25話:トゲとバラと、ペン一本
それは、ある休みの日だった。
「……うぅ」
僕は低く唸った。
「この、ぱんけーき? という食べ物。うん、いい甘味だ」
ヴィールが嬉しそうに言った。
フォークをもってエールときゃっきゃしている姿は、まさに女子高生のやりとりにしか見えない。
「はい、クラグノス様ぁ。あーんっ!」
「む……」
「――ぐうぅ」
握れば物を破壊する破壊神に、ロキがノリノリで食べさせる。
僕はさらに唸った。
「幸ー! ちょこあいす! トッピング、追加でほしいのです!」
「ああぁ――あーあー‼」
なんなんだ、このカオス具合は⁉
よりによって男三人でパンケーキ食べ合うって、どんな地獄だ⁉
こんなのッ! 超絶ッ! 色々とッ‼
「おかしいだろー‼」
店内に声が響き渡る。周りがびくりと一斉に視線を浴びせるが、僕はそのままへなりと机に顔を伏せた。
「幸、うるさいのですよー」
「そうだ。うるさいぞ。壊されたいのか」
「だっ、誰のせいだとッ、誰のせいだとッ‼」
ギリリと奥歯を噛みしめる僕を、ヴィールがどうどうとたしなめる。
勝てるはずもないのに、今にも拳が出てしまいそうだ。
『あれ?』
聞き覚えのある声が、興奮気味の僕を鎮静化させる。
「え……?」
「薄くん、こんにちは!」
茶色い制服に、白いエプロン、ふりふりのレース。このパンケーキ屋の制服に身を包んだ東雲さんが、元気よく挨拶をする。
「え、え! 東雲さん⁉」
「見ない人たちだね。お友達?」
「は、はは……まあ、そんなとこ」
東雲さんの柔らかな笑顔に充てられて、僕は適当にはぐらかした。
瞬間、破壊神がじいっと彼女を見て、真顔で口を開いた。
「違うな。こいつは俺のしもべ――」
「だー‼ いま従者ごっこしてるんだよな、な⁉」
「む……」
まるで意味のわからない返しでクラグノスを黙らせる。さすがの破壊神も食い気味の僕を前に、大人しくならざるを得なかった。
東雲さんも、僕のおかしな態度に『なあに、それ』と楽しそうに笑う。
「そっ、それより! 東雲さん、ここでバイトしてるんだね!」
彼女は元気よく頷いた。
「そうなの。ただ、少し困ったことがあって……」
困ったこと……?
東雲さんは軽くうなずいた。
「急に、明日シフトに入っていた子が来られなくなって。風邪引いちゃってね、人手不足だから、お友達を一日ウェイトレスとして紹介してほしいって言われて」
「そ、そうなんだ」
言いながら、アイスカフェラテを一気に吸い込んでクールダウンする。
僕にそんな友達はいない。いるはずもない。残念だけど、今回は東雲さんの力になれそうもなかった。
すると、ロキは不意に口を開く。
「あら、一度経験してみたかったのよね。よければこのロキちゃんが、お手伝いしてあげないこともないわよ~? てふふっ」
「な……」
僕は言葉を詰まらせる。
同時に、『どう? 薄くん』という言葉が、熱を帯びたバターみたいにとろけて胸にしみ込んだ。
僕は咄嗟に『ウェイトレスに興味を持った友達がいる』と即席の嘘を重ねた。すると彼女は、夏の日差しよりも眩しい笑顔で僕の手を取った。
『本当⁉ 薄くん!』
ほんの一瞬のあと、花が咲いたように跳ねた。頬が、ベリーみたいに赤い。
やがて彼女が呼ばれて、バックヤードへと消えていった。
彼女が取った手を見つめ、全身の力が抜けたようにへなりと席につく。
「騒いだり、ぼうっとしたり、忙しいやつだな」
「人間は興味深い」
二人の声が、遠くの喧騒みたいに耳をすり抜けた。
吸い上げたカフェラテでさえ、僕の熱を冷ますことはできなかった。
店を出ると、真夏の風が顔をなでた。
ビルの隙間から差す光がオレンジ色に傾き、街全体をゆっくりと染め上げ、歩道を歩く人々の影が長く伸びる。
すれ違う誰もが“普通の日常”を歩んでいた。
――対して僕は眉間にシワを寄せる。
僕を放って、後ろで楽しいお喋り会が繰り広げられていた。
僕の周囲だけ、神々の大名行列を成している。
『はああ』――いつにもまして、大きなため息をついた。
「……おや?」
背後でヴィールが足を止めた。合わせて僕も足を止める。
僕たちの視線の先には――。
「三谷?」
三谷が地面に手を当てて、何かを探していた。
やがて僕に気づくと、とっさに立ち上がり声を荒げた。
「あ、あんた! いつから居たの⁉」
「なにか落としたのか?」
僕の言葉に、腕を組んで足を軽く踏み鳴らす。三谷は多少の苛立ちを見せた。
「……ちょっとね」
そう、素っ気なく返す。わかってはいたけれど、可愛げがないやつだ。
三谷は再び地面に身体を落とした。不機嫌そうな顔に似合わず、眉が下がっている。
「大事なものなのか? 探すよ」
「はぁ? なんであんたの力なんて借りなきゃ」
言いかけて、軽く首を振った。
「……私としたことが、七から借りたペンを落としちゃったの」
「へぇ、珍しいな。三谷でも落とし物するんだ」
「どういう意味よ、それ」
探し物をしながら、顔だけをこちらに向けてキッと目を細めた。
まるで『ぶっとばすわよ』と幻聴でも聞こえてきそうだ。
僕は慌てて弁明をする。
「いや、ほら! 三谷っていつもキッチリしてるだろ?
そういうこともあるんだなって、安心したというか!」
「あんたと一緒にしないでくれる?」
相変わらず、トゲトゲしいやつだ。
それはさながら、花の部分すらトゲで覆われたバラのようだ。
それでも綺麗に見えるのだから、タチが悪い。
その場で僕も身体を屈める。
三谷は心底驚いていた。けれど、それ以上先は言葉を交わさずに手を動かした。
あれからどれくらい経っただろう。
陽はゆっくりと傾き、街の音が遠のいていく。
近くという近くは、隅々まで探した。けれどペンは見つからない。
自転車の下、溝の中。三谷にポケットの中を探させたし、絶対にありえない車道の方も目を凝らして見た。
それでも、ペンが出てくることはなかった。
太陽が傾き、世界が徐々に影で覆われる。 どうやら、結構な時間を探し回っていたらしい。
やがて、三谷が嘆息を漏らす。
「もういいわよ。あんたの時間を無駄にするし……七に謝っておく」
言葉とは裏腹に、あの強気な三谷の姿はそこにない。
「なに言ってんだよ。顔に書いてあるぞ、罪悪感いっぱいだって」
「な……ッ!」
かあっと三谷の顔が沸騰したお湯のように湧き上がった。
しかしすぐに、冷静さを取り戻して小さくこぼす。
「……ありがと」
僕から顔をそむけて、そう言った。
周囲を形作る影が、三谷の表情をうまく隠していた。
それでも僕には、小さく笑みをこぼしているように見えた。
夕陽の赤に照らされながら、その笑みだけがやけに記憶に焼きついた。
瞬間、ぞわりと冷や汗が出る。鼓動が早くなり、短い息を何度かもらす。
周囲がほんの少しだけ、揺らいだように見えたのだ。
三谷を向いていた顔の横で、猫のチャームがつけられた何かが視界に入り込んだ。
僕はそっと“それ”に注目する。
――僕の足元に、ペンが落ちていた。
混乱で思考が高速で駆け巡る。
足元……普通、一番最初に目に入る場所。
でもさっきまでなかったんだ。それは確認していた。
「てふふっ、やるじゃない、幸ちゃん」
なんの気にも止めてない、ロキの言葉が僕の心を余計にかき乱す。
やがて現実に引き戻された。僕は震える手でそのペンを拾い上げ、三谷に渡す。
「もしかして、これ、か?」
「あ――」
三谷が一瞬だけ顔を輝かせた。
「それ。ありがと、助かったわ」
言いながらペンを手に取ると、自分のことで精一杯だったのかようやく、クラグノスたちの姿を映した。
「あんたにも友達なんていたのね」
「友達? 違うな、こいつはしも――」
「だーっ! いいから、いいから!」
とっさに余計なことを言おうとする破壊神の言葉を遮った。
「じゃ、私は行くから」
「お、おう」
淡々と去っていく三谷。その前を先行する、空間の歪み。
見えない何かに、ぞわりと震えあがった。
「おい」
クラグノスが僕の腕を引っ張った。あまりの馬鹿力に、身体の芯が揺れる。
彼の瞳の奥には、さっきまでの苛立ちではない、別の色があった。
「……あの女を要監視対象とする」
「へ……?」
「なんでもいい、捕まえろ」
そう雑な任務を渡されて、僕はとっさに叫んだ。
「み、三谷!」
三谷がこちらを振り返る。
何か理由、何か理由。思考をフル回転させて、うんうんと唸る。
――そうだ、あったじゃないか。最高の理由が。
「三谷、甘いものとか好きか?」
「甘いもの? まあ……食べるけど」
急な僕の発言に、不思議そうな顔で見つめてくる。
「パンケーキ! そう、パンケーキ食べに行かないか⁉」
言い終わる頃には、三谷の突き刺すような視線が僕を捉える。
「なに、ナンパ?」
怪訝そうにじっとこちらを凝視する。この汗は夏のせいなのか、三谷の痛い視線のせいなのか。後ろを振り返ると、クラグノスも僕をじっと凝視していた。
視線の挟み撃ちだ……。
「ほ、ほら! おごるからさ!」
とっさに出た言葉に、僕は心の中で叫んだ。
――これじゃあ余計にナンパじゃないか‼
「……ま、いいけど」
三谷が笑った。
「あと、奢んなくていい。むしろ、私があんたに奢るべきだわ。借りは作りたくないし」
短い髪を耳にかける動作をし、三谷は再び背を向けた。
『じゃあね』と去っていく三谷を、ただ僕は放心状態で見つめていた。
「はわわ、幸も大胆なのですー」
「うう、言葉も返せない……」
破壊神様の命令とはいえ、僕はなんてことを言ってしまったんだ。
恥ずかしさと同時に、三谷の男らしさが胸に突き刺さる。
僕より男らしい……潔い……。
道端にうずくまる僕をよそに、神様たちは任務を達成したとばかりに帰りはじめる。
……もう少しは僕の心配をしてくれ。
僕の心は、いろんな意味でズタボロである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます