起詞回声 ~亡命少女と作詞おじさん、農大バンドで再起する~

蒼山みゆう

Disc.1_起詞の章(来日編)

Track.00_希詞懐声(1)☆☆ ※NEW最新話挿入11/30

 画面の向こう側からイヤホン越しに伝わる熱気が、スマホを握る私の掌を湿らせる。


 バスドラムの音を休符とし、スネアの生音に合わせて皆で手を叩く。


 割れ気味な音質では、本来の音は味わえないのに、なぜだが勝手に頭の中に流れる音が、私をライブのその場にいるような感覚に引き込む。


 ウ・タタン・ウ・タタン


 ウ・タタン・ウ・タタン


 ウ・タタン・ウ・タタン


 2番のサビの終わった後、リズムだけが残る静寂。


 この曲のダブルボーカルの一人、小柄なギターボーカルの子の呷りに合わせて、会場で鳴り響き続けるハンドクラップ。


 ベースの子と、今回の主役であるもう一人のボーカル、キーボードの金髪少女も頭上でハンドクラップをしながらステージの周りを歩く。


 逞しいドラムに合わせて、全ての音が1つに収束する。


 ウ・タタン・ウ・タタン


 ウ・タタン・ウ・タタン


 ウ・タタン・ウ・タタン



 会場にも行けないし、手も塞がっている。でも暇を弄ぶ人差し指だけが、スマホの角でリズムを刻み、向こう側と繋がり続ける。


 きっと会場も、私のように画面越しのみんなも同じなのだろう。

 推しの呼びかけがなければ、わたしたちの多くはこのライブを目にすることなんて絶対になかったはずだけど、ライブ配信のコメント欄にもハンドクラップと音符のコメントたちが溢れていく。


 そしてハンドクラップを皆に維持させたまま、ギターとキーボードが元の位置に戻り、アイコンタクトからCメロに入っていった。


 画面越しの特権──会場は気づいていないだろうけれど、いかにも大阪らしい歌詞の仕掛けに少しだけニヤリとしながら、私は再び目を凝らし、耳を澄ませる。


『言葉 育てましょ 声 wow 泡Sayを合わせ

『気持ち 育てましょ 手 wow × 手をかけて


 これまでの掛け合いのギャグソングから、雰囲気が一転する。


 鼻声気味のような癖と高音が特徴的なギターボーカルと、透き通りつつも厚みのある中音のキーボードボーカルがユニゾンを始めた。 


 これがきっと最後のサビだ。


『笑えばえぇよ 君はAえぇよ 農場して伸ばして 行こうBeetBeat

『全て良いよ千Ray洗礼よ 気味のえぇRye君の偉いで 更かし込む


 サビほぼ全部に空耳を仕込むとか、どんな歌詞設計能力だ。色んな意味で頭がおかしい。


 しかも会場にいる人たちの方こそ自然に意味も通るから、ダブルミーニングされていることにすら気づかないだろう。


完敗乾杯して oh 救療Beerお給料日


 きっと芸人か、オヤジギャグの熱烈な使い手だと思うけど、大阪人は皆こうなのだろうか?


 最後はクリーントーンのギターと優しいシンバルによる優しい慰めと祝福で締まる。


 この曲は重たい事情を持ったキーボードの子と、いかにも陽キャなギターの子の友情物語の結晶なのだろう。ふざけ倒しながらも謎の感動を味わえるいい曲だった。


 ボーカルの背景も、場面設定も全部詰め込む闇鍋ギャグソングは、もう今後お目にかかれるか怪しい。


 そしてキーボードボーカルの子が最後のMCを始める。


 この配信イベントも、急造のライブ会場も、全てはこの子のために作られたもの。

 これまではギターの子が場を回していたが、最後だけはこの子に回された。


『次で、ムギムギ撫子の最後の曲です』


 少しだけ水を口にした後、彼女は言葉を続けた。


『わたしが欲しかった言葉を。わたしが本当に伝えたい言葉を。お兄ちゃんやバンドのみんなと一緒にこの曲に詰め込みました』


 慣れないMCをするキーボードの子に対して、ギターの子が励ますように、両腕の力こぶを見せるポーズをする。


 バンドTシャツに刻まれたキャラクターのその真似を、他のメンバー、キーボードの子も会場の観客たちも同じように行い、会場の雰囲気が一瞬柔らかくなる。


『みんな、今日はありがとう。だからこれ以上は語りません、歌います─────── “噓じゃない”』

『⋯⋯1・2・3・4!』


 ドラムの早い4カウントから始まる最後の曲。


 オーバードライブの掛かったギターを、リードオルガンが追いかけるリフの連弾から始まる清涼感と疾走感にあふれたイントロ。


 これはこれまでの曲調であるバラード系とも日常系とも印象が全く違う。


 純粋な技量だけで見れば、もっとも凡庸にしか見えないベースだったが、この曲に入ってから明らかに動きを変えた。 

 スライドも多用しながらのうねる音で、新たなリズムが生まれる。


 そしてドラムが筋肉と練習量によるパワーのある音と、要所を抑えた堅実なプレイが他の3つの楽器をまとめ上げる。


 嘘じゃない、という力強い歌詞名からして、きっとこれは青春ロックナンバーなのだろう。


 大学生にしては上位層の演奏力と、悪くない作曲と編曲。でもこのバンドの本当の強みはそこじゃない。


『灯火のにおいが残る部屋の片隅 誰かを想い俯くあなたの目を盗み』

『古びた譜面を掴んだわたしは 腹ペコクローゼットにしまい込む』


 力強くも、静かに語り掛けるように始まる中音域の倍音。2000年代前半に流行ったR&Bシンガー何人かを思い出すような圧倒的な技量と声質。 


『なけなしの勇気を振り絞っても 言葉にできないままのわたしは』

『手放されたあなたの祈り 滲んだインクを鍵盤でなぞる』


 突如戦火となった祖国から家族を残して、日本に逃げてきた東欧──ユーラトピアの少女。

 日本人のクォーターらしく、これまでの歌やMCからしても言語面での不自由は少ないように見えるが、その喪失の大きさは、他の曲で既に泣かされたほどに伝わっている。


『大人だからじゃない 物知りだからじゃない』

『わたしの鼓動に耳を澄ませてくれるから わたしは信じて歩いていける』


 痛烈な背景によるヒロインとしての圧倒的な共感性と物語性。

 そしてそれをすべて引き出した彼女の兄による歌詞の圧倒的深度。


 AメロとBメロはきっと2人の中にあった純度の高い想いとエピソードに違いない。

 それを私も、会場や画面越しのみんなも分かっている。


『あなたの言葉を口ずさみながら────』


 だから期待するのだ。

 マイクの数すら足りていないライブ環境に学生PAという、劣悪な音質。

 そうであっても耳を、目を、心を離せないのだ。


 どうか奇跡よ、起こってくれと。

 この少女を祝福してくれと。



 前に出たギターが歪みを効かせたグリッサンドのキメを入れた。


 あぁ、来るぞ。

 いや、行こう────行け!



『あなたの────────────────』


 それまで抑えられていた声量と想いが、サビ共に解き放たれる。

 それはその歌詞のとおり過去も苦しみも、全てを飲み込み飛び越えていくように。


 関西以外では知名度がほとんどないような、大阪にある農大の学園祭。

 演者であるインフルエンサーの呼びかけがなければ、誰も気づかないような小さなステージにて。


 音楽が、歌が、人生を救うということの意味を私たちは初めて知ることになったのだ。



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