長袖の下の隠し事

一視信乃

長袖の下の隠し事

 東京35℃、八王子36℃。


「36℃かよ……」


 天気予報の気温を見て、僕は今日もげんなりする。


「9月ももうすぐ終わるっつーのに、猛暑はいつ終わるんだ」


 ぼやきながら、長袖ながそでのポロシャツに袖を通す。


 冬服はもちろん、夏服でも体育のときも長袖を着る (ただし、プールのときは腕にサポーターだけ着用) ──というのが、中1の夏から続いている、僕の日常だ。


 暑いときはうんざりするけど、この腕を見せるわけにはいかないから。


       *


 身じたくをととのえ家を出ると、待ち合わせの神社の前には、もうみつるの姿があった。


「おはよう、さく


 短髪がよく似合うキリッとした顔は、初めて会ったころよりだいぶ大人びてきたが、僕に気付いて笑う顔は以前とまったく変わらない。


 だが、挨拶あいさつを返す僕を見下ろし、充はすぐに眉をひそめる。


「今日熱中症警戒アラート出てるけど大──」

「大丈夫だよ。教室は冷房きいてるし、日差しが強いときは長袖の方が肌痛くないから」


 皆までいわせず、いつもの言いわけを口にすると、充はやれやれというように、大げさにため息をついた。


「朔は色白いからお肌のケアも大事かもしんないけど、暑かったら腕まくりくらいしろよ。なんかいうヤツいたら俺がなぐってやるから」

「受験生が人殴っちゃダメだろ。みんな事情知ってんだし、そんなヤツいないって。ただ変に気ぃ使われんのが嫌なんだ」


 お前をふくめてと言外ににおわすが、わかっているのかいないのか、充はがらりと話題を変える。


「そういや、こないだの模試スゲー良かったんだ。このままいけば朔と同じ高校も夢じゃないかも」


 またさわやかな笑みを向けられ、胸の奥がずきりと痛んだ。

 充と同じ高校へ行けるのはうれしい。

 でも、それが罪ほろぼしのためだとしたら──。


 僕はぎゅっと腕をおさえる。

 長袖の下にかくしたものを、さらにおおい隠すように。


       *


 中学の中で長袖から解放される貴重な時間・水泳の授業を僕はとても楽しみにしていたが、今日の五時間目は先生が休みでいきなり中止になってしまった。


 しかも、教室で自習か体育館で運動か問われ、ほぼ満場一致で運動になってしまったのだ。

 僕は自習が良かったのに。


 一緒に体育をやるD組は自習を選んだらしく、冷房がきき始めた体育館には僕らC組の姿しかない。


「Dがいたらドッチやれたのになぁ。この人数ならバレーかバスケ?」

「バレーはネットが面倒だからバスケだな。ふたつに分かれて交代制で」

「チーム分けどうする? グーパー?」

「時間かかるし、出席番号、奇数と偶数でいいよ」


 すべてがトントン拍子に決まっていくのを他人ひとごとのようにながめていると、充に肩をたたかれた。


「敵同士だな。あんま無理すんなよ」

「頑張る気ないから大丈夫」


 宣言通り僕は前半で抜けたが、充は前半後半ぶっ通しで活躍している。

 シュートが決まるとチームメイトと手を合わせて喜んだり、すごく楽しそうだ。


 僕があのときあんなこといわなかったら、充はたくさんの友達に囲まれ、今より充実した日々を過ごしていたのだろう。


 なんだか充が遠い人に思え、泣きそうになって僕はうつむく。


 充と僕は本当は、違う世界の人なんだ。

 なのに僕は呪いをかけて、かごの中に捕らえてしまった。


 あれは中1の、6月の始め。


 教室で掃除をしていたとき、誰かに押されてよろけた拍子に、右腕が棚にぶち当たり、ひじから下をざっくりと切ってしまったことがあった。


 だいぶ前の話だし、痛みの記憶ももう薄れたが、半袖のポロシャツが鮮血に染まり僕以上にまわりがパニックになったことは、今でもはっきり覚えている。


 それで、保健の先生いないからと救急車が呼ばれ、病院送りにされたんだけど、充もそれに同行し、怪我の原因が彼にあると僕はそのとき知ったんだ。


 僕の処置が終わるまで充はずっと待っていて、迎えにきたうちの親にもしっかり謝罪した。

 しかし、彼がどれだけ礼をつくそうと、当時の僕には響かなかった。


 出席番号が前後ってだけで仲が良かったわけでもないし、掃除中ふざけてたお調子者のせいでこんな目にったんだ。

 わざとじゃないとわかっていても許せるわけがない。

 どうすればヤツに復讐できるか、治療の間もそればかり考えていた。


 だから、顔を合わせるなり頭を下げてきた充を人気のないところまで連れていき、包帯にくるまれた腕を突き付けて、きっぱりいってやったんだ。


「この傷、一生あとが残るって」


 だからお前も一生自責の念に捕らわれ続けろ。

 と、心の中で付け加えて。

 充は真っ青になったが、それでも僕を見上げていった。


「本当にごめん。俺、ちゃんと責任とるから」


 思いもよらぬ誠実な態度に少し狼狽うろたえてしまったけど、悪いのは向こうだからと茶化すようにあざ笑った。


「責任ってなんだよ。日生ひなせの嫁にでもしてくれるのか」


 さすがに面喰らったのか充は瞠目どうもくし、それからすっと目をせた。

 でも、しばしの沈黙ののち、またまっすぐ僕を見た。


「それが本上ほんじょうの望みなら」


 真剣な眼差しに射抜かれたように、僕は目をそらせなくなった。

 心臓がドキドキうるさくて、なんでこっちがこんなに動揺しなきゃいけないんだといきどおった。

 あの頃の充は僕よりも小さくて小学生にしか見えなかったのに、そのときの表情はすごく凛々しくて──


「冗談だよ」


 顔をそむけ、それだけいうのが精一杯だった。


 翌日、休まないといった僕の家まで充はわざわざ迎えにきて一緒に登校し、学校でも甲斐甲斐かいがいしく僕の世話を焼いてくれた。

 利き手が痛む僕の代わりにノートをとってくれたり、給食を運んでくれたり。


 学校のある日は毎日僕にベッタリだったが、事情を知っているからか、冷やかすヤツはいなかった。


 最初気まずかった僕も、彼が本当に思いやりのあるいいヤツだとわかり、気の置けない存在となるのにそう時間はかからなかった。


 だから、充が痛ましげに包帯を見るのが申し訳なく思えて、長袖を着るようになり、包帯が必要なくなってからも、それを脱ぐことが出来なくなってしまったんだ。


 責任感の強い充は今でも僕のそばにいて、あれこれ心配してくれるけど、いつまでもそれに甘えることはできない。

 そろそろ手放さなきゃいけないことはわかってる。

 だけど……。

 

「本上っ、危ないっ!」


 いきなり聞こえたせっまった声にハッとして顔を上げると、もう目の前にボールが迫っていた。

 とっに腕で頭をかばい顔を背けたが、バシッとすごい音が聞こえた割に覚悟した衝撃はまったく来ない。

 様子をうかがうと、充がそばにいて荒い息をついている。


「充?」


 呼びかけに、充はガバッと振り返った。


「朔っ、平気かっ?」


 勢い込んで聞かれ、あっにとられながらもなんとかうなずくと、充はほおっと息を漏らした。


「良かった間に合って……」


 僕はまだ状況が理解できずにいたが、今度はコートから声がかかった。


「おーい、充、大丈夫か?」

「問題ない。続けてくれ」


 充の答えに、止まっていた試合が再開される。

 どうやらボールは充が弾き返してくれたようだ。


「ありがとう」 


 まずはお礼をいってから、まだそこにいる充にたずねる。


「試合、出なくていいの?」

「さっき抜けたとこだったんだ。朔の様子が変だったから。お陰でボールに間に合ったよ」


 充は得意げに右手を振ったが、急にうっと眉をしかめた。


「充?」

「ああ、なんでもないなんでも」


 笑いながら手を下げ、そのまま隠そうとする態度はあからさまにおかしい。

 ひょっとして……。


「充、保健室行こう」

「え? どっか具合悪いのか? 大丈夫か?」


 まだ人の心配ばかりしてくる充に背を向け、僕はすたすた歩き出す。

 一応審判のヤツに一声かけて体育館を出ると、思った通り充ものこのこ着いてきた。


「なぁ、朔? なんか怒ってる?」


 体育館履きから上履きに履き替える僕の横に並び、顔をのぞき込んできた充をねめ上げ、逆に問いただす。


「右手、怪我したんだろ?」

「ああ、これ?」


 バツが悪そうに充は手を上げた。


「ちょっとズキズキするだけだ。突き指はしてないと思うから大丈夫」

「それでも念のため保健室行った方がいい」

「なんかいつもと逆だな」


 譲らない僕に充は素直に従ってくれたが、残念ながら保健室は無人だった。


「おばちゃん、いつもいないよなぁ。まぁせっかく来たんだし、休んでくか」


 奥まで行くと、充は並んだベットのうちのひとつに遠慮えんりょなく腰掛ける。

 そしてバタンと上半身を布団の上に倒した。


 消毒薬の匂いがする部屋は、ベットのきしみやシーツのれる音が聞こえるくらい静かだ。

 当たり前か、誰もいないんだし。

 そう、誰も……。

 今は充とふたりきりなんだ。


「朔もどう?」


 左手で片肘ついて、無邪気に誘ってくる充を見て、僕は覚悟を決めた。

 念のためベッドまわりのカーテンを閉めると、充の前に立ち、白い長袖Tシャツの袖をおもむろにたくしあげる。


 目を見張る充にむき出しになった腕がよく見えるよう突き付け、あのときみたいにきっぱりといってやった。


「腕の傷、一生痕が残るっていったのは嘘だ」

「は?」


 充はガバッと身を起こしたが、僕は気にせずまくし立てる。


「ゴメン。あのときは充に腹が立って、困らせてやろうと思ったんだ。でも、ちゃんと治ったし、充が責任感じる必要なんてない。充の中学校生活、台無しにしちゃってゴメン。もう僕に構わなくていいから、あとは充の好きに過ごして」

「……って、今更そんな……ふざけんなっ!」


 充が立ち上がり、声を荒らげたとき、保健室の戸がガラリと開いた。


「誰かいるの?」


 保健の先生の声に僕は急いでカーテンを開け、充をしめす。


「すみません。彼、手痛めたみたいで、てあげてください」


 そして逃げるように保健室を飛び出した。


 授業中のひとのない階段に僕の足音だけがむなしくひびく。


 ずっと隠してきたことをようやく打ち明けられたというのに、心はちっとも晴れなかった。


 充、スゲー怒ってたな。

 あんな怖い顔、初めて見た。


 そりゃそうか、僕はずっとだましてたんだし。


 胸の奥がまたずきりと痛む。

 腕の傷は治っても、心を深くえぐった傷は本当に一生消えないだろう。

 でも、これは、嘘をついたばつだから仕方ない。


 それに、僕のせいでケガする充なんて、もう二度と見たくないから。


 にじんだ涙をぬぐい、僕は一人で体育館へ戻った。


       *


 保健室から戻ってきても、充は僕に話しかけてこなかった。

 それどころか、授業がすべて終わり掃除と学活が終わって帰る時間になると、いつの間にか教室から姿が消えている。


 部活を引退してからは毎日一緒に帰ってたけど、それももうなくなったんだな。


 一人で歩く通学路はいつもより長く感じる。

 ようやく充と待ち合わせする神社まできたとき、その鳥居の前に見慣れた人影があるのに気付いた。


「みつ──」

「俺も朔に話がある」


 充はまだ怖い顔だけど、無視して逃げることは出来ない。

 僕らは鳥居をくぐって石段を上がると社殿の裏にまわり、高欄こうらんがついた縁側のはしに並んで腰を下ろした。


 背後を木立に囲まれた神社の奥にあるこの場所は、仲良くなってすぐ充に教えてもらったんだよな。

 普段ひとがまったくなく、夏でも割と涼しいから、よくここでアイスを食ったりマンガを読んだりしてたけど、今はそんな楽しい雰囲気ではない。


 緊張しながら僕は彼が口を開くのを待った。


「傷痕残らないことなら、1年のころから知ってた」

「え?」


 思いもよらぬ告白に、一瞬頭が真っ白になる。


「知ってたって、え? なんで?」

「俺が気にしないよう朔のお母さんが教えてくれたし……自分でも確かめたから」

「確かめたっていつっ?」


 林間学校も修学旅行も誰にも見られないよう気を使ってきたのに。


「2年の5月。うちに中間の勉強しにきて寝ちゃったことあっただろ。キスしても起きないくらいよく寝てたから、こっそりめくって見たんだ」


 衝撃の事実に、僕は言葉を失った。

 勝手に見たって、それ犯罪じゃないのか?


「寝込みをおそうとか最低だな」


 立場を忘れついなじってしまったが、充は気にしてないどころか立ち上がって正面にまわり、平身低頭弁明してくる。


「本当にゴメン。寝顔、可愛かったからつい。あ、でも口じゃなくて頬だから」

「頬? 腕じゃなく?」

「え? あ、いや、その……どうしても気になったから、ゴメン。でも、そのとき思ったんだ。朔の白くて綺麗な肌に痕が残らなくて本当に良かったって」


 充の所業は許しがたいけど、心から僕を案じていたのは間違いないようだ。


「わかったよ。僕も嘘ついてたからおあいこだ」


 充はほっと息をついた。


「なぁ、腕、もう一度見せて」

「……別にいいけど」


 特に断る理由もないし素直に腕まくりしてやると、充がぐいっと身を乗り出してきた。


「本当に綺麗だ。なぁ、触ってもいい?」

「暑いからヤダ」

「ケチ」


 ああ、またこうして軽口叩けるのがすごく嬉しい。


「それで、明日から半袖着るのか?」

「どうせもうすぐ衣替えだし、このままでいいかな」


 余計な詮索せんさくされたくもないし。


「じゃあ、最近この素肌を見れたのは俺だけってことか」

「素肌って、家じゃいつも半袖だし、家族は普通に見てるけど」


 何いってんだと思っていると、充は急にカバンをあさり油性ペンを取り出した。

 そして、僕の腕をつかみ、でかでかと自分の名前を書く。


「何しやがる!」

「これなら家族にも見せらんないだろ?」


 なぜか得意げにいわれ、僕はあきれてしまった。


「だからって、なんでお前の名前を」

「大事なものはなくさないよう名前を書いておけっていわれなかった?」

「大事って、お前……」


 ますます呆気にとられる僕に、充は真顔になっていう。


「大丈夫、ちゃんと責任とるから。いや、責任とるのは朔の方か。俺は朔といるのが楽しいから一緒にいただけなのに、台無しとかもう構うなとか酷いこといわれてスゲー傷付いた。だからちゃんと責任とってよ」


 すがるような眼差しに、心が激しく揺れ動く。


「責任ってなんだよ。嫁にでもしろっていうのか?」

「……俺がそっちでも構わないけど。なんですぐ、責任=嫁にするって発想になるんだ?」

「え? さあ? なんでだろ? 刷り込み?」


 真剣に首をかしげると、充は吹き出し声をあげて笑った。


「朔ってやっぱかいなヤツだよな。そんな朔が好きだからずっと一緒にいたいんだけど、朔は? 俺のこと嫌い?」

「んなわけないだろ。僕だって──」


 いおうとした言葉は急接近してきた充にさえぎられてしまった。

 カチッと軽く歯と歯が当たり、すぐに離れていったけど、今のって……。


「俺の好きはこういう好きなんだけど?」


 どうすると言外に問われ、僕は即座に応じた。


「望むところだ」


 僕だって充が大好きなんだから。


 充ははしゃいだ声を上げ、ウキウキと僕に提案してくる。


「じゃあ、今からうち来ない?」

「え?」

「あー、違う違う。今すぐ嫁にとかじゃなくて、勉強教えてよ。俺、何がなんでも絶対死ぬ気で、朔と同じ高校行くから!」

「わかったよ」


 ふたつ返事で引き受けると、充はさらに要求してくる。


「受かったらごほうください」

「受かったらな」


 僕も立ち上がり、まくったままだった袖を戻すと、その下にまた新たに出来た愛しい秘密をそっとでた。

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