山ノ大神年 文月二十六日 第二話

 沖に出ると周囲はどこを見渡しても海と、灰色の混じった藤色の空。



 船が一度ぐらりと揺れてから停まった。

 沖に出る途中で気がついたことだけど、隠世の海には波が立っていない。

 船が動いている時には多少波立っていたけど、海そのものがそれを打ち消すように、少し船から離れたところでは波が消えて、平らな海が空を映している。

 思い返してみれば、浜辺にも波の満ち引きがなかったような気がする。そんな異様な海を眺めていて抱いた感想は「海が死んでいるみたい」だった。渚がない海と浜辺とを、まるで心停止時に描かれるようなまっすぐな線が隔てていると思うと不気味だ。

 実際、隠世にある海なのだから、死んでいるのかもしれないけど。



「おーい、惺大下りて来てくれる?」



呼ばれた惺大が慌ただしくドタバタと操縦室から廊下を通り階下へと階段を駆け下りて来る音が響く。

 釣竿を持った縁が言外に目くばせすると、惺大はコルクボードのメモを見遣った。



「えーっと、ウメイロとアジね。なあ縁さん、特定のきおくなんて狙って釣れるもんじゃないと思うんだけど、納品に期限ねえの?」


「神様もきおく釣りが容易でないことは承知しているようだからね。なるべく早くとしか」


「そうなんだ。ま、気長にやろうよ」



長い髪を一つに束ねた縁は、「うん」と微笑んだ。



「しばらくは漓宛に仕事を教えながらになるから、そっちもよろしくね。人に教えることで、君の復習にもなるだろう?」


「そうだな。じゃあ俺釣り餌持って行くから、二人は先外出てて」



そう言うなり大水槽下の引き戸を開けて、何やらガサゴソとやっている。



「じゃあお言葉に甘えて、僕らは先に行こうか」

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