03

 大丈夫って言うてんのに、ダンテもゆりも一緒に寝るって言うねん。

 なんでやろ?

 ちゃんと薬も飲んだし、気分もいい。医者の先生から寝る薬ももらってきた。絶対大丈夫って、言うてんのにやで? せやのに二人して、俺の事追いかけ回してくる。

 俺はお風呂上りに冷たい水を飲みながら、ぼんやり食堂に座ってる。

 行くとこ、ないんやもん。持ってきたパジャマを着て、ぼうっとテーブルに座ってたら湯冷めして寒なってきた。流石に諦めて仮眠室に行くべきや。

 でもゆりのそばにおったら、やっぱりもやもやするんよ。ぎゅってなって、ちょっと苦しい。

 それにゆりの顔見てたら、昨日の恥ずかしい夢を思い出す。

 俺、とんでもない事言いながら、ゆりに甘えて泣いててんで? あんな情けないところ、思い出したくない。おまけに何回もキスされたし、恥ずかしすぎる。よりによってゆりとやで? そんなに溜まってるんかな? マジで女と遊ぶべきかもしれん。

 またあんな変な夢見たらどうしよう。

 嫌すぎる。

 でもこのままやったら風邪ひきそうやし、諦めよ。覚悟を決めて、仮眠室に行く事にする。薬飲んでとっとと寝たらええねん。今日は夢も見ぃひんほど寝れるって信じてんで、先生。

 俺は水の入ったペットボトルを持って、食堂を出た。

 念のためトイレに行ってから仮眠室に向かう。やっぱり、俺の下半身は全然反応せぇへんけどな。なんやったんやろ、昨日の夢。

 迷いそうになりながら仮眠室に行くと、ゆりとダンテが楽しそうにゲーム機で遊んでる真っ最中やった。

「おお、ルノ」

 ゆりがにこっと笑って俺を見る。

 ああ、嫌や。なんでこんなにしんどいねん?

 もやもやしたまま部屋に入ると、靴を脱いで畳んであった毛布を広げた。ムーランを抱いて床に転がると、ゆりが毛布に冷たい足を突っ込んできた。

「何すんねん。寒いやんか」

「冷たい体やな。風呂入ったんちゃうんか?」

 ゆりはそう言うと、俺の事を見下ろして笑った。

「ええやろ、別に」

 ペットボトルをクッションの横に置いて、俺は自分のボディバッグに手を伸ばす。先生にもらった薬を出して、それを手の平にのせたら口に入れて水で流し込んだ。よし、これで絶対寝られる筈や。

 時刻は九時半。せやのに、二人は全然ゲームをやめようとせぇへん。

「朝早いんちゃうん?」

「せやけど、今ええところなんやもん」

 ゆりが楽しそうに言うた。何やってんのか知らんけど、ダンテがキラキラした目で遊んでる。二人して、めちゃ楽しそう。

 ピコピコなんか音が鳴ってるけど、そんなにやかましい訳やない。これやったら眠れそうや。

「ルノ、もう寝んの?」

「明日はカヌレ焼くから早めに寝たいんや」

「おしゃれな料理か?」

 嬉しそうなゆりはピコピコやりながら言うた。

 俺はそのまま転がってギャレットとジュラ子さんを頭の横に並べた。これで安心して寝れんぞ。ムーランをむぎゅっと胸にくっつけて、毛布にもぐると目を閉じる。

「せっかくやから、もうちょっと遊ばへん? オレ、お泊り会みたいで嬉しくて寝られへん」

 嬉しそうなダンテが言うた。

 勝手にやってくれ。何がそんなに楽しいんや? いつも寝てるやんか。何がちゃうねん。

「電気消したい」

「あかん、もうちょっと待って」

 楽しそうな声でゆりが言うた。ゆりに背中を向けて転がると、何故かゆりがもたれかかってきた。人の事、クッション代わりにすんな。重いっちゅうねん。ただでさえ苦しいのに。

「重い」

「ルノもちょっとくらい遊ぼうや」

「寝たいって言うてるやんか」

 そしたら今度はダンテものしかかってきた。

「じゃあ、一回でええからババ抜きしようや」

「嫌や」

「そんなん言わんと遊んでぇや」

 なんやねん、二人して。

 しゃーないから毛布から顔を出した。

「二人して何すんねん。重いやんか」

 キラキラした目をこっちに向けたダンテが飛び付いてきた。ぐえって声が出る。

「こういう時って、何して遊ぶもんなん?」

「人生ゲームとか、映画鑑賞やろ」

「なるほど」

 楽しそうな二人にうんざりしながら、俺はもぞもぞ布団にもぐった。

「二人でやってくれ」

「ダンテ、ホラー映画見ようや。エルム街の悪夢」

「ゆり」

 無理矢理起き上がると、二人はようやく俺からどいた。なんやねん、マジで。酷すぎるやろ。

「じゃあリングはどうや? ルノ、日本のホラー映画見た事ないやろ」

「あるわ。やめてくれ」

 二人はちょっと意外そうな顔をしてこっちを見てきた。

「何見たん?」

「テレビからお化け出てくるやつ」

「貞子や!」

 なんか楽しそうに笑う二人に、ちょっとだけ嫌になってきた。何が悲しくてホラー映画見やなあかんねん。薬飲んでんのに魘されそうや。

「もういい、分かった。俺他の部屋で寝る」

 毛布を抱えて移動しようとしたら、ダンテがしがみついてきた。

「見ぃひんから落ち着いて。な?」

「放してくれへん? 俺、男に抱かれる趣味はない」

「虫出たら抱かれてるやん」

 めちゃイラっとする。なんで俺はこんなんに耐えやなあかんねん? 酷すぎると思うんやけど。

 眠なってきたから、あくびして床に倒れた。もう相手したくない。とっとと寝るんや。寝てすっきりしたい。もうこのもやもやしたのもどっかいかへんかな。しんどくなってきた。

「しゃーないな。電気消して、面白い話でもするか?」

 楽しそうなゆりに言われて、ダンテが横に転がってきた。

「どんな話すんの?」

「なんでもええんやで。うちは東京のスケボーパーク行きたいんやけど、そんな暇なくてちょっと寂しい」

 ゆりは楽しそうに言うた。

「スケボーパークって、どんなん?」

「ジャンプしたりする坂とかがあるようなとこやん。大阪やったら心斎橋にあんで」

「ちょっと行ってみたい」

「今度ダンテも行くか? 滑らんでも楽しいと思うで」

「オレ、それちょっとだけやってみたい」

 ダンテが俺を挟んでゆりと楽しそうに喋ってる。やかましいけど、我慢や。ゆりが電気を消したらしい。部屋が真っ暗になる。その後、ゆりが戻ってきて、俺の横にころんと転がった。

「オレ、秋葉原の電気屋さん行ってみたい」

「千円ガチャ、ちょっとやってみたいな」

 楽しそうな二人の声に、俺は必死で寝ようと集中する。でも全然寝れそうにない。だって、わざわざ俺を挟んで話しよんねんで? 邪魔すぎる。

「なあ、ダンテの横に行ったあかん?」

 起き上がって二人に訊いた。二人は同時に俺の腕を掴んできたから諦める。ああ、寝たい。早よ寝たいのに、なんやねんこれ。

「あかん、ルノは真ん中や」

「せやで。そこで寝てや」

 ゆりが俺の頭を撫でてきた。

「ほら、ええ子ええ子」

「バカにすんな」

「してへん」

 マジで、俺なんでこんなところで寝やなあかんねん? 一人でゆっくり寝たくなってきた。怖いけどその方がマシ。このままじゃ永遠に寝られへん気ぃする。

 毛布の中でうだうだしてたら、ダンテがちょっとだけ真面目な顔をした。

「ジャメルさんって、しつこいタイプなん?」

 急にダンテが言い出した。

「はあ?」

「ヴィヴィアンはしつこそうって言うてたけど、どうなん?」

「まあ、しつこいんちゃうか? 諦め悪いけど、なんで?」

 俺は毛布から頭を出すと、ダンテを見た。

 薄暗い部屋の中で、ダンテの顔がぼんやりとだけ見える。不思議そうにこっちを見てる。

「ゆりちゃんが、ヘイリーはしつこそうやって言うてたから」

「しつこいやろ。あからさまに話しそらしてんのに、彼氏に立候補するとかアホな事ぬかしてんねんで?」

 昼間に一体何があったんや?

 俺はゆりの方を向いた。

「何があったん?」

「初対面の変な兄ちゃんに告白されたんよ。好きな人おるって嘘ついたら、ダンテがそれって誰とか言うてくるから、ちょっとおもろかった」

 俺はダンテの方を向いた。

「ヘイリーが?」

「そうやで」

 あの兄ちゃん、自分には全然自信なさそうな感じやったけどな。なんでやろ? そんな事が言えるタイプには見えへんかった。

「しつこかったん?」

「まぁ、好きな人おるって言うたら諦めたから、そこまでかな?」

 ぼうっとしながら、ジャメルの事を思い出す。

 確かに中学の時、あいつがクラスの子にしつこく付き合ってくれって言うてんの見たな。二回くらいフラれて、ジャメルが飲んで忘れるとか言うから一緒に酒飲んだ気がする。

 あの時やったっけ? 気が付いたら全然知らん女と裸で布団におって、なんにも覚えてないのに童貞卒業おめでとうとか言われたの。それも年上の高校生の女やった。

 マジで何されたんか、全く覚えてないんよ。でもあちこちにキスマークつけられてて、ジャメルは見てたって言うし、多分ホンマなんやと思う。ショックやった訳やないけど、あれにはマジでビビったな。

 でも帰ってから、ジャンヌと姉ちゃんに殴られたんよ。そこまでやると思わんかったとか言われて、めちゃくちゃ言られて叩かれた。しかもその後しばらく、ジャンヌは一緒に寝てくれへんかったな。

「ルノはしょっちゅう告白されてそうやない?」

 ゆりが面白そうに笑った。

「ロクな女いてなかったけどな。酔っ払ってええぞって言うて、翌日なんも覚えてなくて叩かれた事が何回かある」

「最低」

「それってどれくらいの人数いてんの?」

 ダンテが珍しく興味ありそうな顔をした。ゆりはドン引きって顔して座ってる。

「覚えてへんけど、結構いてると思う。適当に返事して、ヤリ捨てしまくった」

「うーわ。マジか」

「俺みたいな奴に本気になる女が悪い」

 実際そうやろ? 俺みたいなクズ、好きになる方が悪い。パトカーに火炎瓶投げるような不良にホレるとか、絶対後悔すんの分かってるやん。わざわざそんな俺の言葉を真に受けて、付き合ってくれって寄ってきた女やぞ? そんなもん、自分のせいやんか。

 確かに、処女の女が言い寄ってきた事だけはない気がするな。面倒やし、そういうのとだけは関わった事ない。

 ぼうっとしながら、ジャメルの事を思い出す。

 いっつも、年上のジャメルについて歩いて、いらん事ばっかり教わって、楽しかったな。ジャメルは俺の知らん事ばっかり知ってて、ヤバい友達をいっぱい紹介してくれた。一緒に酔っ払って、毎日遊び歩いて、悪い事は全部あいつに教わったんちゃうやろか。

 ジャメルはよく、女に本気になってた。俺には全然分からんけど、その方が楽しいとか言うてたっけ?

 でもフラれてヤケ酒飲む時、いっつも俺が一緒やった。俺のがへべれけになって、翌朝なんにも覚えてない事がいっぱいあった。ジャメルは割とすぐ立ち直って、また楽しそうに遊んでたけど、俺は今も恋愛の楽しさだけは分からんままや。

 好きな相手とするキスは気持ちいいなんて、ジャメルは真顔で言うてたけど、それがホンマかどうかも知らんままや。そんなに違うもんなんかな? 俺にはさっぱり分からへん。

 ぼんやりしながらダンテに訊いた。

「ダンテはちょっとでも好きになった相手おれへんの?」

「いてへん」

「俺もいてへん」

 ゆりが俺の前髪をふにゃふにゃ触ってくる。ちょっと気になるけど、黙ってそのまま俺は目を閉じたままでおった。そのうちやめてくれるやろ。

「ダンテは子どもやな。でもそのうち、ええ人見つかると思うで」

 ゆりは楽しそうに笑うと、俺の横に転がった。やっと髪の毛から手を離してくれる。俺はちょっと考えた。だってダンテの相手やぞ? そんなもん、マジでなんでも知ってそうな、とんでもないお姉さんに決まってる。それも意外と美人やないか?

「絶対年上やと思う」

「せやな。年上のお姉さんやろな」

 ころころ転がってきたダンテが笑った。

「そんな人、いてるかな」

「世の中広いからな。ルノみたいなどうしようもないのでも、好きになる奴おるんやで? 絶対いてるわ」

 めちゃ失礼な事言いながら、ゆりは笑った。

 まあ事実やからしゃーない。好きに言うてくれてええよ。自分でも自分が最低の男やって分かってるし。俺より最低な奴、いてへんのちゃうか?

「俺が女にホレるような事あるんかな」

「なんで?」

 ダンテが俺の横で楽しそうにこっちを見てる。

「俺、マジで分からんねんもん。いいなと思った事すらない。少女漫画は幻やと思う」

「そんな事ないと思うけど」

「なんで?」

「だってヴィヴィアンは幸せそうやもん」

 面白くて、ちょっと笑った。

「でも支部長がどう思ってるかは分からへんやん」

「好きって言うてたで」

「嘘かもしれんやん」

 ゆりも横で笑ってる。

 でもダンテは起き上がると、俺の事を覗き込んできて言うた。

「お正月に喧嘩してたで。ヴィヴィアンが酔っ払って、お情けで結婚してほしかったんちゃうって言うたせいで、めっちゃ怒って泣いた」

 横で寝てたゆりが起き上がった。

「そうなん?」

「やりたくなかったのに工作員になったんは、ヴィヴィアンが好きやったからやって、めっちゃ泣いた」

「酔ってたんやないん?」

「酔ってたけど、あれは絶対本気やと思う」

 あんな怖いイノシシに、そこまで本気になれるって凄いな。泣くほど好きなんやったら、もっとイチャイチャしたったらええのに。変なの。そしたらヴィヴィアンはキレへんようになるし、喧嘩も減るやろ。

 ゆりが楽しそうにダンテの方を見た。

「ラブラブやん」

「仲良いけど、そういうのってオレには教えてくれへんねん。なんでかな?」

「ダンテが子どもやからちゃうか?」

 ちょっと笑って、俺はあくびをした。

 眠くなってきた。今日はちゃんと寝られそうや。

「ルノもそのうち、そんくらい好きな相手出来るんちゃうか?」

 ゆりが面白そうに言うた。

「相手にこっぴどく捨てられて、ジャメルさんに泣きつく気がする」

 目を開けると、ゆりの方を向いた。

「捨てられそうな気はする」

「絶対、ジャメルさんを連れ回して酒飲みまくりそう」

「そんな事せぇへん」

 ゆりはめちゃくちゃ楽しそうに笑った。

「どうやろな」


 また夢を見た。

 なんで同じ夢ばっかり見るんやろ?

 ほっぺた撫でられて顔を上げると、ゆりが俺の事見下ろしてて、ちょっと寂しそうに笑うんよ。

 ムーランのいてない右の手首を押さえつけられて、冷たくてちょっと濡れてる口唇をくっつけられる。息が苦しくなるまで離してもらえんくって、心臓の音だけがやかましい。口唇がジンジンして、体がすうって溶けてまいそうな気がする。

 こんなキス、知らん。

 こんなんされた事ない。なんでただのキスで、俺はこんなに気持ちよくなってんの? なんで俺、こんなに感じてんの? 夢やから?

 ドキドキして、胸がきゅって苦しくなって、でも嫌って言われへんねん。抵抗すればええだけやのに、したくないんよ。どうしても出来ひんまま、俺はゆりの下敷きになってるしかない。

 こんな夢は見たくない。

 起きた時、俺はどんな顔してゆりの事見たらええん? こんな夢ばっかり見て、恥ずかしい。

 頭がくらくらする。胸が痛い。

 ぼうっとしながらゆりを見てたら、やっぱり頭を撫でられた。

「ごめんな」

 なんで謝られてんのか分からへん。

 なんか言わなあかんけど、頭が全然回らんねん。どうしよ、俺どうすればいい? 誰か助けて。ジャメル、俺はどうしたらええんよ?

 ゆりは俺の手を押さえたまま、優しく頭を撫でてきた。

「もっかいしてもいい?」

 返事しやなあかんのに、体がちっとも動かへん。力が入らん。くらくらする。すっごいだるい。声も出ぇへん。

 結局俺の返事なんか待たんと、ゆりは髪の毛を耳に掛けて、ゆっくり顔を近寄せてきた。

 嫌な訳やない。

 ただのキスや。なんて事ない、ホンマにただのキス。慣れてる筈や。何回もした事あるから。いろんな女と、何回もした筈や。

 せやのに、心臓が爆発しそうになってる。

 目を閉じると、ゆりの口唇が降ってきた。

ドキドキして苦しい。嫌なら嫌って言えばええだけやのに、どうしても声が出ぇへん。胸の奥がきゅってなって、ちくちく痛い。

 なんでこんなに苦しいのに、気持ちいいんやろ? ピザの上のチーズになった気分や。なんでこんなにとろけそうになってんの? こんなんで、俺どないすんの?

 しかもこれ、ただ触れてるだけやで? 舌を入れられた訳やない。ただ口唇をくっつけてるだけ。昨日もそうやった。くっつけられるだけの子どもがするようなキスや。

 口唇が離れたから、思いっきり息を吸い込んだ。

 どうしよう、胸が痛い。

 でも息吸おうと開けた口が塞がれた。

 今度は冷たい舌が入ってきた。ねっとり絡みついて、なかなか離してくれへん。やけにデカい音が聞こえてくるのは気のせいか? 頭がぼうっとする。優しく何回も口の中を撫で回されて、息が苦しくなってきた。

 たっぷり唾を絡めたキスされてんのに、なんで俺は黙ってされっぱなん?

 自分がやけに色っぽい声出してるのが分かって、急に恥ずかしくなった。ただのキスで、なんちゅう声出してんねん。きっと俺、酷い顔してる筈や。こんなん夢でも見られたくないのに。

 でもなんで?

 俺はなんでキスされる夢ばっかり見てんの? 中学生くらいのどうしようもない頃にかて、こんな恥ずかしい夢は見た事ない。俺、そんなに溜まってんのか? そんな気にはなれへんけど、抜いた方がええんか?

 満足したんか、ようやく離してもらえた時、俺は口に流し込まれた唾を飲み込んだ。いつもやったら絶対飲んだりせぇへん。だって、好きでもない女の唾、飲みたくないやんか。むしろキモいから相手に飲ませる。

 せやのに俺はその唾を黙って飲み込んで、目の前で赤い顔してるゆりを見上げた。

 胸がきゅってなる。苦しい。息ちゃんとしてんのに、胸が痛くて苦しいんよ。ちくちくする。俺が飲み込んだのはただの唾で、サボテンちゃうのに。

「ごめんやで」

 ゆりはもう一回そう謝ると、俺の口唇に軽くキスした。

 頭がぼんやりしてて、全然力が入らへん。

「なんでキスすんの?」

 どうにか絞り出した声はかすれてて、泣きそうなくらい細かった。

「そんなん理由は一つしかないやろ?」

 冷たくて突き放されたような気がした。

 途端に涙が出てきて、胸のちくちくが酷なった。痛い。すっごい痛い。

 なんで? なんで俺、こんなに泣いてんの? ただキスされて、ちょっと冷たく突き放されただけやのに。慣れてる筈やんか。こんなんいつもの事やんか。もっと酷い事、いっぱいされてきた筈やんか。

 俺はパリの悪魔やぞ? パトカー燃やして、警察に追われて、女なんかヤリ捨てしまくった、あのルノ様なんやぞ?

 なんでその俺が、こんなちんちくりんのジャポネーゼに泣かされてんねん? おかしいやろ。何かの間違いや。ただちょっとキスされただけやんか。

 でも胸がぎゅって締め付けられて、痛くて苦しくて仕方がない。

「ごめんな。泣かせたかった訳ちゃうんやで」

 ゆりはそう言うと、俺の手を放してほっぺたを撫でた。

「そんなに嫌なんやったら、もうせぇへん」

 きっぱりそう言われたけど、涙が止められへん。

 俺、嫌やった訳やない。

 あんなに気持ちのいいキス、した事ない。もっとしたいなんて、思った事一回もないんや。数えられへんくらい、いろんな女とキスした筈やけど、こんなん一回もなかった。

 自分でゆりの事を抱き寄せて、思いっきりキス出来たらどんなにいいと思う? 思う存分口唇押し当てて、舌突っ込んで、俺がやられたように唾飲ませられたら、どんなに気分いいやろ。

 せやのに、力が入らんから、自分で自分の顔拭く事も出来んと泣いてる事しか出来ひん。

 これが悪い夢やから?

 いっそお化けに追い回される夢の方がマシや。逃げても逃げても追ってくるお化けに泣かされた方がずっといい。

 こんなちんちくりんのゆりなんぞに泣かされたくない。足太くて、胸もない、ただのジャポネーゼに、なんで俺が泣かされやなあかんねん。どうせやったらデッカイおっぱいに顔をうずめて泣きたい。

「ごめんな。しんどい時に」

 ゆりはそう言うと、俺の顔を拭いた。

「嫌やない」

 どうにかそう言うと、ゆりはちょっとだけ嬉しそうな顔をした。

「じゃあなんで泣いてんの?」

「胸が苦しい」

「それはやりすぎたうちが悪い」

 深呼吸をしてゆりの事を見ると、ちょっとだけ落ち着いた。涙は全然止まらへんけど、ほんのちょっとだけ楽になった。

 相変わらず体が重くて動かへん。頭がぼうっとする。全然動けそうにない。でも声はなんとか出そうや。

「気持ちよかった」

「そうなん?」

「すっごいよかった」

 なんて言うたら伝わんの? 胸がきゅってなって苦しくてしんどいって、こんなアホな事しか言われへんのがつらい。フランス語でやったらもうちょっとマシな事、言えんのに。

 なんてねだったらしてもらえんの? もう一回、とけそうになるやつしてほしい。俺の事、ドロドロのぐちゃぐちゃにしてって言いたい。

 なんで俺、こんなアホな言葉しか出て来ぇへんの? しかもそれ、ゆりなんぞに言わなあかんのか? そんなんよぅ言わん。

「そうか、うちもよかった」

 ゆりはそう言うと、俺の頭の横に手をついた。

「もっとしてもいい?」

 嬉しくて、俺は何回も頷いた。


 飛び起きた。マジで飛び起きた。

 俺、とんでもない夢、見てもた。

 いくらなんでもこんな酷い夢見るとか、ちょっと俺どうかしてる。禁煙のしすぎか? それとも溜まりすぎか?

 毛布に顔をうずめて、ゆっくり何回も深呼吸してたら、背中を撫でられた。

「どうしたんよ? 魘されたんか?」

 なんでこういう時に限って、横にいてんのがゆりなんよ? ダンテはどこ行ったんや。この際、クソジジでもいい。ゆりでさえなければ、マジで誰でもいい。神様、お願いゆりと姉ちゃん入れ替えて!

 毛布から顔を上げられへんまま、俺は首を横に振った。

「なんかあったんか?」

「なんもない」

 必死でそう言うと、胸の上におったムーランにしがみついた。

 目を閉じたら、やけにリアルなキスを思い出して顔が真っ赤になった。

 俺、されるがままやった上に、たかだかキスで泣いて、もっとしてくれとか……。ああ、もう忘れたい。ヴィヴィアンに殴られたら忘れられるか? ぺちゃパイとかブスとか、狂暴すぎるイノシシ女とかなんぼでも言うから、一発俺の事どついてくれ。そんで俺の記憶を消してくれ。

 必死で深呼吸をしてたら、ゆりが言うた。

「嫌な事でも思い出したんか?」

 正直に頷いたら、ゆりはもたれかかってきた。

「そうか。忘れてまえ」

「そうする」

 毛布に顔をくっつけたまま、俺は返事した。

 どうしよう。恥ずかしすぎて顔、上げられそうにない。いっそ最後までしてもた夢やった方がすがすがしいわ。なんでこんな中途半端にチューしただけの夢で終わんねん? すっきりせぇへんどころか、最悪の気分で目ぇ覚めたぞ。

 ああ、もやもやする。しんどい。

「朝ご飯、食べに行かへん?」

「後で行くから先行ってて」

「でも、ルノ」

「お願い、一瞬でええから俺の事一人にして!」

 絶対酷い顔してる。

 こんな顔、見られたくない。っていうか、見せられへん。ああ、どうしよう。おかしなったと思われる。ここまでイカレたと思われたくないのに。

 でも誰にもこんなどうしようもない事、話されへんやんか。ジャメルはどこや? 今すぐ出てこい、どうしたらええか教えてくれ。助けろ、色ボケクソ野郎!

「食堂で待ってるからな」

 必死で頷いてたら、ゆりは立ち上がった。しばらくするとドアの閉まる音が聞こえてきて、部屋はしんと静かになった。

 毛布から顔を上げて辺りを見回したら、枕にしてたクッションの横にギャレットとジュラ子さんが転がってた。足と胸の間にはムーランがおる。

 ちょっと落ち着いたから、俺は頭を抱えた。

 くちゅくちゅって、やたら生々しい音が耳にこびりついて離れへん。夢やった筈やのに、触れられた口唇がジンジンする。なんでこんなに心臓はやかましいんや。ちゃんと息してんのに、胸は苦しい。もう嫌や。

 あんなリアルな夢、見た事ない。

 口唇を押さえて、何回も深呼吸をした。

 忘れろ、全部悪い夢やったんやから。

 口唇をごしごしこすってはみたけど、やっぱり冷たくて濡れたのが当たった感覚が残ったまんま。舌に絡みついてきた生温かい舌の感触が消えてくれへん。押さえつけられてた筈の手首にかて、ちょっと感覚が残ったまんまや。触られたほっぺたをこすって、叩いて、いろいろやってみたけどもう全然あかん。

 なんでや? なんで忘れられへんねん?

 耳に残るあの音、自分が出してたとんでもない声、口唇に残ったまま消えへん感覚。このままじゃ食堂になんか行ける訳ないやんか。ゆりにどんな顔して会えばええんよ?

 ジャメルはどこ行ったんや?

 全部ジャメルにぶちまけて、酒飲んでハシシやって忘れたい。酔っ払って気持ちよくなって、全然知らん女と適当にヤッて発散したい! そしたらもう、こんな中途半端などうしようもない夢見ぃひんやろ。

 もうこの際、誰かに話してもた方が楽になれる気がする。バカにされまくったとしても、その方が絶対すっきりする筈や。でもそんなん話せる相手がいてへん。なんで俺は日本にいてんねん? 日本でこういう下ネタ話しても平気そうなんって、よりによってヴィヴィアンくらいしかいてへんやんか。

 嫌すぎる。絶対、言いふらされるやんか。

 俺が溜まってるから、ゆりみたいなちんちくりんと中途半端にチューだけして、泣かされる夢なんか見てたって、絶対みんなに言われる!

 しかもそれ、血は繋がってないけど、俺の親友のおかんやぞ? おかんって年とちゃうけど、おかんには違いない。そんなおばちゃんてほどおばちゃんでもないけど、そのおばちゃんに俺のクソ恥ずかしい話を聞かせるとか、どんな罰ゲームやねん。

 でも他に言えるような相手がいてへん。

 フランスにいてる友達は、俺の恥ずかしい話をパリ中に広めかねん奴ばっかり。ロクな友達いてへんねんもん、しゃーないやんか。

 なんで、よりによってジャメルがおれへんねん!

 もやもやする。

 仕方がないから、俺は頭の横にあった自分の携帯電話を近寄せた。

 ヴィヴィアンがダメそうやったら即切ろう。せや、それがいい。ヴィヴィアンにやったら俺がイカレたと思われても別にいい。

 全部丸ごと話す必要もないやん。

 ちょっと恥ずかしい夢見たって言えばいい。助けて、どうしようって言うだけや。俺、恥ずかしいんやけど、どうしたらええと思うって訊くだけやったら大丈夫やろ?

 俺は画面をぽちぽち触ると、思い切って通話のボタンを押した。電話を耳に押し当てる。

「もしもーし、どうした?」

「ヴィヴィアン、今一人?」

「ルノか、どうした?」

 やっぱりやめた方がええかな?

 ヴィヴィアン、真面目に聞いてくれるやろか。ちょっと怖い。

「一人?」

「一人やけど、どうしたん?」

 深呼吸をしてから、俺は思い切って言うた。

「恥ずかしい夢見た」

「なんでうちに言うねん?」

「ダンテやゆりには言われへんからやんか」

 笑い飛ばされてもええから、黙って聞いてくれへんかな? いやでも、これヴィヴィアンやぞ。笑われて言いふらされそう。

 ドキドキしながら目をつぶった。

「そうか。どんな夢見たんや?」

 意外な事に、ヴィヴィアンは真面目な声でそう言うた。笑うような感じもなければ、からかってくるような事もない。すっごい普通に訊いてくれた。

「笑わへんの?」

「なんで? うちも恥ずかしい夢くらい見るで」

 ちょっとだけ安心して、俺は電話を握りお直した。

「絶対秘密にしてくれる?」

「ええよ。誰にも言わへん」

「絶対やで?」

「もちろん、絶対や」

 今はヴィヴィアンにしか言われへんから、信用して話すしかない。嫌やけど。でもこの様子やったら、ヴィヴィアンは信用しても大丈夫そうや。

「キスされる夢見た」

「そうか。そんなけか?」

「ゆりにキスされる夢見てん」

 情けなくて泣きたくなってきた。

 でもなんとか我慢して、電話に向かって言うた。

「俺、どうしたらいいと思う?」

 ヴィヴィアンはちょっとだけ間を開けると、優しい声で言うた。

「キス、嫌やったんか?」

 本心を言うのはちょっとは嫌やったけど、俺は正直に言うた。

「嫌やなかった」

「じゃあ何が問題なん? うちなんか、結構しょっちゅうダーリンを襲う夢見てんで」

 ちょっと楽しそうにヴィヴィアンは言うた。

「え?」

「無理矢理脱がせて、これでもかって襲う夢。欲求不満やねん。全然、手ぇ出して来ぇへんから」

 俺よりずっと恥ずかしい事を言い出したヴィヴィアンは、溜息をついた。

「確かに見た後、気まずいよな。うちはいっつも悪くないダーリンを引っ叩いてまう」

 なんか支部長、めっちゃ可哀想やないか? 夢見たのはヴィヴィアンで、理由も分からんまま叩かれてんねやろ? なんもせぇへんダサジャージも悪いとは思うけど、ヴィヴィアンが勝手にそういう夢見て恥ずかしくなっただけやん。

「マジで?」

「マジでマジで。たまには襲われる夢見てみたいわ」

 ちょっとおもろくて笑ってもた。

 ヴィヴィアンでも、そんな事思うんやなって。夫婦なんやから、堂々と襲えばよくない? そりゃ確かに女からやるのって、ちょっと勇気がいるんかもしれんけど。

 っていうか、あのダサジャージそんなに手ぇ出して来ぇへんのか? あれでも男ちゃうんか? しかもそれなりに美人で可愛い、大好きな嫁さんな訳やんか。普通やったらチャンスがあれば押し倒しそうなもんやないん?

「そんなになんもして来ぇへんの?」

「多分、ルノがびっくりするレベルでなんもせぇへんで。可愛いパジャマ着て誘ってんのに、気付かんと寝よる」

「何それ、酷くない?」

「酷いやんな? あれ、マジで殴りたくなるんやけど」

 ヴィヴィアンは文句言いながら笑った。

「しかもやで? そういう日に限って蹴られんねん。マジで殺したい」

「それは殺してもええんちゃうか? っていうか、もっとええ男に乗り換えたらええやん。ヴィヴィアンやったらすぐ見つかるやろ」

「でも好きなんやもん」

 なかなか恥ずかしい事を言いながら、ヴィヴィアンは急になんか言うた。ガタガタ物音がする。

「なんやねん。割り込んでくんな」

「人の陰口言うなよ」

「お前の愚痴じゃ!」

 どうやら支部長がいるらしい。なんか面白くなってきた。俺にはなんの害もないからな。好きなだけ殴り合いしてくれ。

 黙って聞いてたら、ヴィヴィアンは支部長を叩いたらしい。結構気持ちのいいぱーんって音が聞こえてきた。

「どっか行け、ダサいジャージのくせに」

「いいだろ、別に」

「よくないわ。恥ずかしいねん、そのカッコ」

「ヴィヴィアンまでそんなふうに思ってたのか?」

「当たり前やろ、うちがあげたジャージ着てくれる?」

「あれ、苦しいから」

 マジで面白くて笑ってたら、ヴィヴィアンが言うた。

「ちょっと、笑い事ちゃうからな? 分かるか? このクソダサいジャージの人が旦那やっていううちの気持ち」

 分かりたくもない。

「おい、そこまで言わなくてもいいだろ?」

「いいや。それ、マジでダサい。もうちょっとマシなカッコしてくれへん?」

「だって」

「だってちゃう」

 面白すぎて自分の事とか、どうでもよくなってきた。

 なんで俺、こんなしょうもない事で悩んでたんやろ。俺より恥ずかしい人おるやん。しかも自分よりずっと年上。年下の俺に、気にせずそれを話してくれるようなおもろい人や。

 笑ってたら、ヴィヴィアンが言うた。

「大丈夫や。気にせんと普通に出て行ったらええんよ」

「うん」

「なんかあったらいつでも言うてや?」

「分かった」

 電話を切ろうとしたら、また面白い会話が聞こえてきた。

「お前は出て行くな。その服着替えろ」

「どれだったらいいんだよ? ヴィヴィアンどれ着てもダサいって言うだろ」

「だから、カッコいいジャージあげたやろ。なんでそのクソダサいやつを選ぶんよ?」

「ダサいって言うな」

「ダサダサジャージ」

「怪我人だと思って大人しく聞いててやったらそれか? この派手派手イノシシ」

「お前よりマシじゃ、ダサジャージ星人」

 ガチャって音がして、電話はそこで切れた。

 今頃、支部長とヴィヴィアン、喧嘩してんねやろな。誰か止められる人いてるんか? 医者にどんなに止められても、あの二人やったら暴れそうな気がする。

 結局俺の話はほとんどしてへんけど、めっちゃ楽になった。

 ヴィヴィアン、割と大人でよかった。今度からマジで困った時はヴィヴィアンに相談しよかな。真面目にちゃんと聞いてくれそう。しかも口固そうな感じやったし。

 俺はムーランをクッションに座らせると、毛布を掛けてからギャレットを持った。ボディバッグを下げて、そのまま部屋を出る。

 ちょっと寒いけど、食堂は暖房が効いてる筈や。気にせずパジャマのまま廊下を行く。

 ゆっくり歩いて食堂まで行くと、ゆりとダンテが仲良くご飯食ってんのを見つけた。二人はテーブルの隅っこに並んで座ってて、何故か目の前にはヘイリーが立ってた。二人はヘイリーに話しかけられてるみたいや。めちゃくちゃ迷惑そうな顔をしてる。

「だから、うちはお前に興味ないって言うてるやんか」

「ヘイリー、やめてぇや」

 そんな二人に、ヘイリーはニコニコしながら言う。

「別に彼氏いないんでしょ? 大阪に帰るまででいいからさ」

 こいつ、断られたのにまだ言うてんか。ジャメルより諦めの悪そうな奴やな。嫌がられてるやんか。こんな顔されてんねんぞ。しつこくすればするほど嫌われるって分からんのか?

 俺は後ろからヘイリーの肩を叩いた。

「はい?」

「おはよう、俺の友達口説いて楽しいか?」

 途端にこの気の弱そうな兄ちゃんはびくっと飛び上がった。

「ルノ」

「嫌がられてるように見えるんは、俺だけか?」

「いやその……」

「しつこい言うてんねん。どっか行けや、クソ野郎」

 そこまで言うたら、ヘイリーは走って逃げて行った。

 なんやねん、あいつ。本気なんやったら逃げへんやろから、マジで何を思って嫌がる女に言い寄ったんや? どんどん次行ったらええのに。ゆりくらいでええんやったら、その辺にいっぱいいてるやろ。

 俺はそのまま二人の正面にバッグを置いて、逃げてったヘイリーの背中を眺めた。

「大丈夫か?」

 ゆりもダンテもほっとした顔で、仲良くこっちを見る。

「ありがとう、ルノ」

「あいつか?」

「せや。昨日断った奴、あいつ」

 めげへんのはええけど、嫌がられてるんやったらあかんやろ。揺れてる女やったらめげたらあかんと思うけど、ああいう嫌がられ方してるんやったら無意味やぞ。

 少なくとも、俺はジャメルやロジェからそう聞いた。そう言えば、ああいうのを追い払ったると、ホレられて寄ってくるって言われたっけ? あれ、俺マズい事したんやないか?

 気にせぇへん事にして、俺はさっさと朝ご飯を取りに行った。今朝は肉とじゃがいもを煮てあるやつに決めて、俺はマリーに挨拶する。

「おはよう」

「おはようございます、ルノさん」

「ご飯、いつも通り頼むわ」

「はい」

 マリーは笑顔で白いご飯をよそってくれた。

 なんとなく、俺はマリーに訊いた。

「なあ、あのヘイリーって奴、マリーにも声かけてきた?」

「いいえ。なんでです?」

「んー、なんとなく」

「リリーさんが気になるみたいですね。よく話してますよ」

 マジで変な奴やな。なんであんなんがええねん?

「ふーん。ゆりみたいなちんちくりんのどこがええんやろな」

 俺はそう笑いながらご飯をお盆にのせると、フォークを持って戻った。

 ダンテの正面に座ると、じゃがいもをフォークで突き刺した。甘辛い味付けのじゃがいもや。何これ、美味しい。

「ルノ、ありがとう」

 ゆりに言われて、俺は適当に頷いた。

「全然気にせんでええで。ああいうの、ウザいよな」

「オレ、どうしよかと思った」

「キモいって正直に言うたらええんやで」

 俺はご飯を食べながら、二人の方を向いた。

「これ、日本食? めちゃ美味しい」

「肉じゃがやな」

「これ気に入った」

「作るのはムズイらしいで」

 ゆりとダンテに笑われながら、俺は肉じゃがとやらを食った。美味しくて幸せや。これ、めちゃ美味しいやん。今度、マリーとこれ作ってみよかな。ネットに載ってるやつ、難しいんやろか。おばちゃんやったら作り方、詳しく知ってそうやけど。

 ちゃんと薬も飲んだら、ダンテが立ち上がった。

「よし、オレ仕事してくる」

「じゃあうちも」

 ちょっと羨ましい。マリーが買い物行って帰ってくるまで、俺には何の仕事もない。暇すぎる。おばちゃんもおれへんし、ここは東京や。外には出られへんし、知り合いも話し相手も全くいてへん。めっちゃ暇。

「ええなぁ。俺、暇」

「そっか、買い物行かれへんのか」

「せや。俺、ここで留守番。なんもやる事ない」

 ダンテが俺を見下ろした。

「じゃあ、ちょっとだけお願いが」

「何?」

「プリン食べたい」

 なんや、またプリンか。やっぱりダンテやなぁって、めっちゃ思う。昨日作ったやつ、食ってへんねやからまだ全部残ってんちゃうんか?

「冷蔵庫にマグカップ三つ入ってんで」

「そんなにあんの?」

「ある。昨日作った」

 食べ終わった皿を置いて、俺はダンテを見上げた。

「今日、マリーが器買って来てくれるみたいやから、そうしたらもっといっぱい作れんで」

「オレ、焼きプリン食べてみたい」

「バーナーないけど、焼けるんかな」

 俺はなんとなくゆりを見た。

「ゆりは?」

「じゃあ昨日言うてたカヌレ」

「そんなに期待せんといてや」

「安心して、食った事ないから」

 嬉しそうなゆりとダンテを見送って、俺はお盆を返しに行った。のんびりやってたら、トーマスが近寄ってきた。

「おはよう、ルノ」

「ああ、トーマスのおっちゃん」

「今日は焼きプリン作るの?」

「バーナーなくても作れたらな」

 俺はおっちゃんに向かって言うた。

「なあ、おっちゃんヘイリーと仲ええの?」

「そりゃ、ルノよりはいいと思うよ」

 優しそうな顔したおっちゃんは、笑顔で俺にくっついてきた。このおっちゃん、またメニューでも聞きに来たんか? それともリクエストか?

 俺はなんとなく、おっちゃんに訊いた。

「あいつ、なんでゆりみたいなめっちゃ年下に声かけんの?」

「さあ?」

 なんかはっきりせぇへんなぁ。

 もやもやする。なんか、気持ち悪い感じ。全然すっきりせぇへん。あいつの事、マジで分かれへん。

 俺はのんびり歩いてバッグを取りに行くと、ギャレットが入ってんのを確認してからチャックを閉めて肩から下げた。胸の辺りにいるギャレットにめちゃくちゃ安心する。

 ホンマにこの東京支部の奴ら、信用して大丈夫なんやろか。

 俺はちょっと不安やった。



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