山ノ大神年 色取月一日
山ノ大神年 色取月一日 第一話
やっぱり自分の布団が一番、という感覚が私にはない。例えそれが隠世の海に浮かぶ船のソファの上でも。
私の通っていた高校は、夏休みになると有志の生徒は民泊に行くことが出来た。
兄さんだけが好きな両親は、長期休暇中私が家にいるのも一緒に旅行へ行くのも嫌だったようで、この学校行事に参加するよう強いられた。
言うことを聞いたとしても褒められるわけではないけど、少しでも両親に好感を持ってもらえるならと反抗はしなかった。
それに、両親は既に兄さんと三人で行く旅行の計画を楽し気に立て始めていたので、それを邪魔するのは憚られた。
例年通り、別にずっと自宅で留守番しながら気ままに過ごしてもよかった。だけど、邪魔者扱いされているとはいえ、私が民泊へ行くために――私のために両親がお金を払ってくれると言うのだから、民泊へ行ってみるのも悪くないと思った。
私を含めた有志の生徒たちを乗せた大型バスは、高速道路を使って長野県へと向かった。
初めての民泊先は、南アルプス連峰が見える景観の美しい、田んぼや畑に囲まれた豊かな地だった。
有志の生徒と言っても、三学年で募ってやっと数十人集まる程度。だから、一人か二人ずつお世話になる家を割り振られた。
私がお世話になったのは、寡黙なご婦人だった。表情に乏しく何を考えているのかよくわからないと最初は思ったけど、大玉西瓜が重すぎて運べなかった私を見て少し微笑んでいたのを今でもよく覚えている。
西瓜のあまりの重さよりも、彼女が笑ったことに驚きと少しの嬉しさがこみ上げたあの感覚は一生忘れることはないと思っていたけど、本当に一生を終えた後も覚えていた。
今思えば私の体力はあの地で身についた。これまで単位ギリギリまで体育の授業をサボり、あまり屋外で遊ぶこともなかった私が派手に日焼けするくらいには容赦なく働かされた。
彼女の畑仕事を手伝い、町内会の人たちと一緒に田植えをする。綿のように疲れて帰宅したら少し休憩を取って、夕飯のための支度を始める。
毎日が目まぐるしいほどの忙しさだったけど、何をするにも新鮮で楽しくて仕方がなかった。起床して歯を磨くのひとつとっても、森林の澄んだ香りを肺一杯に吸い込みながらというのは私の家では体験出来ないことだった。
楽しい時間が過ぎるのは早いもので、帰宅する日は刻一刻と迫り来る。
いっそのことずっとここで暮らしたいと駄々をこねたくなるほどには、ここでの暮らしが充実していた。何より――
『またおいで。いいね』
別れる時、彼女は流した涙をこっそり拭いながら、私をめいっぱい抱きしめてくれた。
生まれて初めて誰かに愛情をもって抱きしめられた嬉しさと、帰らなければならない辛さが同時にこみ上げて、私は周りの目を気にする余裕もなくその場で嗚咽していた。
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