山ノ大神年 色取月二日

山ノ大神年 色取月二日 第一話

 生前と同じ六時半に自然と目が覚めた。

 階下から話し声が聞こえる。縁も惺大も、もう起きているようだった。

 階下へ下りると、大水槽の中を悠々と泳ぐきおくを床にうつ伏せに寝そべりながら見ていた惺大と不意に目が合った。



「おはよ。今から釣りするんだけど、漓宛ちゃんはもう少しゆっくりする?」



ほぼ初対面の際、苛立って怒鳴ってしまったのにも関わらず、彼は変わらず気さくに接してくれていた。

 苦手であることに変わりないけど、申し訳なさからか、あのどうしようもない苛立ちはどこかへ消えた。



 亡者には洗顔も朝食も、そういったことは不要だ。何せ、亡者なのだから。

 のんびりと海釣りをして生活しているけれど、私たちが死んでいるという点は変わらない。



「ううん、私も釣りたい」



 ただぼうっと海原を窓越しに眺めるより、覚えることが沢山ある海釣りを楽しみたい。



 今日は私がと、釣り餌を用意する役目を買って出れば快く任せてもらえた。

 大水槽の下の引き戸には栓のされた蛇腹のホースがあって、水槽に沈殿した〝追憶〟や〝回想〟がここから適量取り出せるようになっているようだった。なんと便利な。

 〝追憶〟や〝回想〟に生きの良さといった概念はあるのだろうか。なんとなく思い出したいという思念が強い方が、よく釣れそうな気がする。



 外へ出て左手、船首側へと釣り餌を入れたフィッシュバッカンを持って行く。

 確か船首の釣り座はミヨシといったはず、今日はそっちで釣りをすることになった。

 釣り針に〝追憶〟をつけるのにも、もう時間をかけずに済むようになった。習うより慣れろって言うもんね。









 釣り糸を垂らしてから小一時間は経っただろうか。

 今日は一向に魚がかからない。

 私が釣り損ねるのならまだしも、はなから餌に食いついてくれない。



「シャケ」


「カレイ」


「アジ」



 のんびりと海原を眺めながらきおくがかかるのを待つ時間も、釣竿の様子に目を光らせたり、縁や惺大と魚の名前をひたすら順番に言っていくゲームをしたりと退屈はしなかった。

 こうして沖にいると、波が立っていないことを除けば現世と大差ない景色だ。今日は空も青々としているし、海も同じ色を映しているから。



「待って、来たんだけどッ」



どうやら惺大の釣竿に反応があったようだ。

 見事釣り上げられたのは、ザ魚といった見た目のきおくだった。わかる人が見ればはっきりとした特徴があるのだろうけど、私から見たらただの魚としか言いようがない。



「これはブリ?」


「少し似てるけど、外れ。これはカンパチだよ。ちょっとピンクがかってるでしょ。ブリはもっとこう…緑色?」



魚の名前を次々と言っていくゲームをしている時にも思ったが、縁は私と同じくらい魚の名前を知らなかった。もしかすると、私よりも知らないのかもしれない。寿司屋に並ぶネタを思い浮かべれば出てきそうなものなのに、と少し驚いたほどだ。



「カンパチ、ね。覚えたよ」



船上に打ち上げられ口をパクパク動かして、忘れた頃に身体を跳ねさせるカンパチの目を見て頷く縁は楽しそうだ。

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