第33話 経験を活かす時
最初は、少しだけ怖じ気づいていた。ミストが戦う相手を見て、そうなった。
ミストが対峙するモンスターはミノタウロス。強い個体は上級モンスターに匹敵すると言われているモンスターだ。
ミノタウロスと戦うミストの姿を見て躊躇った。強者同士の戦いに割り込んで、ミストの足を引っ張らないか不安だった。
だけど、彼女が捕まった姿を見て、そんなことを言っていられなくなった。
身体が勝手に動いていた。馬に乗ったまま剣を振るい、ミノタウロスの手を斬りつける。ミノタウロスは僕の攻撃に耐えられず、掴んでいたミストを放した。
ミストが無事に解放されて一安心したが、そのせいで気が緩み、僕は身体のバランスを崩していた。身体が傾いて、馬から落ちてしまう。僕を落とした馬は、そのまま走り去っていった。
すぐに身体を起こして、ミストの様子を確認する。彼女はちゃんと着地をしている。その様子を見てほっと息を吐くと、ミノタウロスの姿が目に入った。
ミノタウロスは僕に向けて斧を振り下ろす。ギリギリで気づいた僕は、後ろに転がって回避する。
その後、またミノタウロスが追撃してくるが、ミストがミノタウロスの右足に剣を斬りつけて追撃を阻む。ミノタウロスは足元のミストに反撃するが、すでに彼女は僕の方に避難していた。
「大丈夫?」
彼女に心配されて声を掛けられる。助けに来たのにこんなことを言われるなんて、情けない。
「うん、平気。ミストは?」
「私も。ぜんっぜん平気」
なんでも無さそうにミストさんは言う。しかし視線を下に向けると、彼女の身体の至るところに小さな傷がついていた。装備も土で汚れ、汗をかいている。
何をしに来たんだ、僕は。足手まといになりに来たんじゃない。助けに来たんだ。いつまでも守られている場合じゃない。
「僕も戦う」
剣と盾を構え直し、ミノタウロスと向かい合う。
「このモンスターすっごく強いよ」
ミストは戸惑った表情を見せる。ミノタウロスの強さはミストの姿を見ただけでも分かる。
「逃げない。仲間を置いて逃げたくない。そのために強くなったんだ」
グラプとの戦闘で、ミストを巻き込んで怪我をさせた。あのとき、謝罪をした後に胸に残ったしこりは罪悪感ではない。
僕自身に対する無力感だ。
彼女を巻き込み、怪我をさせ、逃げることすら出来なかった。助けに来た彼女のために何もできず、ただ謝るだけで事を終わらせようとした。そんな身勝手な行動に、僕は心の中で納得できなかった。
だから願いのためにも、弱い僕と決別するためにも、逃げるわけにはいかない。
ここで逃げたら、今までの努力が無駄になる。努力を無駄にしたくない。
フィネさん、リンさん、クラノさん、ベルク。彼らが僕の頑張りを認めてくれた。
今度はミストに、その成果を見せる番だ。
「君を置いて逃げるつもりはない。絶対に逃げない」
「そっか……」
ミストが双剣を持って僕の横に並ぶ。
「じゃ、頼りにしちゃうからね」
「もちろん」
僕が言い切ると同時に、ミノタウロスが斧を振り下ろす。大振りな攻撃のため、余裕をもって右に跳んで避ける。ミストは逆方向に跳んでいた。
「僕が前で止めるから、ミストは隙を見て攻撃して」
「オッケー」
ミノタウロスの正面に移動し、ミストから気を逸らさせるために、大振りに剣を振るう。ミノタウロスは僕に視線を合わせると、斧で剣を受け止めてから反撃をする。素早く振りの小さい当たるためだけの攻撃。それを受け流していなそうとした。
しかしその瞬間、腕に想像以上の衝撃を受けた。
「つっ――」
あまりの痛みに顔が歪む。
何とか攻撃は受け流したものの、堪らず後ろに下がって体勢を整える。
今の攻撃は手打ちのようなもので、ミノタウロスの本来の腕力を十分に発揮できていなかったはずだ。だというのに、腕にかかる負担は尋常じゃない。
ミノタウロスは再び僕に向かって斧を振る。さっきと同じような振りの小さい攻撃だ。すぐに反応して受け流したが、また左腕に大きな衝撃がかかる。今度は声を出さずに堪えられたものの、これをあと何回受ければいいのかと考えるとむしろおかしくなった。
無理だ。根性で何とかなる問題じゃない。腕が骨折するどころか切り落とされてしまう。
「ヴィック、平気?」
口には出さなかったものの、表情には出ていたみたいだ。ミストが心配そうな顔で尋ねてきた。
ミストは僕が攻撃を受けた瞬間、ミノタウロスに攻撃をするという役目を全うしていた。ミノタウロスの右肩の近くに真新しい傷が残っている。一応、やり方は間違ってはいないようだ。僕が攻撃を引きつける間にミストが攻撃をする。それ自体は機能している。
だがこれを続けるとなると難しい。攻撃を受け続ければ、先に僕の左腕が使い物にならなくなるだろう。そうなれば一気に形勢は不利になる。新しい作戦を考えなければならない。
「私が囮になろっか?」
その案も考えたが、メリットが少ないため無理だと判断する。
僕とミストでは攻撃力が違う。ミストは素早さと跳躍力を活かしてミノタウロスの身体をどこでも狙えるが、僕は移動力が低いため足元付近しか狙えない。逆に防御面では、腕のことさえ考慮しなければ僕は攻撃を耐えられるが、ミストの身体は細いうえ、軽さ重視の装備のため装甲が薄い。貧弱なモンスターの攻撃ならともかく、ミノタウロスの攻撃を一撃でも食らえば致命傷になるだろう。攻撃を避け続けるという方法もあるが、その場合は体力勝負になる。そうなると、やはり身体の大きいミノタウロスが有利だ。
どうしようかと考えていると、ミノタウロスが斧を振り下ろしてくる。食らったらまずい。直感で判断し、後方に跳び退く。続けて跳び退いた先に斧を突き出してきたので、僕とミストは別れるように左右に避けた。回避後、僕は左に、ミストは右に位置し、ミノタウロスを挟み撃ちにする形になった。
意図せずとも有利な位置を取れた。ここから攻撃するか。それとも囮になってミストに攻撃を託すか。
ミノタウロスは僕たちを交互に見て、どっちを攻撃すべきか悩んでいる様子だった。その隙を狙ったのか、ミストが攻撃を仕掛ける。斧に当たる面積を減らすためか、体勢を低くして移動していた。
ミストの動きを見て、ミノタウロスが迎撃する。地面すれすれの軌道で斧が振るわれる。当たる直前、ミストは前に跳んで前転し、ミノタウロスの足元に入る。立ち上がった瞬間、ミノタウロスの右足に切り傷を二つつけるとすぐに退いた。直後にミノタウロスが蹴りを出すが、すでにミストは離れていた。
ミノタウロスがミストに気を取られている隙に、今度は僕が接近する。気づかなかったのか、ミノタウロスは振り向きもしない。その隙に、左足に剣を突き刺した。
『ブモォ!』
ミノタウロスの驚き声が響く。全く僕に気付いていなかったようだ。
「僕の方も少しは気にしなよ!」
剣を抜いてすぐに後ろに下がる。ミノタウロスが振り向いたときには、僕は攻撃が届かない場所まで退いていた。僕への反撃を諦めたのか、ミノタウロスはまたしきりに首を振って、僕たちの姿を捉えようとしていた。
その仕草が、ふと頭に引っかかった。
明確には分からない。それは敵の位置を知ろうとする普通の動作。しかし、その挙動に違和感を持った。
気のせいかもしれない。だが妙に気になって頭から離れない。もしかしたら現状を打破する突破口になる可能性がある。そう思うと、思考を止めることができなかった。
「ヴィック! 前!」
ミストの呼びかけで、ミノタウロスが目の前に来ていることに気づいた。斧を振り回そうとしている。盾で受けちゃだめだ。避けないと。そう思って後ろに退こうとしたが、すぐ背後には木があってこれ以上下がれない。斧を横に振ろうとしているため、左右に避けるのも危険だ。となると、前に進むしかない。
ミノタウロスが斧を振ったと同時に前に進む。攻撃の最中に近づくなんて怖かったが、ここ以外に逃げ道がない。勇気を振り絞って前に跳び、ミノタウロスに近づいた。
地面に倒れ込んだ僕はすぐに起き上がる。ミノタウロスは僕から目を離しておらず、即座に足で攻撃してくる。転がっていたため反応が遅れ、咄嗟に盾を出して防いだ。
重く、強烈な一撃だった。左腕からミシっと骨が軋む音が聞こえる。折れたんじゃないかと思うほどだ。
あまりの痛みに息が止まる。だが意識だけは残っていた。追撃が来る。早く移動しないと。
すぐに呼吸を再開させ、痛みに堪えながら距離をとる。ミノタウロスは斧を振るおうとしたが、ミストが攻撃してそれを防いだ。
十分に距離を取って息を整える。怪我の確認のために左腕を動かすと激痛が走った。これ以上負担をかけると使い物にならなくなる。この戦闘ではもう左腕は使えない。
「大丈夫?」
ミノタウロスから目を離さずに、ミストが寄って来る。「盾は使えそうにないかも」状態を答えると、「分かった」と返された。
「だったら作戦を――」
ミストが喋ったとき、その隙を与えないようにミノタウロスが攻撃をする。振り下ろしてきた斧を、僕らはまた左右に分かれて回避する。
再びミストと離され、話すことができなかった。もしかしたらミノタウロスは、僕らに考える時間を与えたくないのだろうか。敵の様子を伺おうと表情を見た。
『ブフゥー、ブフゥー』
ミノタウロスの表情は穏やかではない。眉間に皺を寄せ、鼻息が荒い。むしろイラついているようだ。
何にイラついているのだろう。僕らに攻撃がなかなか当たらないことか? 未だに倒せないことか? それとも他に何か要因が……。
考えている最中、またミノタウロスが僕らを交互に見た。苛立ちを隠さない鋭い眼。僕たちが二手に分かれるたびに見せたのと同じだった。
僕らがそれぞれ別の場所にいることを嫌っているのか。そういえば挟み撃ちで攻撃した時、ミノタウロスの反応は鈍かった。こういう状況に慣れていないのかもしれない。
また頭に何かが引っ掛かる。いくつかの部品が結びつきそうな感覚。肝心なことを忘れている様な違和感。そして、どこかで見覚えのある既視感。
何かあと一押しあれば気づきそうだった。だけど、それが何か分からない。
視界でミノタウロスが動くのを捉えた。ミストに向かって斧を振り回している。助けに行こうとしたが、ミストは冷静だった。ひとつひとつの攻撃を見極め、体勢を崩さないように短く跳び、小さな動きだけで躱していた。危なげなく回避する姿を見て胸をなで下ろす。さすがミストだ。
『ブモォ! ブモォ! ブモォオオオ!』
攻撃が当たらないことにイラついたようで、ミノタウロスは荒げた声を上げながら斧を振り回す。その姿はとても荒々しく、大雑把な動きだ。まるで鬱憤を晴らすような攻撃だった。
だがその姿が、最後の一ピースとなった。
「あ――」
かちりと、頭の中で音が鳴った。ピースがきれいに組み合わさる。難問の答えが分かったときの快感が全身を巡った。
続けて戦い方も決まった。こういう個体が相手ならばこれが一番の策だと、断言できるほどの案が脳内に浮かぶ。
突破口が見えた。身体が熱くなり、興奮が収まらない。
「ミスト!」
すぐに伝えようとミストを呼ぶ。ミストは僕の声に気付くと、なぜか嬉しそうな顔をしてミノタウロスから離れ、僕の下に駆け寄ってきた。
「なになに? 良い案でも見つかった?」
「うん。これならいける。絶対勝てる」
「やっぱり。そんな風な声だった」
僕はすぐに作戦を伝える。出来るだけ簡単に、かつ分かりやすく説明したつもりだった。しかし、ミストの表情は浮かなかった。
「その作戦大丈夫? 私は出来るけど、ヴィックは大丈夫なの?」
彼女は僕を心配して言っていた。確かに今伝えた方法は、僕が危険になるものだった。このやり方は、今までの僕の戦い方とは異なったものだ。
だが、自信はあった。
「大丈夫。攻撃の大部分はミストに任せるから、危険は少なくなるよ。それに」
僕は笑みを作って言った。
「さっき、これ以上にないほどのお手本を見たから」
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