山ノ大神年 桂月十四日 第二話

 黙々と百日紅さるすべりの花弁を拾っては、趣のないフィッシングバッカンへと集めていく。

 これでもかというほどフィッシュバッカンに花弁を詰め込むと、まるでフラワーバスケットのようだった。



「結婚式で使うフラワーシャワー用の花びらみらいだな」


「フラワーシャワー?」



どうやら縁はフラワーシャワーを知らないらしい。一体どういったものなのかを惺大が事細かに説明している間、改めて周囲を見渡してみた。

 坂を登って逝く亡者が皆無口なせいか、百日紅が風に揺れる音がするだけでここはあまりに静かだ。大きな声で話しているわけではないのに、二人の声が大きく聞こえるほどだ。



 不意に子どもの泣き声が微かに聞こえた。

 気になって、話を終えた二人に提案する。



「ねえ、戻る前に三途の川へ行かない?」


「いいけど、どうしたんだい?」


「聞こえるでしょ、泣き声」



耳を澄ませた二人にも泣き声が聞こえたようだ。



「川の方からだな」


「だから三途の川へ行かないかって言ってるんだけど」



 私たちはそれぞれフィッシュバッカンを持ち、三途の川の方へと坂を下りていく。



 三途の川は目を瞠るほどの美しさだった。

 川の畔には百日紅が咲き、それを揺らめく水面が映している。

 散って水面に落ちた花弁と戯れるように、水馬アメンボが楽し気にすいすいと滑っている。

 三途の川である、ということを除けば長閑のどかな場所だった。

 少し人の波が納まり、川辺には私たちと数人の亡者がいるだけ。

 しかし、そんな穏やかな風景を切り裂くような泣き声が、先程とは違い耳をつんざく。



紫期しきねえちゃん」



川の中腹あたりだろうか。七、八歳くらいの幼い男の子が岩の上にへたり込んでわんわん泣いていた。

 それを心配そうに見守るのは、十六歳くらいの制服を着た女の子。彼女は私たちと同じ、隠世の地に立っている。

 彼女の不安げな表情を目にするなりすぐに駆け出した惺大は、彼女に事情を尋ねた。

 どうやら一緒に川を渡っていた弟が途中で足を止めてしまったらしい。もやのかかった現世と思しき岸辺の方から、隠世こちらの岸辺に点々と大小様々な岩が点在しており、そこを渡って来たのだと言う。



「どうしたの叶芽かなめ



大声で彼女が尋ねると、弟の叶芽はしゃくりあげながらも声を張り、状況を説明し始めた。



「お父さんが僕たちを呼んでて、そしたら急に足が先へ進まなくなっちゃったんだ」



立ち上がって足を踏み出そうとして見せる叶芽の足は、その場で足踏みをしていて前に進んでいない。

 進もうにも進めないない、といった様子だ。



「これは…」



悲し気に目を伏せた縁が、紫期の肩に手を置く。



「君の弟さんは、まだこちらに来るべきではないと川に判断されたようだよ」


「どういう…ことですか」



動揺を隠せないまま、彼女は縁を見上げた。



「父君が君たちを呼んでいるというその声、君には?」



彼女はかぶりを振る。ちなみに私や惺大にも聞こえなかった。だけど、叶芽にははっきりと聞こえているようだ。どうして聞こえないのかと、半分怒りを顕わにしながら声について訴えてくる。



「叶芽君は現世の声が聞こえている。現世にまだ戻れるということだよ」

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