第15話
「……カイン様。これは、一体……?」
聖女セラフィナが、目の前のちゃぶ台(村の大工が作った新作)に置かれた「それ」を、恐る恐る指さした。 彼女の碧眼には、未知の物体への警戒心と、ほんの少しの好奇心が宿っている。
「フン。見たところ、ただの白くて丸い塊ではないか。これが、あの獣人の小娘が騒いでおった『ごちそう』なのか?」 王女リーシャも、腕を組んで訝しげに見下ろしている。
俺、カイン・アシュフォードの目の前には、湯気を立てる、真っ白な三角の塊が山積みになっていた。 そう、おにぎりだ。
昨日、クレストン商会のバルカスと結んだ「現物支給」の契約により、東方の国から輸入された「米」と「塩」、そして「醤油」が、早くも第一便として届いたのだ。商会の仕事が早すぎる。 そして、それを受け取ったミコトは、昨夜から「お米……お米……」と涙を流して拝み続け、今朝、早起きしてこれを握ったのだ。
「あ、あの……!これは『おにぎり』と言って、私の故郷では、一番のごちそうなのです!」 ミコトが、エプロン(ブカブカ)の裾をぎゅっと握りしめ、必死に説明する。 「中には、昨日、カイン様が獲ってきてくださった、温泉ゆで魚のほぐし身を、お醤油で味付けしたものが、入っています……!」
「……ほう。魚を、この白い穀物で包んだと?」 リーシャが、まだ疑わしそうに手を伸ばす。 「毒味(監視)だ。まずは妾が……」
リーシャは、おにぎりを一つ手に取ると、しげしげと眺め、そして小さな口でパクリとかじりついた。
「……!」 リーシャの動きが止まった。 翠の瞳が、カッと見開かれる。
「……な、なんだこれは!?」 リーシャが叫んだ。 「この白い粒……噛めば噛むほど、ほのかな甘みが口の中に広がる!そして、中の魚の塩気と、この黒い汁(醤油)の香ばしさが、絶妙に絡み合って……!」 「ええっ?リーシャ様、大げさですわ」 セラフィナも、つられて一つ手に取り、口に運んだ。 「……んっ!?」 聖女の表情が、とろけた。 「ま、まあ……!パンとは違う、このモチモチとした食感……!それに、この味付け……素朴なのに、なぜか心が安らぐような……!」
「お、おいしい、ですか……?」 ミコトがおずおずと尋ねると、二人は無言で頷き、二口目、三口目と頬張り始めた。
「うまいぞ、獣人!そなた、なかなかやるな!」 「カイン様!これは素晴らしいです!力が湧いてきます!」
俺は、二人の美少女がおにぎりに夢中になっている隙に、自分も一つ手に取った。 まだ温かい。 一口食べる。 ……懐かしい味がした。騎士団の遠征先で食べた、東方の料理を思い出す。 塩加減も、握る強さも、完璧だ。 ミコトの「奉仕」への執念が、この味を生んでいるのだろう。
「……美味いな」 俺が短く感想を漏らすと、ミコトは顔を真っ赤にして、そして満面の笑みを咲かせた。 狐の耳と尻尾が、これでもかというほど動いている。
【 好意(幸福)を検知 】【 好意(奉仕・極)を検知 】
「カイン様、あーん」 「ご、ご主人様!海苔を巻いたバージョンも、あーん、です!」 「こら!抜け駆けするな!妾にもそれを寄越せ!」
……結局、いつもの騒がしい朝食風景に戻ってしまった。 俺は、口の中に詰め込まれるおにぎりを咀嚼しながら、視界の隅で点滅するウィンドウを確認した。
【 悪意の送信元(ギデオン)へのカウンターチャージ……25% 】
昨夜から変動なし。 ギデオンの野郎、大人しくなったか? いや、嵐の前の静けさだろう。 俺の平穏な日常(という名のハーレム地獄)は、いつだって薄氷の上にある。
(中略)
朝食後。 俺は、膨れ上がった腹をさすりながら、家の外に出た。 「……人が多すぎる」 家の前には、すでに村人や、噂を聞きつけた湯治客たちが集まっていた。彼らは、俺の姿を見ると「カイン様だ!」「拝んでおこう」と手を合わせ始める。 もはや、俺は村の観光名所扱いだ。
「……目隠しを作るか」 家の周りに、視線を遮るための柵か、植え込みが必要だ。 俺は、裏の森へ入り、手頃な低木の苗をいくつか掘り返してきた。 棘のある、ツタ状の植物だ。これなら、不用意に近づく客除けになるだろう。
俺が、家の周囲にそれを植えていると、ミコトがやってきた。 「あ、カイン様(まだご主人様と言いかけて直した)、お手伝いします!」 「いや、これは俺が勝手にやってるだけだ。泥汚れがつく」 「平気です!私、土いじりは得意ですから!」
ミコトは、楽しそうに俺の隣で土を掘り、苗を植え始めた。 「……こうして、カイン様とお庭を作るの、夢みたいです」 彼女は、ぽつりと呟いた。 「ずっと、暗い檻の中にいて……こんなふうに、太陽の下で、誰かのために何かをできるなんて、思ってませんでした」
彼女の琥珀色の瞳が、陽光を反射してキラキラと輝いている。 「ありがとうございます、カイン様。私を、拾ってくれて」
【 好意(思慕)を検知 】【 好意(永遠の忠誠)を検知 】
……重い。 好意が重い。 俺は、照れ隠しに顔を背け、黙々と作業を続けた。 そして、植え終わった棘のツタに、井戸(温泉)から汲んだ水をかけた、その瞬間だった。
ボボボボボッ!!!
「うおっ!?」 俺とミコトは、同時に後ろへ飛び退いた。 水をかけたツタが、異常な速度で成長を始めたのだ。 またたく間に俺の家の周囲を取り囲み、太く、強靭な「茨の壁」となって、家を覆い尽くした。 しかも、その棘の一本一本が、青白く発光している。
「……なんだこれ」 「す、すごいですカイン様!」 ミコトが目を輝かせている。 そこに、騒ぎを聞きつけたリーシャが飛んできた。
「な、なんだこの魔力は!?……こ、これは!」 リーシャは、その茨を見るなり、驚愕の声を上げた。 「『聖竜の茨』ではないか!?」 「……なんだそれ」 「エルフの森の奥深くにしか自生しない、幻の守護植物だ!邪悪な気配を持つ者が近づくと、自動で迎撃し、結界を張ると言われている……!なぜ、こんな人間の村の裏山に……いや、まさか」
リーシャは、ハッとして俺を見た。 「カイン……そなた、ただの雑草を、自身の『魔力』で変質させたのか?防犯のために?」 「……ただの目隠しのつもりだったんだが」 「規格外にも程がある!これでは、城壁より堅固ではないか!」
……どうやら、俺のスキル『自動反撃』の「好意への支援(平穏な生活を守りたい)」という意思が、肥料として作用し、ただの棘植物を、伝説の防衛設備へと進化させてしまったらしい。
「まあ!素敵ですわカイン様!」 セラフィナも出てきて、うっとりと茨を見上げている。 「これで、変な虫も寄り付きませんね(主に泥棒猫とか)」 「ああ、そうだな(主に監視役とか侍女とか)」
俺たちの思惑は、微妙にずれていたが、結果として、俺の家は「伝説の植物に守られた聖域」として、村の新たな伝説に加わってしまった。
【一方、その頃―――王都・騎士団本部】
「……これは、一体どういうことですか、ギデオン騎士団長」
冷徹な声が、破壊された執務室に響いた。 監査官が、床に散らばった書類の中から拾い上げた一枚の羊皮紙―――「禁制品の横領リスト」を、ギデオンの目の前に突きつけていた。
ギデオン・アークライトの顔からは、完全に血の気が引いていた。 脂汗が、額から滝のように流れ落ちる。 言い逃れ? 無理だ。そのリストには、ギデオン自身の筆跡で、日付と、横流しした金額、そして購入した闇商人の名前まで、事細かに記されている。 彼が「几帳面」だったことが、最悪の形で仇となった。
「あ、あ、それは……!」 ギデオンの目が泳ぐ。 思考が高速で回転する。 これを認めれば、終わりだ。 騎士団長の地位も、名誉も、公爵家との縁談も、すべてが吹き飛ぶ。
「……それは、証拠品だ!」 ギデオンは、叫んだ。 「そ、そうだ!それは、私が作成したものではない!あの反逆者、カイン・アシュフォードから没収した『証拠品』だ!」
「……カイン・アシュフォード?」 監査官が、眉をひそめる。 「彼が、これを作成したと?」 「そうだ!あいつは、私の筆跡を真似るのが得意だった!あいつが、私を陥れるために捏造し、私がそれに気づいて没収し、金庫に保管していたのだ!」
苦しい。 あまりにも苦しい嘘だ。 だが、ギデオンには、これしか道がなかった。 「……それに、カインは、今も辺境で、私に対する『復讐』を企てている!先日のザハル隊長の件もそうだ!あいつは、闇の魔術を使い、王国に牙を剥いているのだ!」
監査官は、ジト目でギデオンを見つめた。 その目は、明らかに「こいつ、何を言っているんだ」と語っていた。 だが、現時点で、ギデオンはまだ「騎士団長」だ。 明確な反証がない限り、その場での逮捕は難しい。
「……分かりました。このリストは、一度『預かり』とさせていただきます。筆跡鑑定と、裏付け捜査を行いますので」 「っ……!す、好きにしろ!」
監査官が出ていくと、ギデオンはその場に崩れ落ちた。 「……くそっ、くそっ、くそっ!」 床を拳で叩く。 あの監査官は、優秀だ。筆跡鑑定をされれば、すぐにバレる。 時間の問題だ。 破滅の足音が、すぐそこまで迫っている。
「……ギデオン様?」 扉の隙間から、アナスタシアが顔を出した。 彼女は、散らかった部屋を見て、不快そうに鼻をつまんだ。 「まあ、汚い。……それより、ギデオン様。わたくし、新しいドレスの支払いがまだ済んでいないのですけれど?いつになったら……」
「……黙れ」 「え?」 「黙れと言っているんだ!このアマ!」
ギデオンは、初めて、アナスタシアに向かって怒鳴り散らした。 アナスタシアが、目を丸くして硬直する。 「き、貴方、わたくしに向かって……!」 「お前の浪費のせいで!俺がどれだけ苦労して裏金を作っていたと……!」
ギデオンは、頭を抱えた。 もう、終わりだ。 いや、まだだ。 まだ、手はある。
「……カインだ。全ての元凶は、カインだ」 あいつさえいなければ。 あいつさえ、完全に、この世から消え去ってくれれば。 「死人に口なし」。 カインを「国家反逆の首謀者」として討ち取り、その死体に、全ての罪をなすりつければいい。
だが、ザハルは失敗した。 騎士団の正規軍を動かすには、王の許可がいる。今の状況では、許可が下りる前に監査が終わってしまう。
「……ならば、『影』を使う」 ギデオンは、引き出しの奥底から、どす黒い魔力を放つ「水晶」を取り出した。 それは、王国の裏社会を牛耳る暗殺組織―――通称『黒い牙』との直通連絡用アイテムだ。 金ではない。 「魂」や「寿命」を対価に、絶対確実な仕事を請け負う、伝説の殺し屋集団。
「……依頼だ」 ギデオンは、水晶に向かって、憎悪を込めて囁いた。 「辺境の村にいる、カイン・アシュフォード。そして、その村にいる目撃者全員。……皆殺しにしろ」
代償として、ギデオンの若々しかった金髪の一部が、白髪へと変わった。 だが、彼は笑っていた。 狂気じみた笑みを浮かべていた。 「これでいい……。最強の暗殺者たちが動けば、あいつなど、イチコロだ……」
【辺境の村―――カインの家】
俺は、リビングで、ミコトが淹れてくれたお茶(これもクレストン商会の差し入れだ)を飲んでいた。 外の「聖竜の茨」のおかげで、覗き見する村人たちもいなくなり、久しぶりに静かな午後だ。
……と、思ったのだが。
チカッ。 チカチカチカッ。 ブブブブブブ……!
視界の隅のウィンドウが、今までにない挙動を見せた。 点滅ではない。 画面全体が、赤黒く、ノイズのように歪み始めたのだ。
【 警告:測定不能レベルの『悪意(殺戮・殲滅)』を検知 】 【 警告:対象は『プレイヤー(カイン)』および『周辺の全生命体』 】 【 発生源:王都(ギデオン)⇒ 中継点(暗殺組織『黒い牙』総本部) 】
「……は?」 お茶を飲む手が止まった。 殺戮? 殲滅? 周辺の全生命体? あいつ、俺だけじゃなく、村ごと消す気か?
【 悪意のレベルが、許容範囲を超過しました 】 【 カウンターチャージ、強制加速 】 【 現在:25% …… 50% …… 80% …… 】
数字が、見る間に跳ね上がっていく。 俺の心臓の鼓動が、早くなる。 これは、ただの「ざまぁ」では済まない。 俺のスキルが、本気で「排除」しようとしている。
「……カイン様?」 ミコトが、不安そうに俺の顔を覗き込んだ。 「顔色が、悪いです……」 「カイン、どうした?殺気立っておるぞ」 リーシャが、鋭く反応し、腰の剣に手をかけた。 「カイン様……?」 セラフィナも、祈るような手つきで俺を見ている。
俺は、カップを置いた。 カチン、と硬い音が、静寂に響いた。
「……来るぞ」 俺は、静かに告げた。 「今度は、盗賊崩れや、騎士崩れじゃない。本物の、化け物が来る」
俺がそう言ったのと同時に、家の外―――あの「聖竜の茨」の結界が、激しく火花を散らして、悲鳴のような音を上げた。
バヂヂヂヂッ!!!
「なっ!?」 リーシャが窓に駆け寄る。 絶対防御を誇るはずの茨の一部が、黒い霧のようなものに触れ、枯れ落ちていくのが見えた。
「……『聖竜の茨』を、腐らせた……だと?」 リーシャの声が震えている。
俺は、立ち上がった。 面倒だ。 本当に、面倒だ。 だが、ここまでされて、黙って寝ているほど、俺も落ちぶれてはいないらしい。
「……セラフィナ、リーシャ、ミコト。家の中心にいろ。結界から出るな」 「カイン様!?」 「そなた、一人で行く気か!」
俺は、三人の制止を背中で聞きながら、玄関の扉を開けた。
【 カウンターチャージ……99% 】 【『自動反撃(フルカウンター)』:広域殲滅モード、スタンバイ 】
外には、夕闇よりも濃い、漆黒の影たちが、ゆらりと立ち並んでいた。 その数、十、二十……いや、もっとか。 人の形をしているが、人ではない。 殺意だけで動く、人形たち。
「……拝啓、ギデオン」 俺は、その影たちを見据え、低く呟いた。
「……高くつくぞ、この『お返し』は」
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