とん編⑥ 安堵の陰で

 救急車での搬送ということで、ヨシはかかりつけのクリニックではなく、その周辺を統括している大病院だいびょういんへと運ばれていた。

 晴吉と一紗、そしてとんは、大きなガラスの自動ドアをくぐると、すぐに受付に行き、ヨシの運ばれた救急科の場所を教えてもらった。

 救急科が一階にあったこともあり、待合い用の長椅子にポツンと杖を片手に座る彼女を見つけるのに、そう時間はかからなかった。


「婆ちゃん、大丈夫……なわけないよな」

「おや、晴吉。学校はどうしたんだい?」


 長椅子から立ち上がろうとするヨシを、晴吉が「座ってなよ」と制止する。

 ヨシはムッとしつつも、再び長椅子へと腰掛けた。

 イタタ、とこぼしはしたものの、顔は普段と変わらず元気そうな赤ら顔だった。

 

「授業はとっくに終わって、もう放課後。家に帰る途中で母ちゃんから連絡をもらって、それで……」

「そうかい……色々心配かけちまったみたいだねえ」

「全然。婆ちゃんのことだから、そうやってピンピンしてると思ってた」


 そう言っておどけてみせる晴吉にヨシは目を見張り、やがてフンと鼻を鳴らした。


「まあ、ね。日頃の行いがよかったからか、痛いのはこの左足だけさ。当分はリハビリってやつに来なきゃいけないらしいけどね」

「足だけでよかったよ。もし頭を打ってたらそれすらできずに、ずっとベッドの上で天井を見てることになってたよ、絶対」


 冗談交じりに晴吉が言うと、ヨシはハハハと笑った。


「そんな退屈そうなのは、勘弁だね! それこそこう手を合わせて、向こうにいる爺さんを呼ぶよ! 早くこの苦しみから解放してくれー、ってさ!」

「ハハハ! その調子だと、当分呼ぶことはなさそうだ!」

「当然さね! まだまだやり残したことがごまんととあるんだ! 庭の手入れに老人会でやってる百人一首の大会だろ、それから……」


 指を折りながら楽し気に話す祖母を見て、晴吉は安堵した。

 この様子だと頭は打ってなさそうで、すぐに元の生活に戻れそうだ、と。

 もちろん、定期的に診察やリハビリに行くことになるだろうが、彼女の気力ならどうとでもなる。

 途端に晴吉の身体からフッと力が抜け、そのままずるずるとヨシの隣に座った。


「そう言えば、母ちゃんは?」

「ああ、葛乃かずのさんなら色々手続きに行ってるよ。検査とか、リハビリとかの」

「時間がかかりそうな感じ?」

「みたいだね。かれこれ三十分くらい待ってるよ」

「そっか、じゃあもう少し待つようかな」


 晴吉が頭の後ろで両手を組み、壁にもたれかかる。

 それに「こら、行儀が悪い」とヨシが彼の膝を叩いた。


「もっとシャンとしな、シャンと。ほれ、あそこにいるお嬢さんも笑ってるよ」

「! ……気づいてたの?」

「そりゃあお前、あんなふうにしてりゃあ誰でもわかるよ」


 ヨシが目で指し示した方向を晴吉が追うと、そこには壁に背中を預けながら晴吉たちの様子を見てフフと笑う一紗がいた。


「綺麗な子だねえ。あの子も誰かを待ってるのかね?」

「あ、あの人は御門 一紗さんっていって、俺の高校の先輩なんだ。母ちゃんからの電話に出たとき、あの人もちょうど近くにいてさ。それで……」

「ついて来てもらったってのかい!? なんでそれを早く言わないんだよ! お礼をするから、さっさと呼んできな!」

「わ、わかったよ。ったく、病院で大声出すなよなあ……」


 それから晴吉は、一紗をヨシに引き合わせた。

 彼女が自己紹介と晴吉との馴れ初めを話すと、ヨシはこれでもかと目を丸くして、彼女のしなやかな手指をしわくちゃな両手で握った。


「うちの孫が迷惑かけて、本当に申し訳ない! でもこんな孫でよければ、婿むこにもらってくださいな」


 そう言われた一紗と晴吉が、ヨシ以上の大声でそれを否定したところで、看護師の咳払いが割り込んでいた。

 同時に手続きを終えた葛乃も合流し、彼女も含めた全員で看護師や周りにいた人々に謝罪したのだった。


 その間、ヨシの視線が明後日の方向——口を真一文字に結んで微動だにしない、の方に頭を下げていたことには、誰も気づいてはいなかった。

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