とん編➂ 待つのも恋路の半ばなり


「来ない……」


 午後三時五十分。

 辺りが橙色に染まり始める頃、晴吉は一紗との約束通り、校門の前で彼女を待っていた。

 しかし、まだ彼女は現れていない。


 授業が終わり、駆け足でここに来た午後三時から早五十分。

 その間、彼が校舎の方を覗き込むこと四十一回、LANEを確認すること二十回、他生徒に「頑張れー」などと揶揄われること六回。

 それだけ彼が待ち焦がれていても、彼女は来てはくれなかった。


『四時までに私が来なかったら帰っていいから』


 確かに彼女はそうLANEで言っていた。


 生徒会の仕事が忙しいのかもしれない。

 お嬢様だから、家の関係かもしれない。

 男女問わず友人も多いから、その関係かもしれない……。


 彼女が遅れているな理由を、晴吉は脳内でぐるぐるさせた。


 そうだ、彼女と自分とでは生きている次元が違う。

 だからこうやって、お互いの歯車が少しばかりかみ合わないのは当然だ。

 そもそも、一ヶ月でここまで彼女に近づけたことが奇跡に近いのだから、必要以上に気に病むことはないじゃないか。

 そうやって彼女を上げていくうちに、晴吉の心は少しずつだが安定していった。

 しかし一方で、彼の脳内には最悪のケースが首をもたげてくる。


 ——俺は、彼女に弄ばれているだけなんじゃないか?


 だって、一般家庭育ちの俺なんかじゃ彼女と釣り合わない。

 性格を除けば、芦屋の方がよっぽどお似合いだ。

 調べたところだと、芦屋は金持ちで、頭がよくて、スポーツ万能らしいから。


 そう言えば、俺は彼女にどう見られているのだろう?

 料理が得意? 知識が豊富? 勝負事に強い? あるいは……

 ——捨てられた子犬みたいに見えていたり?


『どうせあれだろ、子犬か何かを世話してるつもりなんだろ?』


 一か月前、自分への悪口に交じって聞こえてきた彼女への苦言。

 それがまた耳の奥で反響し、安定していたはずの彼の心を黒く染めていく。

 同時に心臓は鷲掴みされたように締めつけられ、その場で前かがみになった、そのときだ。


「落ち着け、晴吉。まだ約束の時間には少しあるんだ……でしょ?」


 こわった晴吉の肩に、とんのなめらかな手をそっと乗せられる。

 途端に彼の胸からつかえが取れ、新鮮な空気が吸い込まれたことで、彼は少しむせて咳き込んだ。

 そんな彼の背中を、とんは手探りながらもさすってくれた。


「大丈夫。お前の想い人はここにやって来る。どんな形であれ、ね」

「で、でも……」


 怖気づく晴吉の背中が再び丸くなる。

 しかしとんは、彼の背中をさすり続けながら「大丈夫」と念を押すように言った。


「彼女は絶対に来るよ。その証拠に……」


 ほらと、とんの指が校門の方を指す。

 晴吉がふと見上げると、その先には肩で息をする一紗の姿があった。


「遅れてごめん。三時半に生徒会室を出たんだけど、そこから色々あって……」

「色々、ですか?」


 来てくれないだろう——そう思って構えていた晴吉の第一声は、間の抜けたオウム返しだった。

 それに一紗は


「そう、色々あったの、あり過ぎたの! ちょっと聞いてくれる?」


 と、半ば怒鳴り声で事の経緯けいいを話し始めた。


 生徒会での仕事を終えた一紗は、会員に茶化されながらも退室。

 そのときはまだ、洗面所に寄って髪を整える余裕が彼女にはあった。


 しかし、晴吉と何か飲もうとまず立ち寄った自販機のブースは整備中。

 仕方ないか、とコースを変えると今度はネタを求めて徘徊する放送部員。

 彼らを避け、なんとか下駄箱にたどり着くとそこでは何やら探し物の真っ最中。

 話を聞くと、女子生徒の大切なお守りがなくなったとのこと。それを助けないわけにはいかず、一紗も下駄箱中を這いずり、なんとかお守りを見つけてきた、らしい。


 よく見てみれば、彼女の着ているブレザーの肘や、ニーソックスの膝部分には埃がついていたし、いつもは整っている前髪もばらけていた。

 でも、晴吉にはそんな彼女がより神々しく見えた。

 それはまるで、神話に登場する雄々しき戦乙女ワルキューレのように。


「ともかく、ここまで来るのがすっごく大変だったの! ねえ晴吉君、どう思う!?」

「どう、って……」


 晴吉は一瞬言葉に詰まった。

 しかし薄汚れた一紗の姿に、少し吹き出しながらもこう答えた。


「……御門先輩らしいです。みんなのために自分を犠牲にして、それでいて俺との約束も守ってくれて……そんな先輩だから、みんな惹かれるんでしょうね」

「……!」


 晴吉の返答に、一紗は紅潮する顔を手で覆った。


「も、もう! そんな甘ーいこと言って! キミの言葉には、言霊ことだまでも宿ってるの?」


 まったくと悪態をつきつつ、彼女は踵を返してどこかに行こうとした。


「み、御門先輩!?」

「ちょっとお手洗い! そこで身支度してくるから、もう少し待ってて! まだまだ話足りないんだから、先に帰らないでよ?」


 そう言って校舎と戻っていく一紗の声は、どこか朗らかだった。


「ほら、来てくれた。やはりお前と彼女には、縁があるみたいだね」

「……みたいですね」


 艱難辛苦かんなんしんく、とまでは言えないが、障害を乗り越えてまで一紗は自分の元へと来てくれた。

 それは、晴吉の中で大きな自信を生んだのだった。


 その後二人(と一匹)で立ち寄った駅前の『マックス・バーガー』で、晴吉(と一緒にいたてつ)が打ち立てた大食いの偉業について、一紗に質問攻めにされたのも彼にとってはよい経験となった——はずだ。

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