漓宛編 シイラになれたら

山ノ大神年 文月二十六日

山ノ大神年 文月二十六日 第一話

 沖に向かっている間に、操縦を代りたがった惺大と交代した縁と一緒に一階へと戻る。



「仕事について今のうちに話しておくね。まず亡者の記憶は魚の姿になっているから、釣り上げるか大網で一度に大量に捕まえるか…方法は異なるけれど基本的には漁をすることになるよ」



彼は入り口近くの壁にかけられたコルクボードを指さした。



「これはノルマ。特定のきおくを納品してほしいっていう、神様からの依頼だよ。毎日ノルマが書かれたメモ用紙をウミネコが届けてくれるんだ、凄いでしょう」



落ち着いた声音で話されるせいか、内容もすんなりと理解することが出来た。



「わかった。それをこの大水槽に入れるの?」


「ううん、ここには海から上げたメモにはないきおくを保存しておくためのもの。メモにあるのは釣り上げたら逐一ウミネコに渡して神様へ届けてもらうんだ」



大水槽に入れたきおくたちは、水槽がいっぱいになったら市場に持って行くらしい。

 隠世に市場があるのか、と驚く。

 誰がきおくを買うんだろう。こうして依頼してくるくらいだし、神様かな。



 次にシャワー室に案内された。

 一度外へ出て、魚型の船の尾っぽの方へ回り込んだ場所にシャワー室はあった。



「どうしてこんな場所に?。位置的に階段下にあるんだから、室内に入り口があってもいいのに」



それはね、と縁は一匹の魚を足元にあったバケツから取り出して続けた。



「一見魚に見えるけれど、あくまで亡者の記憶。触れたりじっと見たりすると、まだ記憶を持ち続けている君のような亡者によくない影響を与えることがあるんだ」



具体的に何が起きるのか、彼はそれを知っていそうな顔をしながらも黙っていた。

 ただ、その悪影響を受けないために、本来亡者はしなくても問題ない睡眠やシャワーを浴びるといった行為を、この仕事をしている以上することになっていると言う。どちらも生前日常的にしていたことだし、忠告に従わない理由もないので素直に頷く。



「漓宛は釣りをしたことはある?」


「ない。教えてくれる?」


「もちろん」



 第一印象から、縁は優しそうな人だと感じていた。私に向ける眼差しも、言葉も、纏う雰囲気もどこか柔らかくて、今まで出会ったことがないタイプだった。一緒にいて居心地がいい。その理由としてはたぶん――



「訊かないんだね。どうして列から抜けたのか」



来世か牧場へ向かうことが当たり前みたいな状況の中で、どうしてあの列から抜けたのか。当然、折を見て聞かれるものだと思っていた。



「誰にだって聞かれたくないことくらいあるでしょ」



その通りだ。その発想が縁にあるということは、彼にも聞かれたくないことがあるのだろう。縁のことをもっと知りたいと思うけれど、確信に迫るような何かを訊かなくたって、彼の言動から人柄を知ることは出来る。「どうして死んだの?」なんて、まるで誕生日を尋ねるような感覚で訊けるような話題ではない。



「この仕事をしていると、出会いたくなかったきおくを釣り上げちゃうことがあるんだ。そんな時はすぐに僕に声をかけて」


「ありがとう。そうする」



 この時の私は、自分が歩めなかったような人生を歩んだ人の記憶を見てしまうことで、羨望や嫉妬に苛まれて嫌な気持ちになるとか、その程度の話だと思っていた。だけど、縁の言う「出会いたくなかったきおく」が本当はどんなものなのか、今の私には想像が及ばなかった。

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