山ノ大神年 文月三十一日

山ノ大神年 文月三十一日 第一話

 初釣りから五日が経過した。

 そこそこ慣れてきたようには思うけど、まだ縁や惺大の助けなしでは釣りが出来ない程度の成長具合だ。

 というのも、魚の予測不可能な動きにいちいち驚いてしまうのが原因だった。別に虫のそれと違って怖いというわけではないけど、やっぱり予測できない動きには直ぐに対応出来なかった。

 なかなか釣り針からきおくを外せなかったり、きおくの引きが強すぎて私の力の方が負けたりということが続いたけど、それでもなんとか一日に二、三匹は釣れている自分に満足している。

 ただ、惺大に負けていることは悔しかったけど。



「今日はそろそろお終いにしようか」



縁がそう告げる頃にはいつもくたくただった。

 じゃんけんをして勝った人から順番にシャワーを浴びて、きおくを扱っているうちに自然と受けてしまうという悪影響をしっかりと洗い流す。

 私が戻ると惺大がシャワーを浴びに行って、フリースペースには私と縁だけになった。

 亡者なので髪を乾かすという手間もない。暇を持て余していると、大水槽の前で佇んでいた縁に手招きされた。



「まだ少ないね、きおく


「多い時には、一匹のきおくを目で追うのが難しいくらいにいっぱいになるよ」



こんな他愛のない会話が楽しかった。相手が縁だからだけど。



「さっき惺大が教えてくれたんだけど、あの魚はイサキっていうんだって」



大水槽をじっと眺めている彼の視線の先を追えば、そこには小さなきおくが泳いでいる。



「人間を嫌う神様たちは記憶を屑と呼んでいるけど、僕はそうは思わない」



隣に並ぶ彼の顔をそっと盗み見ると、真剣な面持ちで水槽ではないどこか遠くに思いを馳せているように見えた。



「それは亡者の記憶の量は膨大で、隠世の海でそれが害になっていることは事実だよ。だけど、神様の手を離れた人間が現世で作り上げた記憶という産物は素晴らしいものだと思うんだ」



人間という生物が神様によって作為的に創り出されているのに対して、人間の記憶はその記憶の持ち主である人間自身で作られている。

 考えたこともなかったけど、私たちは神様に創られているようだ。でも、人間の持つその記憶は神様の手が一切加わらずに生み出されるもの、ということだろうか。



「どうして素晴らしいと思うの?」



特に理由があるわけではなかったけど、尋ねてみることにした。

 縁が何を思ってこんな話を私にしてくれているのか、その訳を言葉の中に探したかった。



「だって隠世にいる限り、現世の景色は知ることが出来ないでしょう?」



隠世での生活が長いと言う縁が、いつ、どんな時代に隠世へやって来たのかはわからない。自分が死んだ後の現世の景色を見られるから素晴らしい、ということかもしれない。

 だけど彼の死について聞くことは出来なかった。踏み込んだ話をする勇気がまずないし、そんなことを聞いてしまったら距離を置かれてしまいそうで怖くもあった。

 もし仮に聞いたところで、彼は曖昧に誤魔化すのではないかとも思う。



「そっか。嫌な記憶はともかく、私も記憶の全てが屑だとは思わないよ。だけど、海は綺麗な方がいいよ」


「それには同意だよ。だからこうして海を綺麗にしながら隠世で生きてるのさ」



どうしてずっと隠世にいるの?

 その問いを呑み込んで、彼と共に大水槽を眺め続けた。

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