しい。でも、理想だけじゃ、社員の給料が払えない」

「……アダムを、説得できるか?」

「分からない。でも、やってみる」

 翌朝。二人は、アダムの家を訪ねた。

 だが、彼は出てこなかった。

「アダム! 開けてくれ!」

 ドアを叩いても、反応はなかった。

「……どうする?」

「調印を、延期するしかない」

 リドラは、桐谷に電話をかけた。

「申し訳ございません。社内で、意見の相違があり……」

『分かりました。では、一週間、お待ちします。それまでに、まとめてください』

 電話を切ると、リドラは溜息をついた。

「一週間か……」

「何とか、説得しないと」

 二人は、途方に暮れた。

 三人の絆は、崩壊寸前だった。

 金か、理想か。

 現実か、夢か。

 その選択が、三人を引き裂こうとしていた。

(第19話終わり)

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