山ノ大神年 文月二十六日 第五話

 えっ、と釣竿の方を見遣れば、先程よりも確実に海へ釣竿が引っ張られているように見える。



「え、え、どうしたらいいの」



慌てふためいていると突如、背後から抱きすくめられるように釣竿を持つ私の手に縁の手が添えられた。



「大丈夫、落ち着いて。焦らずに糸を巻いてごらん」


「わ、わかった」



焦って咄嗟には何も出来ないでいた私に、落ち着き払った声で釣りのいろはを教えてくれる。

 縁に対しては何故か無防備に、心底安心してしまう。家族にさえ一度も感じることのなかった安らぎを、死んでから出会った人に感じるなんて皮肉だ。



 彼の言う通り落ち着いて着実に糸を巻いていけば、先程〝追憶〟をつけたばかりの釣り針に手のひら大の魚が食いついていた。お腹は海よりも真っ青で、背中は鮮やかな黄色の魚だ。

 初めて釣った魚に放心状態の私と違って、惺大は興奮した様子で「おおッ」と声を上げた。



「ノルマ一つ達成したな。これウメイロだよ漓宛ちゃん」


「え、ほんと?。やった」



遅れて嬉しさがこみ上げる。

 両手を前に出してハイタッチを求める惺大に、さっき怒鳴ってしまったことも忘れて思わずハイタッチを返してしまった。

 するとウミネコが何処からともなく現れて、私の足元へ静かに着地した。飛び立つわけでもないのに羽ばたいて、ウメイロを渡すよう催促しているみたい。



「ノルマに該当するきおくは彼女に渡して。依頼元の神様へ届けてくれるみたいなんだ」



 依頼元の神様にこき使われているというのに、文句も言わずに働く健気なウミネコ。労いのつもりで嘴を撫でてやると、表情は変わらないけど少し喜んでくれているような気がした。

 彼女が去った後、コルクボードの前へ行ってメモを見ると、ウメイロと書かれた部分に斜線が引かれていた。



「なんか、魔法みたいだね」



なんだか楽しくなってきた。もっと隠世の海釣りの仕事を覚えたい。

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