山ノ大神年 桂月十四日
山ノ大神年 桂月十四日 第一話
「岸に戻ろうか。この時期は沖にいるよりも海岸にいた方が喜ばれるからね」
縁の要領の得ない一言で、私たちは約三週間ぶりに沖から桟橋のある海岸へ戻って来た。
砂を踏みしめる感覚が、もう何年も前のことのように懐かしく思える。
「で、何で戻って来たんだ?」
戻って来て初めて、理由を説明されていないことを惺大が指摘した。
縁は何かと説明を後回しにしがちだし、「追々ね」と言って曖昧にする癖がある。
酷い時は、そのまま説明すること自体を忘れていることすらあった。
「ごめんね、失念していたよ。現世は今日からお盆でしょう?。現世と隠世が近づく月だから、隠世にやって来る亡者も増えるみたい」
必然的に、来世へ旅立つための列が長くなり、記憶を漱がれる亡者も増えるということだ。
それは全く問題ないけど、漱がれた水が海へ流れるのは海の神様が頭を抱える大問題となるらしい。
「海岸から沖へ流されていくから、沖へ記憶が流される前に回収するってこと?」
「そうだよ。網を事前に張っておいた方がいいね。それでも多少は沖へいってしまうのだけれど」
「そういうことなら急いだ方がよくね?。もう列結構なことになってるぜ?」
惺大が指さした先には、私が抜けた時の倍以上は亡者が列を成していた。
「そうだね。でもその前に撒き餌の準備をしよう」
〝追憶〟や〝回想〟では量が間に合わないため、漱がれたばかりの記憶には〝生前への未練〟を餌に使うと言う。
「そんな撒き餌どこにあるの?」
「三途の川の傍まで行けば沢山あるよ。ついておいで」
人でごった返す夏祭りで人の流れに逆らいながら歩く時のようだと惺大が嘆いた。確かに、気持ちはわからなくない。
隠世へ向かう亡者は大勢いるけど、三途の川へ向かう亡者は私たち三人以外に見受けられない。
慣れた足取りでどんどん先へ進んで行く縁に、私も惺大もついて行くのがやっとだ。
縁が足を止めたのは石畳の坂道から少し逸れた場所。
木の下には石造りの灯籠があって、その灯籠と灯籠の間に彼は屈んだ。
「
先へ進むのに必死だったので、視界に入っていたはずの降り注ぐ紅雨に今更気がつく。
花弁は紅色以外にも、薄紫や薄桃、純白と金平糖のようだった。
「百日紅って花よりすべすべの幹のイメージが強かったけど、花はこんな感じなんだな」
小さい頃によじ登ろうとして、足が滑ったのでやめたからよく覚えていると惺大は懐かし気に話す。
「散ってそこらに落ちている花弁を集めてほしいんだ。出来るだけ多くね」
そう言って、縁は持って来ていた水を入れていないフィッシュバッカンの蓋を開ける。
「花なんかで釣れるの?。それともこれが〝生前への未練〟なの?」
「いい質問だね」
彼は道逝く亡者たちを横目で追いながら、説明してくれる。
「三途の川から列に並ぶまでこんな坂道があるのはね、亡者の纏う生を完全に吸収するためなんだ」
死んだばかりの亡者は、人によってはまだ自分が死んだことに気がついていない。そうでなくとも死んで間もない時には生気がこびりついている。それを吸うのがこの隠世の妖花だと言う。
そう聞かされると、美しいと感じていた花々が何だか恐ろしくも思える。
「今の季節は百日紅がその役を担って、生気を養分に花を咲かせ続けるんだ。季節の移ろいに合わせて花は変わるけれど、いつも絶えず何かしらの花が咲いているんだ」
「その生気の中に〝生前への未練〟も含有されてるってことか?」
「その通り」
しかし、引っかかる。
まるで縁の説明は、私と同じ亡者らしくない。神様側の事情に詳しすぎるというか、隠世のあらゆる事象について知り過ぎているような気がする。
怪訝に思っていることに気がつかれてしまったようで、微苦笑する縁は言い訳するように眉をハの字にして続けた。
「おっと、今の物言いではまるで隠世に住まう神様のようだね」
「違うの?」
「うん。隠世が長いとその分、ここでの知識も増えていくのさ」
まだ亡者に構う変わり者の神様だ、なんて言われた方が納得できる。
本当に不思議な
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます