海ノ大神年 木の芽月十五日

海ノ大神年 木の芽月十五日 第一話

「え?」



珍しく縁が狼狽える声に、どうしたのかとコルクボードの前に集まる。



「どうしたの?」


「これを見て」



彼が指さしたのはノルマが書かれたメモ用紙。いつもと違うのは、そこに書かれたきおくの多さ。



「こんなに沢山ノルマを課されたことはないんだ。そんなに都合よく釣れるものでもないしね」



驚きはしたが、結局は釣るしかない。のんびりとした海上生活を送っているから忘れがちだが、それが私たちの仕事だ。



「最近調子いいし、きっと釣れるって」



惺大曰く、釣りづらいラインナップではないようなので胸を撫でおろす。



「まあ…気合で、ね?」


「そうだね、今日も頑張ろう」



もしもメモ用紙にマナティや珍魚なんかが記載されていたらとても「気合で」などとは言えない。



 まずはノルマの中でも旬のきおくを狙う。現世で旬の魚と隠世で釣れるきおくの旬は連動しているようなので、木の芽月――現世では二月に釣れる魚を狙うことになった。と言っても、狙って釣れるものではないのだが。



「今が旬でこのリストにある魚ってなると…タラとかヒラメあたりか?」



どちらも馴染みのある魚だ。タラはよく食べていたし、ヒラメも食べたことがある。



「少ないね…他に、年中釣れる魚はある?」


「このメモの中だとないかも」


「ひとまず今月中にさっきの二匹釣っちゃおうよ」


「そうだね」



…と、意気込んだはいいものの、そんな都合よく釣れるはずもなく。

 縁は仕方なくきおくを餌にしてノルマである魚を釣ることを決心した。



きおくを餌にするって、釣り針にいつもの餌じゃなくてきおくをつけるだけの違いなのか」


「とんでもない」



それだけではないと縁は首を横に振った。



きおくを使うことによって、確実にかかる確率が上がるよ」


「似た記憶のきおくがかかるの?」


「そうだよ。餌に使ったきおくは、かかったきおくに吞み込まれてしまうから、記憶の混濁が生じる」



私たちが目を閉じてきおくに触ると記憶が入り混じってしまうように、きおく同士も混ざってしまうことがあるようだ。



「だから僕はこの手法は好きじゃないのだけれど、神様のご依頼ならば仕方がないよね」



残念そうに苦笑する彼は、気が進まないようだったけれど大水槽へと向かった。

 大水槽で泳ぎ回る中からきおくを何匹かフィッシュバッカンへ取り出していく。

 私と惺大も手伝い、釣りを再開する。



「でもきおくを使ったからってノルマのきおくを釣り上げられるとは限らないんじゃない?」


「まあね。餌に使ったきおくによるから。でも、釣れる確率自体は上がるから、その分ノルマのきおくを引く確率も上がるのさ」


「そっか」


「休む暇がないくらい釣れるのか?」


「ないとは言い切れないね。だけど僕はそんな忙しさを経験したことはないかな」



あの会話から十分。十分も経つが、未だかからない。

 調子のいい時は〝回想〟でも餌をつけて十分以内に釣れることが多々ある。それなのに今、全然休憩出来てしまっている。

 木の芽月中、ずっとノルマ達成に躍起になる未来が見えた。

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