第5話 賽も匙も30分投げ放題!


 緊張した面持ちでユーインはお隣さんの玄関ドアの前に立った。


 一度インターホン押そうと指をボタンに添えたが、ためらってしまい、そっと離す。大体ご飯を作りすぎたからもらってほしいなど、いきなり言いに来られたら怪しまれるに決まっている。


 だがこのままではらちがあかない。いや、待て。そもそもこの時間に家にだれかいるのだろうか。


 自分はフルタイムで働くような仕事ではないから、平日のこんな時間でも在宅できるのだ。しかし一般的な職についていたら会社に行くなりといないはず。


 しかしそれならそれでまた新しい手を考えればいい。ここにとどまっている方が不審者だ。


 ユーインはええいと思い切ってインターホンを押した。


 ピンポン、と二回ほど鳴ったあと、ドアの向こうで鍵の開く音がして、背中がまっすぐ伸びる。


「はいはい。あら、新しく越してきた人だ」


 出てきたのはかじか、ではなく長髪の細身の青年だった。けだるげそうな彼はユーインをまじまじと観察してから、後ろへ振り向いて「かじさーん」と叫んだ。声の大きさにびくっと肩が跳ねる。


「なに! いまいいところなんだって! ちょうどバトルが始まったところでさぁ」


 奥から見知った声がした。脇から覗いてみたが彼の姿は見えない。目の前の男がイラ立ったように頭を掻く。


「お隣さんが来てんだよ! 英語わっかんねぇんだから対応してくれ!」

「それくらいやれや、世界で通用する漫才師になるんだろ!」

「いやまだ勉強始めたばっかじゃん、俺」

「知らねぇよ!」


 がなる声が一階まで響きそうで脈拍が乱れる。普段からこの声量で話し合いをしているなら、壁が厚いという証明になって助かるがそうふざけてはいられない。


「あの!」とユーインも思わず二人のやり取りを遮った。男が再度こちらに顔を向ける。


「ノーノーイングリッシュ」

「いえ、少しは日本語もわかるので警戒しないでください……」

「え? そうなの?」


 男たちの大声と喧嘩しあうような掛け合いに、ユーインはすっかり怯えて子鹿のように震えてしまい、身を縮める。やはりこの作戦は失敗だったのだ。いますぐ家に帰りたい。けれどこいつらに負けた気がするのも嫌だ。


「ったくよー。あれ、フォーサイスさんだ。どうしたんですか」


 ようやく後ろからかじかが現れた。しかし手に吸いかけの電子タバコを握っていたせいで、ユーインはさらにいますぐ踵を返したくなった。ルールで禁煙とは書いていなかったが、訪問者の前で吸うか、普通。


 震えているユーインにかじかも首をかしげる。長髪の男はやれやれと肩をすくめながらトイレに入っていった。


「おーい。あ、もしかしてようやく返事してくれるつもりになった?」

「へ、変な言い方をしないでくれ」


 腕を組んでちょっとにらんでみた。さすがにかじかも察したのか、「すみません」と謝ってくる。


 さて、どう提案したらよいだろう。悪癖が原因で飯を作りすぎたからご相伴にあずかってくれませんか。これは弱みを晒したみたいで嫌だし、突然すぎで快くない。怪しい。


 なるべくこちらが優位に立てるようにしなければ。そうなると、持っている手札から出すべきカードは──。


「ネタの件ですが。使ってもらってもいいけれど条件があります」


 ユーインは咳払いをしてさきほどまでの震えを消した。かじかが「はぁ」と気の抜けた相槌を打つ。


「まず、こちらをバカにしたり差別するようなものにはしないでください。台本も事前に確認する。もしNOを出したら従ってほしい」

「も。もちろん……」

「俺もプロの小説家としてあなたたちをネタにさせてもらう」

「小説を書いてるんすか」


「そうです」と胸を張った。あとで証拠として本を差し入れしてやろう。ではなく、本題はここからだ。


「ルームシェアしてるんですよね」

「ですよ。芸人三人とイラストレーターが一人」

「二月のメテオラの人?」


 踏み込みすぎだろうか。でもこれくらい訊いたっていいだろ、こちらは身を切ることになるんだから、と開き直る。かじかは頬を掻いてからユーインの質問を否定した。


「ぜんぜん違う人。これ関係あるんすか?」


 おっと、と一歩引く。とにかく人数が把握できればそれでよかったのだが、やはり不愉快だったか。だがきっかけとしては上々だ。


「いや、実はご飯を──」

「もし気になるなら俺たちラジオやってるから、それを聞いてみたらいいですよ」

「はぇ? ラジオ?」

「そう。ズッコケ高円寺三人組っていう番組名で配備してるから。ポートックスって配備サービスで。なにかネタにしたいことがあったら訊いてくれればなんでも答えますんで」

「その、そこまでは別に、」

「日本語の勉強にもなると思うしよかったら。あ、ノベルティあげますね」


 かじかの方が一枚上手だったようだ。自分を売り込む営業に慣れているのだろう。きっかけを逃さない姿勢は素晴らしいが、ひぇ、とユーインは小さく悲鳴を上げてしまう。せっかくの機会をかすめ取られたうえに、押せ押せの対応に恐怖が生まれた。シューズケースの上に置いてあった番組名の入ったライターを無理やり握らされる。


 しかしここで逃げては元も子もない。唾を飲みこんでから、「だったら」と再度一歩足を前に出した。


「俺も料理あげます!」

「はい?」


 ベールにゆっくりと包まれていくようにマンション内に沈黙が生まれる。タイミング悪くトイレから出てきたさきほどの彼も、こちらを向いて驚いていた。


 や、やっちゃった~。もっと順序を説明しないとそりゃびっくりするよな。


 一息ついてから、ユーインは恥ずかしさから膝を折ってしゃがみこんでしまった。


「ごはん、つくりすぎちゃって、よかったら食べてもらえないかって、うぅ……」


 もごもごと白状した青年の言葉に、芸人たちもすぐに状況を飲み込んだらしく玄関から身を乗り出した。


「え、むしろいいんですか!? 助かりますよ! 俺らまだあんま食えないんで、岡島、ばちかん呼んで来い! 飯だ飯、お隣さんがめぐんでくれるぞ!」

「マジ!? あざーす!」

「ちょ、ま、うわっ、やめ、肩掴まないで!」


 結局弱みどころか神様ぁとかじかたちに囲まれ大騒ぎになった。ドタバタと全員が部屋から出てきて大喜びでユーインの家からマンションの共有スペースに鍋を運び、さながら炊き出しのように四人がポトフをみるみるうちに平らげ、鍋もきれいに洗われて帰ってきた。


「こんなうまい飯にありつけたの久しぶりすぎる」と長髪の男が泣きだし、もう一人の眼鏡はしきりにSNSに写真をあげていいか訊いてくるし、当のかじかはなにやら書類をユーインの前に出してきた。


「先生さえよければ、多少なり材料費とかこっちからも出すしまた作ってくれません? 悪癖で済ませるにはもったいないって」

「なんのことだか」

「ネタの件で話す前にぶつぶつ呟いてましたよ」

「う、うげ……」


 つまりその紙は形式上の契約書だということだ。ネタを提供しあう旨と、飯の提供について記載されていた。ご丁寧に英語まで書いてある。震える手で受け取り文章を検めているとペンを渡され、気づけばサインをしたためていた。


 ち、違うのだ。たくさん大人数料理が作れそうだやったーとかではなく、こちらも条件を示した手前断りにくくなっただけで、決して作りたいメニューが頭の中を占拠したからではなく。そう、こういうのは口約束で済ませたらいけないのは当然のことだ。こちらとしても、あちらからしても。


 ハルとアスターの冷ややかな視線が背後からした気がして慌てて振り向いてしまった。だれもいなかった。


「最後に、なにか困ったことがあったらなんでも頼ってください。日本にようこそ、まほーいたたたたっ! やべぇ忘れてた!」

「愚かものだな、きみ」


 そうして魔法使いこと新進気鋭の小説家、ユーイン・フォーサイスは、人気急上昇中の若手芸人、秋庭かじかと──、おそらく友人という関係になったのだろうか?



 しかし表現を仕事にする者同士、案外すぐにでも仲良くなりそうだ。

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魔法でなくとも 二代目チウネ @chiune2_777

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