山ノ大神年 限り月二十一日 第四話

「かく言う私も、憎い人間の産物である記憶を屑と呼びながら、こうして密やかに収集している。どうしてかわかるかしら」



水を向けられると思っていなかった私たちは狼狽した。惺大なんて「わ、わかりません」と考える間もなく口走っていた。

 恐れられていることを喜ばしく思ったのか、彼女の唇が弧を描く。

 浪華ろうか様は惺大から私に視線を向けるので、少し考えてから答える。



「…人間だけが、海を美しいと感じるからでしょうか」



動物や植物が海を美しいと思わないと言い切ったりはしないけど、私は人間だけが「美しい」思う感情を持ち合わせているのではないかと思った。

 私の回答はどうだろうかと彼女の様子を窺うと、つまらなさそうに頷いた。鉢越しにきおくたちを眺める目を細める。



「海を美しく思う心は人間から生まれる。記憶を屑と罵りながら、わたくしはこうして海を美しいと感じた記憶を集めて手元に置いてしまう。……皮肉なことね」



人間は現世でも隠世でも、この神様にとって恐らく全てである「海」を汚す。

 嘆き悲しんでいることだろう。

 怒りで狂ってしまいそうになったことが幾度とあることだろう。

 それでも海を美しいと感じ、それを記憶という形で遺すのは、憎たらしくて仕方がない人間だけなのだ。

 矛盾した心が、浪華ろうか様の心を酷く痛めているに違いない。けどそんな様子は噯気おくびにも出さないで、常に毅然としている。そんな彼女の様子を見ていると、人間は生まれてきたことが罰なのかもしれないと考えさせられた。



「神の犠牲の上に成り立っているのが人間なのよ。この身が滅ぶ時には人間も道ずれになる…いえ、必ず道ずれにしてやるわ」



そう満面の笑みで告げるものだから、あまりの恐怖でとうとう惺大が卒倒してしまいそうだった。私はというと、怒られるかもしれないが彼女に親近感を覚えていた。神様もこんな風に感情を顕わにするものなのだな、と。神様に親近感を覚えるなど、可笑しな話だが。

 青ざめる惺大を支える縁は眉をハの字にして浪華ろうか様を見据えていた。



「そう脅かすようなことを僕の友人に仰らないで頂けますか。神様は滅びぬ存在でしょう?。貴女が気を揉むのはせいぜい人間が亡びるまでの間ですよ」



現世の海は、常に人間に対して公平だった。時に船旅を見守る穏やかさを、時に一つの町をも呑み込む残酷さを見せた。どんなに嫌っていても、浪華ろうか様は常に人間へ牙をむくわけではないのだ。

 それは彼女が神様であるが故だろう。



「あ、あの」



縁に支えられながらお暇しようとしていた惺大が急に言葉を発したので、浪華ろうか様は些か意外そうに彼の方へ視線を遣った。



「難しいことはよくわからないですけど、俺や家族の人生は海と共にありました。毎日足を運ぶくらい海が好きで、今も隠世の海で釣りをしながら海を綺麗にすることが楽しいんです。それは海、貴女がいるからなんですよね。だから、ありがとうございます」



拍子抜けした表情で、浪華ろうか様はほんの少しだけ優しい表情を浮かべた。

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