鐘が鳴る ー天道真一の追想ー

十九歳の設計図

帝都大学建築学科、昭和二十七年の春。

戦後の混乱もようやく落ち着き、学生たちは瓦礫の中から未来の街を描こうとしていた。

その中に、まだ肩書きも自信もない青年——天道真一(19)がいた。


彼は生真面目で融通が利かず、

図面の線一本に三時間も悩むような性格。

教授陣からは“職人気質”と評されるが、

同級生からは「遅筆の天道」とからかわれていた。


「線は命だ。迷えば建物も死ぬ。」


それが、当時の彼の口癖だった。


ある日、大学の古い製図室で、

天道は破れかけた青焼き図面を見つける。

そこには、設計線の上に小さく走り書きがあった。


《音を閉じこめる構造》


誰の手によるものかはわからない。

しかし、その言葉に天道は強く惹かれた。


「建築に、音を……閉じこめる?」


以来、彼は講義そっちのけで音響構造を独学し始める。

廃材で作った模型に風を通し、響き方を記録。

友人たちが恋や映画に夢中になる中、

彼は一人で夜の講義棟に籠もり、

“音の建築”を追い求めた。


そんなある夜、

製図室に現れたのは文学部の学生、花村綾だった。

彼女は演劇サークルで舞台美術を担当しており、

照明器具の設置を相談しに来ていた。


「あなたが“遅筆の天道”さん? 本当に遅いのね」


天道は苦笑しながらも、

彼女が模型に手を伸ばすと、響いた小さな“音”に気づく。


コォン……


綾が言った。


「まるで鐘の音ね。舞台の幕が上がるみたい。」


その一言で、天道の胸に火がついた。

音と空間が“感情を動かす”ことに気づいた瞬間だった。


二人は協力して、大学祭に出展する仮設建築——

**「風の塔」**を設計することになる。

外壁は薄い木板をずらし合わせ、

風が吹くたびに内部で柔らかく鳴る構造。


しかし、提出前夜に暴風雨が直撃し、

塔は完成前に倒壊してしまう。


濡れた図面を拾い上げながら、

綾がつぶやいた。


「音も建物も、消えていくのね。」


天道は首を振った。


「いや、僕は……もう聴いた。

建築の中に、人の想いが鳴る音を。」


翌年、綾は文学の道を選び、大学を去る。

天道はその後、音響建築の研究を正式に始めた。

ノートの最後のページには、こう記されている。


《建築は、沈黙の中の音楽だ。

いつか、誰かの祈りを鳴らせる建物を造りたい。》


そして数十年後——

帝都公会堂の「第四の鐘」が鳴るとき、

その願いは静かに叶うことになる。

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