第32話 覚醒

「ぁあ……」


掠れた声が、それだけが溢れる。


上位個体ハイ・エネミー』がのたうち叫びを上げながら、激しい炎に身を焼かれている。


一人突撃し、俺の預けた迷宮鉱石、『ラビリンス・スカーレッド』を起動させた祈凛と共に。


何故。


何故こんな事を。


「ああ、ああ……」


別に諦めてもいいじゃないか。


もしかしたら、『上位個体ハイ・エネミー』が俺を殺す間に助けが来るかもしれなかったじゃないか。


わざわざ飛び込まなくたって、どうにかなったかもしれないじゃないか。


こんな事したって───俺が助かるだけじゃないか。


「ああああああああああああああああぁぁぁぁぁッッ!!」


叫ぶ。


動け、動け動け動け!!


今ならまだ間に合う。炎の中から祈凛を助け出せ。


そう思っているのに、理解しているのに、どれだけの意思を持とうとも極度に負傷した体は動けない。


「─────があっ!」


それでも動かそうと必死に体を捩る。


しかし体は動かず、代償として激痛が走る。


余りの痛みに力が抜け、息がうまく吸えなくなる。


それでも決して、体を動かすことを止めない。止める訳にはいかない。


今なお炎に焼かれる祈凛に比べれば俺の痛みなど比べようも無い。まだ動けるはずだ。動かなくてはいけない。


動けよ、動かせるだろ。俺は才能があるんだろッ!?


思い出すのは幼馴染の言葉。


─────龍之介、お前はいずれ最強になる。


駄目だ。では駄目なのだ。今でなくては、死にゆく少女を救えない。


本当に才能があるって言うのなら、いずれなんて来るかもしれない未来じゃなく、今だ。


今こそその力が必要なのだ。


「───ああ」


動かす。


小さく、ピクリと手が動く。


「────ああああ」


動かす。


足がゆっくりと持ち上がる。


「─────ああああああああッ!!」


雄叫びと共に這いずるように立ち上がる。


コップの水を零したように血反吐が出る。膝が震え、今にも崩れ落ちそうだ。


それでも立った。立ち上がった。


必死に、文字通り命懸けで『上位個体ハイ・エネミー』に向かう。


まさしく己の限界を超えた先にある動きだった。だが、


「ぇぁ───?」


視界がぐらりと揺らぐ。


足が、もつれ……?


重力に引かれるように体が地面に倒れる。


立ち上がり、走る。それが俺に出来た、限界を超えた動きだったのだ。


もう既に俺の体は言う事を聞かなくなっていた。それどころか、先程まで感じていた痛みすらどこか薄っすらとした物になっている。


傷が癒えて痛みがなくなったわけでは無い。ただ、痛みを感じる機能すら真っ当に働かない程の状態なのだ。


意識が遠い。


あれ程高ぶっていた感情が、水を掛けられたように弱まっていく。


なんで、こんなに頑張ってるんだっけ……?


『別にいいじゃないか。もう十分頑張った、これ以上何が出来る?』


どこからか睡魔にも似た、心地の良い諦観の声が聞こえる。


『ここで倒れても誰も俺を責めない。だって無理だろう、あんな怪物を倒すのなんて。』


そうだ、無理だよな。


こんなに頑張っても、傷一つ与える事も出来てないんだ。倒すなんて夢のまた夢だ。


『ああそうだ。だから、


………………。


『せいぜい数カ月の付き合いだ。どこに俺が救う義理があるんだ?』


……………………。


『そもそもこの状況を選んだのは祈凛だ。俺は関係ない』


…………………………。


『だから


ああ…………。


俺は大馬鹿だ。


違うだろう。俺の頑張りとか、これまでの関係だとか義理だとか、祈凛が望んだかどうかとか。


そんな事は一切、一欠片だって関係ないだろ。


本当に大事なのは───



「─────俺が助けたいかどうかだろぉがぁぁぁぁッッ!!」



ボロボロで痛みが薄まっていた体を、薄まってなお激しい、稲妻の如き激痛が全身を貫く。


激痛で意識が飛んでも、更なる激痛で意識を呼び戻す。


即座に死に至ってもおかしくない蛮行。しかもそこまでしても体が自由に動かせるわけでは無い。


さらに追い打ちをかける様に、ここまで小さかった頭痛が激しくなる。


体中が悲鳴を上げ、痛みが無い場所など無かった


それでも助ける。助けると決めた。


そう吼え続ける。


意志が、感情が、肉体を凌駕する。


痛みが痛みが痛みが痛みが痛みが痛みが痛みが痛みが痛みが痛みが痛みが痛み痛み痛み痛み痛み痛み痛み痛みいた───


─────左眼が弾ける。


それは狼煙だ。


最強へ至る、覚醒の狼煙。


比喩では無く、物理的に弾けた左目が血飛沫をまき散らし、ぐしゅりと蠢き仮面の様に半顔を覆う。だというのに、不思議と痛みは無かった。先程まで感じていた苦痛が消える。


麻痺したわけでは無い。何故だかそう断言できた。


前にも、同じ様な経験があった。


それは初めてダンジョンに潜った日、『恩寵ギフト』を手に入れた時と同じ感覚だった。


「─────『知と血を統べる王神ウォーデン・リヒト』」


理解よりも早く、その名が溢れる。


それは少女を救うために必要だったモノ。それは『身体能力強化』だったモノ。形の力を変え、真なる名前を手に入れたモノ。


理屈も理由も関係なく、自らの意思に従い、ズタボロだった筈の体は動き出す。


時が止まる。いや、そう勘違いしてしまいそうな程の速度で駆ける。


「ガガァッ!?」


弾丸を超える勢いでそのまま燃える『上位個体ハイ・エネミー』に直撃、蹴り飛ばす。


そして『上位個体ハイ・エネミー』と共に炎に包まれていた祈凛を片腕で抱きかかえ、距離を取るように後ろに飛ぶ。


一連の動作に、僅か一秒たりとも掛かりはしなかった。


「祈凛っ!」


未だに燃え続ける祈凛の装備をはぎ取り声を掛ける。しかし、少女からの返答はない。


幸い息はある。だが全身が炎に焼かれ、重度の火傷状態だ。即座に治療しなければいつ命を失ってもおかしくない。


ダンジョンに病院は無いが、治癒系の『恩寵保持者ギフトホルダー』である福宮が近くにいる筈だ。今すぐ治して貰えばまだ間に合う。


しかしその前にやるべき事がある。


「ガァァアッッッ!!」


蔓で出来た体を燃やしながら、『上位個体ハイ・エネミー』が咆哮を上げる。


もし瞳があれば怒りに染まっていただろうと断言できた程の激しい感情を乗せて、勢いそのままに『上位個体ハイ・エネミー』が飛び掛かってくる。


それは常軌を逸した速度。ついさっきまでなら、防御も回避も出来なかった筈の蔓が俺を襲う。


だが、今の俺にとっては余りに遅い。


落ちる綿毛でも掴むように、正確に頭部を狙う蔓を掴む。


「ガァッ!?」


上位個体ハイ・エネミー』が、混乱した様に、信じられぬものを見る様に声を上げる。


俺は掴んだ蔓を乱雑に引きずり投げ捨てる。


速度のみならず力もまた、これまでとは比較にならない程向上していた。


その結果として、自分の体から伸ばした蔓に引きずられて『上位個体ハイ・エネミー』の体が宙を舞う。


そして悲鳴を上げながら木々を薙ぎ倒して草木の奥に吹き飛んでいく。


「祈凛、ちょっと待っててくれ。直ぐに戻る」


そっと、祈凛の体を地面に降ろす。


すぐ近くに落ちていた、切られた腕から『多衝棍』を拾い上げ『上位個体ハイ・エネミー』が吹き飛んだ森の奥を見る。


決着の時はすぐそこに在る。

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