第17話

俺たちは、アリストンの町から西へ向かい、半日ほど歩いていた。

ドリンさんにもらった手書きの地図によると、この先にある険しい岩山が、グリフォンの巣らしい。

ルビとコロは、久しぶりの長距離の散歩に、大はしゃぎだった。


『ユウ、見て! あの蝶々、変な模様してる! こっちでも見たことないやつだ!』

『待てー! わたしが先にお山のてっぺんに着くぞ! ユウも早く!』


二匹は、俺の周りを元気いっぱいに走り回っている。

ぷるんは、いつも通り俺の頭の上が定位置だ。

適度な揺れが、どうやら気持ちいいらしい。

『(ぷるぷる、すー……)』

すぐに、寝てしまったようだ。


やがて、目の前に巨大な岩山がその姿を現した。

木々はほとんど生えておらず、ゴツゴツとした茶色い岩肌がむき出しになっている。

見上げると、その頂上付近に、鳥の巣のようなものが、かすかに見えた。


「おお……。あれが、グリフォンの巣か。すごいな、あんな崖の上に作るなんて」


動物園でも、猛禽類は高い場所を好む習性があった。

外敵から身を守るための、本能なんだろう。

俺は、感心しながらその険しい岩山を見上げた。

これは、登るのが大変そうだ。


「よし、登るぞ。みんな、岩が崩れやすいから、怪我しないようにな」

『はーい!』

『わたし、こんな崖、へっちゃらだもん! トカゲの力、見せてあげる!』


ルビはトカゲの本領発揮だ。

小さな手足の吸盤を使って、岩肌をぺたぺたと器用に登っていく。

コロも、犬とは思えない驚異的な跳躍力で、足場から足場へと軽やかに飛び移っていく。

俺も、元飼育員として鍛えた体力で、二匹に負けないように慎重に登り始めた。


しばらく登り続けると、目的の巣が目の前に見えてきた。

下から見た時よりも、想像以上に巨大だ。

大きな木の枝や、何かの動物の骨らしきもので、頑丈に作られている。

その巣の中央には、二頭の大きなグリフォンがいた。

一頭は翼を広げて、こちらを威嚇している。

もう一頭は、巣の隅で丸くなって、苦しそうにしていた。


『グギャアアアアアッ!』


俺たちの姿を認めると、翼を広げたグリフォンが、かん高い声で叫んだ。

すさまじい威圧感だ。

鋭い鷲の頭に、力強いライオンの胴体。

まさに、伝説の生き物そのものだ。

やっぱり、かっこいい。


「こんにちは、グリフォンさん。俺はユウ。怪しい者じゃなく、ただの飼育員です」


俺は、言語理解のスキルを使って、優しく話しかけた。

『!?』

グリフォンは、驚いたようにピタリと動きを止めた。

『に、人間が……。我々の言葉を、話している……?』


「はい。今日は、皆さんに健康診断に来ました」

「そして、もしよければ、そこの古い卵の殻を、少し分けてもらえませんか?」


俺がそう言うと、威嚇していたグリフォン(オスだろうか)が、さらに激しく叫んだ。


『グギャア! 帰れ、人間! この巣に近づくな!』

『これは、我々の大事なものだ! 誰にもやらん!』


「そう怒らないでください。俺は、戦いに来たんじゃありません」


俺はゆっくりと、両手を上げて敵意がないことを示す。

そして、巣の隅で丸くなっている、もう一頭のグリフォンに目を向けた。

おそらく、メスのグリフォンだ。

彼女は、どう見ても様子がおかしい。

美しいはずの羽のツヤが、ひどく悪かった。

それに、呼吸も浅く、なんだか苦しそうだ。


「……(おや? あの子、もしかして……)」


俺は、飼育員としての目で、メスのグリフォンを注意深く観察する。

『うぅ……。お腹がすいた……。体が、だるい……』

『こんなことでは、元気な卵が産めない……』


メスのグリフォンの、弱々しい心の声が頭に響いてきた。

なるほど。

これは、典型的な栄養失調だ。

しかも、彼女は巣の隅にある、古い卵の殻を、必死につついていた。

『か、硬い……。食べられない……。でも、カルシウムを取らないと、体が……』


ビンゴだ。

典型的な、カルシウム不足。

産卵期を控えた鳥類に、よくある症状だ。

動物園でも、ダチョウやエミューで、何度もこの症状を経験した。


「あの、旦那さん」

俺は、オスグリフォンに優しく話しかけた。

『旦那!? 誰が旦那だ! 人間ふぜいが!』

「奥さん、かなりお疲れのようですよ。栄養が足りていません」

『なっ!? わ、分かっている! 分かっているとも!』

「特に、カルシウムが不足しています。だから、あんなに殻を食べたがるんですよ」

『そ、そんなこと、お前に言われなくても……!』


オスグリフォンは、図星を指されたのか、焦ったように声を荒げる。

どうやら、彼も妻の体調を心配していたらしい。

でも、どうしていいか分からなかったようだ。

猛禽類は、プライドが高いからな。


「……よし。こういう時は、これに限る」


俺はリュックから、いつもの特製栄養ペーストを取り出した。

これは、ガンツさんの鍋で作った、最新の改良版だ。

ガラクの実が、いつもより細かくすり潰されていて、栄養の吸収率が上がっている。


「奥さん。これ、すごく栄養がありますよ。よかったら、どうぞ」


俺はペーストを大きな葉っぱの皿に盛り付け、そっとメスグリフォンの前に差し出した。

『な、なんだ、これは……? 見たことないが、すごく、いい匂いがする……』

メスグリフォンは、警戒しながらも、ペーストの匂いに強く惹かれているようだ。

『よせ、妻よ! 人間の罠だ! 食べてはならん!』

オスグリフォンが、慌てて止めようとする。


「大丈夫ですよ。毒なんて入ってません。ほら、俺が証明します」


俺は、自分の指にペーストを少しつけて、ぺろりと舐めてみせた。

「うん、我ながら美味しくできた」

『(ぷるぷる! ぷるるるる!)』(←俺の頭の上で「それ、私の!」と激しく抗議している)


その様子を見て、メスグリフォンは、ついにペーストに顔を近づけた。

そして、恐る恐る、ペロリと一口。

その瞬間、彼女の目が、大きく見開かれた。


『こ……! これは……!』

『美味しい! 美味しすぎる! そして、体の奥から、力が、みなぎってくる……!』


メスグリフォンは、我を忘れたように、ペーストに食らいついた。

あっという間に、葉っぱの皿は空っぽになった。


『あ……。羽が、ツヤツヤになってきた……』

『体も、軽い……! あなた、人間、すごいわ!』


メスグリフォンは、すっかり元気を取り戻したようだ。

オスグリフォンも、信じられないという顔で、元気になった妻と俺を交互に見ている。


「よかった。元気になって」

「旦那さんも、どうです? まだたくさんありますよ」

『む、むぅ……。わ、我も、一口だけ、もらおう……』


オスグリフォンも、プライドを捨ててペーストを食べた。

もちろん、彼も大絶賛だった。


「あの、それで、この古い殻ですが……」

「これ、もう要りませんよね? 栄養は、ちゃんとペーストで取れますから」


俺が巣の隅に積まれた、古い卵の殻の山を指差す。

オスグリフォンは、慌てて首を縦に振った。


『も、持っていけ! 全部持っていけ!』

『その代わり……その、ペーストとやらを、また、持ってきてはくれんか……? 妻のために』


「もちろんです! 定期的に、栄養指導に来ますね!」


俺は、Sランク素材だという「グリフォンの卵の殻」を、持ってきた大きな袋いっぱいに詰めた。

グリフォン夫婦は、とても嬉しそうだ。

これで、ガンツさんへの恩返しもできる。


「さて、それじゃあ、俺たちはこれで失礼します」


俺が帰ろうとすると、オスグリフォンが俺の服を、その鋭いくちばしで優しく掴んだ。


『待て、ユウ殿!』

「え? 殿?」

『命の恩人に、こんな険しい山を、徒歩で帰させるわけにはいかない』

『我々が、町の近くまで送っていこう! さあ、背中に乗れ!』


「ええ!? 本当ですか! やったー!」


俺は、ルビとコロと一緒に、オスグリフォンの広くてふかふかした背中に乗せてもらった。

メスグリフォンも、一緒についてきてくれるらしい。


『うわー! たかい! すごい眺め!』

『ユウ、わたしたち、本当に空を飛ぶの!?』

『(ぷるぷる!)』(←いつの間にか起きて、興奮している)


「いくぞ! しっかり掴まってろ!」


グリフォンは、力強く翼を広げた。

そして、大空へと、一気に舞い上がった。

眼下には、さっきまで苦労して登った岩山や森が、まるで地図のように広がっている。


「すごい! すごいぞ、みんな! 俺たち、空を飛んでる!」

『キャッホー! わたし、ドラゴンより速いかも!』


俺たちの興奮した声が、青い空に響き渡った。

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