第6話「技術か営業か」
起業から三ヶ月。スリー・ブリッジには、五社の顧客がついていた。
月の売上は百五十万ニール。利益は、ようやく黒字に転じた。だが、三人の疲労は限界に近づいていた。
「また、システムの問合せだ」
アダムが、携帯電話を見て溜息をついた。深夜二時。顧客からのトラブル報告は、時間を選ばない。
「少し休めよ」
ショーンが心配そうに声をかけた。
「休んだら、システムが止まる」
「でも、お前が倒れたら、もっと困る」
「……分かってる」
アダムは、それでもキーボードを叩き続けた。
一方、リドラは次の大型案件を追っていた。
「ノーザン物流……従業員二百名、トラック八十台。ここを落とせば、売上が一気に跳ね上がる」
彼は、プレゼン資料を作り直していた。五社の実績を武器に、大手に挑む。それが、リドラの次のステップだった。
「リドラ、ちょっといい?」
ショーンが、財務資料を持ってきた。
「何だ?」
「今の体制だと、これ以上顧客が増えても対応できない。人を雇う必要がある」
「分かってる。でも、今はまだ早い」
「早くない。アダムが過労で倒れたら、全部終わる」
「……考えとく」
リドラは、資料に目を戻した。
ショーンは、リドラの焦りを感じ取っていた。彼は、まだ父親の影から逃れられていない。
翌週。リドラはノーザン物流の営業部長、村田とのアポイントを取り付けた。
「アダム、デモの準備は万全か?」
「ああ。新機能も追加した。絶対に驚かせる」
「よし。ショーン、契約条件は?」
「大手向けに、段階的な導入プランを用意した」
三人は、これまでで最大のプレゼンに臨んだ。
ノーザン物流の本社は、高層ビルの最上階にあった。応接室には、村田の他に、IT部長の高橋、そして物流部長の山本が同席していた。
「では、ご説明させていただきます」
リドラがプレゼンを始めた。五社の実績、配送効率の改善率、コスト削減効果——完璧な構成だった。
村田たちの表情が、徐々に真剣になっていく。
「では、実際のシステムをご覧ください」
アダムがノートパソコンを開き、デモを始めた。
だが——。
「ちょっと待って」
IT部長の高橋が手を上げた。
「このシステム、既存の基幹システムとの連携は?」
「え? ああ、API経由で可能です」
「どのプロトコルに対応してる?」
「REST APIです」
「SOAP は?」
「……対応していません」
高橋の表情が曇った。
「うちの基幹システムは古くて、SOAPしか対応してない。これじゃ使えないな」
「ちょっと待ってください! SOAPにも対応できます!」
アダムが慌てて言った。
「どれくらいで?」
「一ヶ月あれば——」
「一ヶ月? 長すぎる」
村田が首を横に振った。
「お待ちください。技術的な問題は解決できます。まずは、弊社のシステムがもたらす価値を——」
リドラが割り込んだが、高橋が遮った。
「価値は分かった。でも、技術的に統合できなければ、意味がない」
「いえ、統合は可能です! アダム、説明してくれ!」
「え、ええと……SOAPは古いプロトコルで、セキュリティ面でも問題が——」
「何だと? うちのシステムを批判するのか?」
高橋が眉をひそめた。
「いえ、そういう意味では——」
「リドラ君、申し訳ないが、今回は見送らせてもらう」
村田が立ち上がった。
「お待ちください! もう一度、検討を——」
「結構です」
三人は、会議室を追い出された。
エレベーターの中、沈黙が支配していた。
外に出た瞬間、リドラが爆発した。
「何やってんだ、アダム! なんで事前に確認しなかった!」
「そんなこと、聞いてない!」
「聞いてないじゃねえよ! 大手のシステムは古いって、常識だろ!」
「だったら、お前が営業のときにヒアリングしろよ!」
「技術的なことは、お前の領域だろ!」
二人の声が、路上に響いた。
「やめて! 二人とも!」
ショーンが叫んだ。
「今は、反省して次に活かすことを——」
「黙ってろ、ショーン!」
「お前は関係ない!」
二人に同時に言われ、ショーンは言葉を失った。
その夜、三人は無言でアパートに戻った。
リドラは、壁を殴った。
「クソッ! せっかくのチャンスを……」
アダムは、システムの改修計画を立て始めた。だが、手が震えていた。
ショーンは、二人の様子を見て、胸が痛んだ。
翌日も、二人は口をきかなかった。
リドラは営業に出かけ、アダムは開発に没頭した。ショーンは、二人の橋渡しをしようとしたが、どちらも聞く耳を持たなかった。
三日後。ショーンはついに、決意した。
「二人とも、話がある」
夕食時、彼が切り出した。
「今じゃない」
「忙しい」
二人は、顔も上げなかった。
「今じゃないと、ダメなんだ」
ショーンの声が、震えていた。
「僕たち、何のために掟を作ったの? 苦しいときは、共有するって決めたんでしょ?」
「今は苦しくない」
「ただの失敗だ」
二人は、冷たく答えた。
「嘘だよ! 二人とも、苦しんでる! リドラは、自分の営業を責めてる。アダムは、自分の技術を責めてる!」
その言葉に、二人が顔を上げた。
「でも、悪いのは僕たちじゃない。コミュニケーション不足が原因なんだ」
「は?」
「リドラは、技術のことを理解しようとしない。アダムは、営業のことを理解しようとしない。僕は、二人を繋げられない。だから、失敗したんだ」
ショーンは、涙を流しながら叫んだ。
「僕たちは、何のために三人でいるの? お互いの領域に口出ししないため? 違うでしょ! お互いを補い合うためでしょ!」
リドラとアダムは、黙り込んだ。
「掟を、思い出してよ。苦しいときは、共有する。でも、共有するだけじゃダメなんだ。お互いを理解しないと、また同じ失敗を繰り返す!」
沈黙が流れた。
そして、リドラが口を開いた。
「……ショーンの言う通りだ」
「え?」
「俺が悪かった。技術のことを、理解しようとしなかった。アダムに丸投げしてた」
「リドラ……」
「俺も悪い。営業のことを、軽視してた。リドラの苦労を、分かろうとしなかった」
アダムも、頭を下げた。
「お互い、相手の領域を尊重しすぎて、逆に分断されてた」
「ああ。これじゃ、チームじゃない」
二人は、ショーンを見た。
「ありがとう、ショーン。お前がいなかったら、俺たち、本当にバラバラになってた」
「僕も、ありがとう」
ショーンは、涙を拭いて笑った。
「じゃあ、これからどうする?」
「まず、お互いの領域を学ぼう」
リドラが提案した。
「俺は、技術の基礎を学ぶ。システムの仕組みを理解する」
「俺は、営業のプロセスを学ぶ。顧客の求めるものを理解する」
「僕は、二人の橋渡しを続ける。そして、財務の観点から、バランスを取る」
三人は、改めて役割を確認した。
「よし、じゃあ明日から、お互いの仕事に同行しよう」
「賛成」
「うん!」
翌日から、リドラはアダムの開発作業を見学した。コードの意味、システムの構造、技術的な制約——初めて知ることばかりだった。
「すげえな、アダム。こんな複雑なこと、やってたのか」
「まあな。でも、これが顧客にどう役立つか、ちゃんと説明できてなかった」
「俺が手伝う。技術を、顧客に分かる言葉に翻訳する」
アダムは、リドラの営業に同行した。顧客の懸念、競合との比較、価格交渉——営業の難しさを、初めて実感した。
「リドラ、お前、すごいな。こんなに気を遣って、話してたのか」
「当たり前だろ。でも、技術的な質問に答えられないとき、いつも不安だった」
「これからは、俺がサポートする。技術的な説明は、任せてくれ」
ショーンは、二人の変化を見て、安堵した。
そして、一週間後。
三人は、改めてノーザン物流にアプローチすることを決めた。
「今度は、事前に技術要件を徹底的にヒアリングする」
「俺が同行して、その場で技術的な回答をする」
「僕が、契約条件の柔軟性を提案する」
三人の連携は、以前よりもはるかに強固になっていた。
だが、ノーザン物流からの返事は——。
「申し訳ありませんが、既に他社と契約を進めております」
電話口の村田の声は、冷たかった。
三人は、落胆した。
だが、リドラが言った。
「いいさ。次がある。今回の経験を、活かそう」
「ああ」
「うん」
三人は、前を向いた。
失敗は、彼らを強くした。
そして、掟の意味を、より深く理解させた。
苦しいときは、共有する。
そして、お互いを理解し合う。
それが、三人の絆だった。
(第6話終わり)
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