山ノ大神年 文月二十六日 第三話

 縁と一緒に外へ出て、釣り座と呼ばれる釣りをする場所へと向かう。彼は丁寧に釣り座について説明してくれた。

 今日は右舷うげんの胴の間という船の右側で釣るらしい。

 この船には左舷さげんの胴の間はなく、代わりに一面窓のサンルームになっているけれど、入り口のある船首にも釣り座がある。右舷と左舷のミヨシ、船尾にはトモと呼ばれる釣り座があるけれど、シャワールームがある分右舷にしかない。

 正直よくわからないけど、釣りをする場所によって名前が違うということらしい。



「おまたせ~」



ううん、と首を振る彼は惺大の持って来たフィッシングバッカンを開けて釣り餌を取り出した。



「現世では釣り餌に虫やえびといった魚の好むものを使うようだけど、ここは隠世の海。そういった餌で釣れるは生息していないんだ」



手にしているイクラ大のまあるい何かを、私に見せてくれる。



「だから隠世の海では特別な餌を使う。…じゃあここで惺大、これがなんなのか前回教えたけれど、覚えているかな?」


「もちろん。特別な餌っていうのは〝追憶〟とか〝回想〟のこと」


「正解だよ。しっかり覚えていてえらいね」



過去の記憶を呼び覚ます際には追憶や回想をして、普段はしまっている記憶を呼び覚ます。だからそれを餌にきおくを釣り上げる、ということらしかった。

 理にかなってはいるけど、縁に手渡された〝追憶〟はどうやってこの形――餌にされているんだろう。

 隠世の仕組みは亡者になったばかりの私にはよくわからない。仮に長く亡者を続けたとして、わかるようになるかと言われたらそれも微妙な話だ。



「おもしろいよなぁ。漓宛ちゃんや俺は隠世での海釣りに慣れてないから、〝追憶〟を使った方が釣れるぜ」


「どうして?」


「〝追憶〟の方がきおくが食いつきやすいみたいなんだ。縁がこの前言ってた」


「へえ…なんか興味深いね。それにきおくを餌で釣るっていう構図も」



釣り針に〝追憶〟を三つほどくっつけながら感想をこぼすと、「考え方の話さ」と自分の釣竿の準備を進めながら縁が微笑んだ。



「神様が屑と呼んでいるだけで、記憶は亡者が生前に得た財産だ。持ち主の元から離れて海へ流れ着き、屑ではなく魚へ姿を変えた記憶を釣ることは、別に不自然なことではないよ。確かに初めは不思議な感じがするかもしれないけれど」

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