恋はきっと、魔法だ
そそで。
プロローグ
魔法はボクの全てだ。
しかし世界にはもう魔法は存在しない。
それがボクの過ち。
ボクの罪。
だから贖罪は続く。
この身が滅びても、永遠にーー。
「上官が変わるらしいよ」
誰かの呟きを耳が拾う。
まだ春が芽生えたばかりの社内は、暖かい風が空調から流れていた。
外はまだ冷たい風が吹き、芽のない木々を揺らしている。
地面に設置された『魔術士管理局』の看板の下には、春の息吹に隠れ、しがみつくような雪が残っていた。
(上官が、変わる? ……一体なんの冗談だ)
彼女の表情は、内面を映さない。
肩口で揃えられた銀の髪は、内側に淡い青を覗かせる。深海のような瞳は、静かな感情を携えていた。
「ねえリフィエルさん。何か聞いてません?」
リフィエル・ローベインは、足音を立てずに立ち止まった。手に持っていた荷物から、僅かに音が鳴る。
(ああ、面倒な“先輩”につかまったな……)
作り慣れた笑みを浮かべて振り向く。
それから「なんのことです?」と首を傾げた。
まるで純粋なこどものように。
「新しい上官が来るって噂。聞いてませんか?」
「いえ。聞いてません」
「前任がお辞めになってから半年。そろそろ後継者がいらっしゃっても、おかしくはないけど……。呼び止めてごめんなさいね」
「いえ。今日も仕事、頑張りましょう」
(他人の都合なんか、どうだっていい)
彼女の心は、毒を吐いていた。
腕に抱えていた資料をデスクに置く。
指定されたその場所には、まだ別の書類が散乱していた。
見も知らぬ他人の写真が、紙束の中から顔を覗かせている。皆一様に仏頂面で一つも楽しそうではない。
思わず眉が寄った。
人間は嫌いだ。
けれど、人間が嫌いな自分もまた、大嫌いだった。
内心では毒を吐き、表は笑みを作る。
自分を殺すようなそんな生活を、もう何年も続けている。
目の前のデスクには来年度に新たに認定される魔術士達のリストが、無造作に置かれたままで放置されている。
去年、先輩が「少しずつ減ってる」のだと言っていたことを思い出した。
溢れかえるほどの量はない。それがリフィエルの心を波打つ。
ーー魔術は衰退している。
それが、あまりにも悲しい。
未来の魔術士達の顔が、リフィエルの影に沈む。
(ボクはこんなに、魔法を愛しているのに)
ちかり、蛍光灯が点滅する。
緑がかった、魔法の灯りが瞼によぎる。
声にならず、息がこぼれ落ちた。
集合の命令があったのは、昼食後の眠たい時間。
柔らかな春を思わせる日差しが、社内の床を照らしている。
一様に白のコートを着た職員たちは、静かに何かを待っていた。
その輪の後ろに体を置く。
人の背中に身を隠すように。
(嫌な雰囲気だ。まるで、何か得体の知れないものが来るような)
ぞわりと鳥肌が立つ。
制服のズボンの下、右足だけがじくりと痛んだ。
自分の魔力が、その気配に釣られて体内で動き回る。まるで逃げるように。
恐ろしい、気配がする。
自分の大切なものを殺す、そんな気配だ。
扉が開くと、不意に空気が揺れた気配があった。
まるで春の陽が一気に陰るように景色が重く沈む。
布擦れの音、息を呑む音。
ーーそれから硬質な、靴の音。
カツン、カツン、と規則正しいそのリズムが、心臓の鼓動を掻き立てる。
ゾワゾワした空気に、視線が下がる。
視界に映る見知らぬ職員が、背中に隠した指をしきりに動かしていた。
「みんな、集まってくれてありがとう」
管理局局長の穏やかな声。
なのにどうしても、心がざわつく。
顔が上げられない。
(なに、この気配………)
「今日から新たに管理官を任命する事となった。優秀な人員を探すのに半年もかかってしまって。皆さんには迷惑をかけたね」
静まり返った部屋が恐ろしい。
こんなこと、初めてだ。
右足が、無意識に下がる。
「では、自己紹介を」
局長の言葉の後だ。
強い足音が二度、鳴る。
たったそれだけで、空間がその人のものになったような……、そんな錯覚があった。
「諸君、初めまして。管理官、ルーディス・ヴェイルだ」
低い声。
動揺も、春の芽吹きも、息さえも。
全て、彼の支配下になる。そんな想像をしてしまう。
気のせいだと思っても、その予感は無くならない。
それなのに、耳に入るその声をもっと、聴きたくなった。
(…………なんだ……、この、ひと)
無意識だった。
視線をゆっくり上げていく。蛍光灯の光を反射する革靴から、徐々に上へと。
黒いコートに身を包む、彼の体が見えた。
視線が胸元に吸い寄せられる。
蛍光灯に照らされて光る、胸元のネームプレート。
『魔術士管理局 管理官 ルーディス・ヴェイル』
背後で一つに纏められた黒髪が動きに釣られて揺れた。
「先に宣言する」
首元が見える。
赤いネクタイが、存在を誇示しているようだ。
男が、背中で手を組む。
震えそうになる手を、静かに後ろへ隠した。
この震えが恐怖からか、それとも別のものか、それすら分からずに。
「俺は特別扱いはしない。性別も立場も関係なく、態度を変えることはない」
口角が、静かに上がる。
まるで獲物を見た獣のような口だ。
彼のこめかみから伸びる赤いメッシュの髪が、耳からこぼれ落ちる。
「俺が特別扱いするのは一つ。優良な結果を示した者だけだ。念頭に入れろ」
ついに目が、彼を捉えた。
赤い瞳を持つ、男だ。
まるで、血のようなーー。
彼の視線がこちらを向く。あの瞳と目が合ったような気がして、思わず視線を下げた。
リフィエルのネームプレートが蛍光灯の光を受けて反射したのを、彼が見つめていた。
(なに。気の、せい?)
瞳が未だ頭の中にこびりついている。
まるで獲物を見つけた、捕食者のような目が。
「分かったなら解散だ。仕事ぶりに期待している」
誰も、何も動く事が出来ない。
まるで床に縛り付けられたように。
(はやく、逃げたいのに)
誰も動かないから、リフィエルは“動けない”。
その空気が、引き裂かれる音がした。
数度、男の両の手が空気を叩いたのだ。
「何を呆けている! 仕事に戻れ!」
足音が立つ。布擦れの音がする。
詰め込んでいた息を、小さく吐き出しながら、背中を向ける。
体を丸めるようにしながら、足音を立てずに退出した。
ルーディス・ヴェイルがずっと、逃げるような背中を見ていたことをーー。
その時リフィエルは、気が付かなかった。
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