山ノ大神年 初霜月九日

山ノ大神年 初霜月九日 第一話

 今朝船尾で釣りを始めて、気がつけばもう午後だ。

 夏至を過ぎたあたりから段々と日が沈むのが早くなってきたけど、それだけではない。

 見上げる空が夏よりも遠い。

 高いところで制止したように浮かぶ糸のような白雲が、それよりも低いところで風に吹かれる灰色の雲と交差している。



 今日は調子がよく、色々な魚を釣り上げられている。きおくを見て、ほとんどがノルマではないきおくなので大水槽へと入れる。

 大物のきおくが狙いの惺大と違ってきおくの大小のこだわりはないけれど、珍しい色のきおくを虎視眈々と狙ってはいる。



 雑談しながらのんびり釣りをしていると、心が安らいだ。長野の地で過ごした高校生時代の自分に帰ってしまったように、大人気なくはしゃぎながら釣りを楽しむ。



「ちょっとした疑問なんだけどさ」



惺大が釣り針からきおくを外しながら、私を挟んで隣にいる縁に問う。



「釣ったきおくを餌にして釣ることってねえの?」



言われてみれば、餌はいつも〝追憶〟か〝回想〟だ。八月のお盆の時期に使った撒き餌も〝生前への未練〟という概念だった。



「そうだね、ノルマのきおくが釣れなくてどうしようもない時に苦肉の策として使うことはあるよ」


「じゃあきおくを餌にすることで大物が釣れるってわけではないんだな」



そうなんだ、と心の中で思いながら逃した魚に思いを馳せる。今の引き具合はきっとカツオだった。

 再び心地のいい沈黙が、午後の柔らかい日差しの中訪れる。










「釣れた。これは?」


「それはカツオだな。この時期だと戻り鰹かもな。あ、でも戻るとかないのかなきおくだし」



さっき私が逃したカツオかもしれない、と思いながらちょっと悔しい気持ちで縁の手元を横目で見遣る。



「不思議だね…」



黒光りする背と綺麗な白の腹のコントラストが美しいカツオに触れ、その記憶を見ながら小さく呟く縁。



「何が不思議なの?」


「今日は大漁なのに、ノルマの魚が釣れないってことがか?」



違うよと苦笑された。彼はきおくをフィッシュバッカンに入れながら続けた。



「どんな記憶も見てきたつもりだけど、記憶の持ち主が死んだ時の記憶っていうのは見たことがないんだ」

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