第3話 戦闘狂の女騎士、クララ

 エルフィとの「契約」から、さらに数日が過ぎた。

 俺たちの生活は、少しずつだが確実に変わり始めていた。

 エルフィの体調は、劇的に改善していた。俺が金に糸目をつけずに買い与えた栄養価の高い食事と、清潔な環境のおかげだろう。頬には赤みが差し、カサついていた肌は瑞々しさを取り戻していた。

 問題の「魔力欠乏症」だが、これも回復の兆しを見せていた。どうやらこの症状は、強いストレスと絶望が原因で魔力回路が閉塞する精神的なものだったらしい。俺との契約で生きる目的復讐を見つけた彼女の魔力回路は、少しずつ開き始めていた。

 まだ実戦で使えるレベルではないが、小さな火種を起こす程度の生活魔法なら使えるようになっていた。


「……ご主人様、お茶が入った」


 エルフィが、湯気の立つカップを俺の前に置く。

 相変わらず表情は硬いが、最初の頃のような刺々しい殺気は消えていた。


「ありがとう。……随分と様になってきたな」


 俺はカップを受け取り、彼女を見る。

 市場で買った簡素なワンピースを着ているだけなのに、その立ち振る舞いには隠しきれない気品があった。さすがは元王女(仮)といったところか。


「当然だ。私はハイエルフの誇りにかけて、受けた恩は返す。……それに、ご主人様の世話をするのは、悪くない」


 最後の一言は、聞こえるか聞こえないかの小さな声だった。

 俺はニヤリとするのを堪えて、紅茶を啜る。


(順調だな。さて、そろそろ次の段階だ)


 資金はある。内政(身の回りの世話と、簡単な経理)を任せられる人材も手に入れた。

 次に必要なのは、やはり「武力」だ。

 エルフィの魔法が復活するのを待ってもいいが、前衛がいないと安定しない。魔法使いは詠唱中に無防備になるからな。

 俺はカップを置き、立ち上がった。


「エルフィ、出かけるぞ。今日は『冒険者ギルド』に行く」

「……ギルド? クエストを受けるつもりか? 今の私たちには無理だ」


 エルフィが冷静に指摘する。


「分かってる。クエストを受けるんじゃない。『人材』を探しに行くんだ」


 俺は外套を羽織り、腰に短剣(飾り用だが、少しでもナメられないためのハッタリだ)を差した。


「俺たちのパーティには、頼れる『盾』が必要だ。それも、とびきり頑丈で、絶対に裏切らないヤツがな」


        *    *    *


 王都の冒険者ギルドは、常に荒くれ者たちの熱気で満ちていた。

 昼間から酒を煽る戦士たち、クエストボードの前で獲物を品定めするパーティ、受付嬢に軽口を叩くナンパ男。

 そんな喧騒の中に、俺たちのような子供(一人はフードを目深にかぶったエルフ)が入っていけば、当然目立つ。


「おい見ろよ、ガキが迷い込んできたぜ」

「お使いか? 坊や、ミルクなら家でママにもらってきな」


 下卑た嘲笑が飛んでくる。

 俺は無視して、ギルド内の様子を観察した。

 【絶対交渉術】をフル稼働させ、使えそうな人材を探す。


【対象:戦士A】

【欲望:B(金銭欲、性欲)】

【特記事項:ギャンブル癖あり。借金まみれ。裏切りリスク高】


【対象:魔術師B】

【欲望:C(名誉欲)】

【特記事項:実力は中堅。プライドが高く、扱いづらい】


 ……どいつもこいつも、帯に短し襷に長しだ。

 金で雇えばそれなりに働くだろうが、命を預ける気にはなれない連中ばかりだ。

 その時だった。

 ギルドの片隅、酒場のテーブルの一つが、妙に静まり返っていることに気づいた。

 そこには、一人の女が座っていた。

 燃えるような赤い髪をポニーテールにまとめ、全身を実用一点張りの金属鎧で固めている。年齢は十八、九といったところか。

 整った顔立ちをしているが、その表情は氷のように冷たく、周囲を威圧していた。

 そして、彼女の足元には、三人の男たちが伸びていた。


「……ッ、このアマ、いきなり殴りやがって……!」


 鼻血を出して呻いているのは、さっきまで大声で自慢話をしていたCランク冒険者の男だ。

 女騎士は、ジョッキに残ったエールを飲み干し、ドンとテーブルに叩きつけた。


「……次はどいつだ? 私とパーティを組みたければ、まずはその薄汚い根性を叩き直してから来い」


 凛とした、だがドスの効いた声。

 周囲の冒険者たちが、恐れをなして目を逸らす。


「あいつ、またやってるよ……。『鮮血のクララ』だ」

「腕は超一流だが、性格が最悪だ。少しでも気に入らないことがあると、依頼主だろうが仲間だろうが殴り飛ばす」

「あんなのと組めるのは、命知らずのバカだけだぜ」


 聞こえてくる噂話。

 なるほど、厄介払いされているわけだ。

 だが、俺の目は釘付けになっていた。

 彼女の頭上に浮かぶステータスウィンドウに。


【対象:騎士クララ】

【欲望レベル:S(闘争欲求、承認欲求)】

【現在の思考:『なぜだ。なぜ誰も私の本気についてこれない。私はただ、強くなりたいだけなのに。……寂しい。誰か、私を真っ直ぐに見てくれる者はいないのか』】

【特記事項:戦闘技術Sランク。ただし協調性Eランク。極度の男性不信】


(……見つけた)


 俺は内心でガッツポーズをした。

 Sランクの戦闘技術。そして、心の奥底に抱える「孤独」と「承認欲求」。

 面倒くさい性格だが、裏を返せば、一度懐に入ればこれほど頼もしい存在はいない。

 俺はエルフィに目配せをし、クララのテーブルへと歩み寄った。


「よう、お姉さん。随分と派手にやったな」


 俺が声をかけると、クララはギロリと俺を睨みつけた。


「……なんだ、子供か。冷やかしなら消えろ。私は今、機嫌が悪い」


 殺気。普通の子供なら、これだけで泣いて逃げ出すレベルの威圧感だ。

 だが、俺は平然と肩をすくめた。


「機嫌が悪いのは、誰もあんたの『本気』に応えてくれないからだろ?」


 クララの眉がピクリと動く。


「……何を知ったような口を」

「見てれば分かるさ。あんたは強い。強すぎる。だから、周りの男たちが軟弱に見えて仕方がない。違うか?」


 図星を突かれ、クララは言葉に詰まる。

 俺は彼女の向かいの席に、勝手に座り込んだ。


「俺はリヒト。こっちは連れのエルフィだ。俺たちとパーティを組まないか?」


 周囲がざわついた。「おい、あのガキ、自殺志願者か?」「殺されるぞ」といった声が聞こえる。

 クララは呆れたように鼻を鳴らした。


「……子供の遊びに付き合う暇はない。家に帰ってママの乳でも吸っていろ」

「残念だが、俺にママはいない。それに、これは遊びじゃない。ビジネスの話だ」


 俺はテーブルの上に、金貨を五枚、積み上げた。

 チャリ、という音が、ギルドの喧騒を一瞬だけ静まらせた。


「……金か。私は金で動く女じゃない」


 クララは金貨を一瞥しただけで、興味なさそうに吐き捨てる。

 想定通りだ。【現在の思考】にも『私を金で買おうとするな、不愉快だ』と出ている。


「だろうな。あんたが欲しいのは金じゃない。『対等な仲間』だ」


 俺は金貨を引っ込める。


「あんたは今まで、多くのパーティから勧誘されただろう。だが、どいつもこいつも、あんたの『体』目当てか、あんたの『強さ』を利用したいだけの連中だった。だから、腹が立って殴り飛ばした。そうだろ?」


 クララの目が、わずかに見開かれる。


「……なぜ、それを」

「俺には視えるんだよ。あんたの『孤独』がな」


 俺は真摯な(演技の)眼差しで、彼女を見つめた。


「俺は、あんたの体が目当てじゃない。……いや、美人だとは思うが、今はそれどころじゃない。俺は純粋に、あんたの『強さ』そのものに惚れたんだ」

「……口が上手いな、坊主」


 クララは警戒を解かないが、少しだけ興味を持ったようだ。


「俺は戦闘力が皆無だ。スライムにも勝てない。こっちのエルフィも、今は事情があって魔法が使えない」


 俺はあえて、自分の弱さをさらけ出す。


「は? なら、どうやって冒険者をするつもりだ? 自殺行為だぞ」

「だから、あんたが必要なんだ。『盾』として、そして『剣』として。俺たちの命を、あんたに預けたい」


 俺は立ち上がり、彼女に手を差し伸べた。


「俺は戦えない。だが、頭は使える。交渉も得意だ。あんたがモンスターと戦っている間、俺はその他の全て――面倒な依頼主との交渉、報酬のつり上げ、物資の調達――を完璧にこなしてみせる」


 俺は、彼女が最も苦手とする(協調性が必要な)部分を、俺が引き受けると提案した。


「俺たちは、互いに足りないものを持っている。最高のパートナーになれると思わないか?」


 クララは俺の手と、俺の目を交互に見た。

 彼女の【思考ウィンドウ】が、激しく揺れ動いている。


『この子供……本気か? 私の強さを、恐れないのか? 私を、必要としてくれているのか?』


 承認欲求。それが彼女の最大の弱点であり、攻略の鍵だ。

 長い沈黙の後。

 クララは、フンと鼻を鳴らし、立ち上がった。


「……口だけは一人前だな、リヒト」


 彼女は俺の手を、ガシリと強く握り返した。

 痛いほどの力だった。それは、彼女の不器用な信頼の証だった。


「いいだろう。一度だけ、試してやる。だが、もし足手まといになったら、その時は容赦なく見捨てるぞ。覚悟しておけ」

「望むところだ。歓迎するぜ、『鮮血のクララ』」


 俺は痛みを堪えて、ニヤリと笑った。

 こうして、俺のパーティに、最強の(そして最高に面倒くさい)女騎士が加わった。

 エルフィが、俺の後ろで小さくため息をついたのを、俺は聞き逃さなかった。


(……やれやれ、ご主人様の『女たらし』がまた始まった、とか思ってそうだな)


 まぁ、否定はしないが。

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