第32話 VS 中級モンスター


 森の中は思っていたよりも木々が少なく、木々の間隔が広かった。木にぶつかる心配が少ないため、それほどスピードを落とすことなく、ミストは馬を走らせ続けた。

 耳を澄ませて、下手人の位置を探る。馬の蹄の音とは別に、人の足音が聞こえる。ミストはその足音を頼りに、下手人を追いかけた。


 徐々に足音が大きくなると、ついにその背中を捉える。もう音に頼る必要は無い。目に見える下手人に向かって馬を走らせる。

 そして下手人の前に出て、進行方向を遮って足を止めさせた。


「どこに行くの?」


 ミストが下手人の顔を見る。その男は、昨日フィネを糾弾した金髪の青年ノイズだった。

 ノイズは黙ってミストを睨み返す。ミストはそれを悠然と受け止めた。


「逃げないで。大人しく捕まって、あのモンスターを大人しくさせて」


 ミストの要求に、ノイズは答えない。このままだんまりを通すつもりか。


「何も言わないのなら容赦しない。無理矢理にでも捕まえるから」


 この言葉で観念したのか、ノイズは「はぁ」と溜め息を吐いた。


「めんどくせぇことになったなぁ。モンスターを放って、それで終わりだった話だったのによぉ」

「……他に協力者がいるの?」

「フェイルだよ。うちの大将と協力して、モンスターを襲わせたんだよ」


 フェイル。昨日マイルスダンジョンで見た男だ。あのときはヴィックを人質にされたせいで、何もできずに拠点に戻るしかなかった。

 だが、今回は逃がさない。


「そう……じゃああなたを捕まえるから。モンスターを大人しくさせて」


 フェイルの仲間と知って、ますます逃がすわけにはいかなかった。ここで捕まえて、全ての問題を解決させる。目の前のノイズは、そのきっかけになる男だと思った。抵抗されることを考え、ミストは剣に手をかける。


 すると、ノイズは呆れた顔を見せた。


「俺がホイホイと付いて行くと思ったか?」


 予想していた言葉だった。捕まえられると分かって、素直になる人は少ないだろう。

 ミストの手に、自然と力が入る。ノイズは腰に剣を提げているが、手にかける様子が無い。すぐに武器を取ると思っていたのだが、なぜか今は余裕があるようにも見える。ここから打開できる策でもあるのだろうか?


 そんな風にミストがノイズの様子を窺っていると、背後から大きな足音が聞こえた。その足音は、段々と大きくなっている。

 振り返ると、大きなモンスターがこっちに歩いて来る姿が見えた。


「ただ闇雲に逃げてたわけじゃねぇんだよ。ちゃあんと保険は用意してんだ」


 迷いなく、モンスターはこっちに向かって来る。そのモンスターは、馬に乗っているミストよりも大きかった。


「てめぇみたいな下級冒険者が、そいつを倒せるか?」


 3メートルの巨体、二本角、牛の顔。それは中級モンスター、ミノタウロスだった。


 ミノタウロスはミストの前に来ると、右手に持っている古びた斧を振り下ろす。馬に乗って避けようとしたが、このタイミングでは間に合わない。ミストは馬から飛び降りて避けた。馬が悲鳴を上げて地面に倒れ込む。倒れ込んだ地面には血だまりが出来ていた。


 ミノタウロスは中級モンスターだ。ツリックダンジョンのグラプよりかは弱いだろうが、強敵であることに変わりはない。冷静にならなければ、勝つどころか逃げる隙さえ作ることができない。


 ノイズはいつの間にか、この場から去っている。追いかけたいのはやまやまだが、このミノタウロスを何とかしない限り追いかけるのは無理だ。今追いかけても、ミノタウロスに追っかけられて攻撃されるのがオチだ。つまり何とかしてミノタウロスを撒く必要がある。

 しかし、その手段が思いつかなかった。


 ミノタウロスは中級モンスターのなかでも、危険な部類に入るモンスターだ。体格に見合った強力なパワーと、体格に似つかわしくない俊敏さがある。また獰猛な性格なため、目に入った人間を必ず仕留めようとしてくるのが厄介だ。ミノタウロスに見つかったときの選択肢は、戦って倒すか、戦って死ぬかの二択だけとも言われている。しかも熟練のミノタウロスのなかには、上級冒険者も倒す個体がいるという話だ。

 目の前にいるミノタウロスがどれほどの強さを持っているのか分からない。だが、どちらにせよ戦うことしか選択肢は無い。


 問題は、どうやって勝つかだ。

 ミノタウロスは右手で斧を振るい続ける。隙だらけの大振りではなく、当てることに重点を置いた小さい振りだ。しかしその巨体から繰り出す攻撃は、たとえミノタウロスからしたら牽制のような軽い攻撃でも、こっちにとっては致命傷になるものだ。一撃一撃に油断が出来ない。

 そのうえ、ミストが攻撃するのにも一苦労だ。敏捷さはミストが上回っているが、速さにそこまでの差が無い。だから攻撃を潜り抜けて反撃しても、すぐに下がられてしまい致命傷を与えられない。かすり傷が精一杯だ。


 不幸中の幸いとして、広い場所で戦えていることがあった。狭いダンジョンとは違って存分に動けられる。ダンジョンだと壁が気になって大きな動きは出来ないが、これだけ広いとミノタウロスの攻撃を避けやすい。ただ、ミノタウロスもその恩恵を受けているので、攻撃を当てにくいのが難点である。

 時間をかければ隙を見つけて、その隙を突ければ、勝つなり逃げるなりできるだろう。だが本来の目的は金髪の男を捕まえることだ。時間をかけてしまえば森から出てしまい、行方を見失ってしまう。


 じりじりと身が削れる感覚がした。時間が経てば経つほど、敵の思い道理になっている気がして腹が立つ。向こうの方が追い詰められていたはずなのに、なぜ今は逆の立場になっているのか。


 苛立ちで、一瞬だけ気が逸れる。その隙をミノタウロスは逃さなかった。ミノタウロスが斧で突いて来る。素早い攻撃に回避が間に合わない。

 咄嗟に剣を盾代わりに使う。だが衝撃で身体が押し出される。それに耐えきれずに後ろに吹き飛ばされた。


 地面に転がりながら勢いを殺す。反射的にとはいえ、上手く受け身を取れたことに、自分で自分を褒めたくなる。

 腕の痺れさえなければ。


「最悪っ――」


 自分の間抜けさが嫌になった。油断してはいけないと自分に言い聞かせていたというのに、この様とは……。


 吹き飛ばされて仰向けで倒れているミストに、ミノタウロスが斧を振り下ろす。腕を使って立ちたかったが、腕に力が入らない。身体を捻らせて、転がりながら攻撃を避けた。

 回避後、すぐに身体を起こして立ち上がろうとするが、即座にミノタウロスが再度追撃する。跳ぶように避けて、また地面に転がった。

 腕の痺れが取れない今、身体をすぐに起こすことができない。1秒だけでも時間を作れれば、腕を使わなくても身体を揺らした反動で起き上がれるが、目の前のミノタウロスはその数秒の隙すら見せてくれない。


 だがこれはチャンスにもなる。

 何度も攻撃をしているにもかかわらず、ミストに攻撃を当てれないミノタウロスは、徐々に攻撃の精度が荒れてきて隙が増えていた。狙いが甘く、振りが大きくなっているのが避けながらでも分かる。苛立ちが募っているのだ。そういうところは冒険者だけではなくモンスターも同じだ。

 痺れが取れた時にもこの状態が続いていれば、隙を狙って反撃ができる絶好の機会になる。


 思いがけないチャンスに頬が緩む。だがさっきの失敗を思い出して、すぐに気を引き締めた。まずは腕の状態が元に戻るまで、ミノタウロスの攻撃を避け続けるのが優先だ。望みを持ち続ければ、好機は訪れるはずだ。

 5秒、10秒、20秒――ミノタウロスの攻撃を必死に避け続ける。最初は鋭くて避けづらかった攻撃も、今では目が慣れた上に、動作が大きくなって読みやすくなっている。

 苛立ちのせいか、ミノタウロスの鼻息が荒く大きくなっている。そしてとうとう、ミノタウロスが隙だらけの大振りな攻撃をする。


 そのとき――


「よしっ」


 腕の痺れが取れた。腕で地面を強く押し、身体を起こしながら攻撃を避ける。すぐさま剣を握りなおして、隙だらけのミノタウロスに接近した。

 ミノタウロスの右足に、何度も切り傷をつける。全斬撃に手応えがあった。頭上からミノタウロスの呻き声が聞こえる。

 直後にミノタウロスが左手で掴みかかってくるが、寸前に足元を前転しながら抜けて手を躱す。すぐに立ち上がって、がら空きの背中に斬撃を浴びせた。ミノタウロスの呻き声が一層大きくなる。


 戦闘の流れは、今ミストが掴んでいた。ミノタウロスの動きがよく見えているうえ、攻撃も通じ始めた。このまま油断さえしなければ、ミノタウロスを倒せる。そんな手応えがあった。

 だが、


『ヴォオオオオオオオオオオオオオオ!』


 ミノタウロスの雄叫びが一帯に響いた。その声量は周囲の木々を揺らすほどだ。鼓膜を破りそうなほどの大声に、たまらず手で耳を塞いでしまう。それを狙ったのか、ミノタウロスが左手で掴みかかってきた。咄嗟の連撃に驚いたが、なんとか後ろに跳んで避ける。しかし一度目は躱したものの、続けて掴みかかってくる左手を避けきれなかった。


 ミノタウロスの掌が、ミストの身体を包む。恐怖を抱き、必死にもがいた。だが腕も一緒に掌の中に捕えられているため、碌な反撃ができない。


「は、放してっ! 放しなさい!」


 思わず、通じないはずの言葉を使って命令した。当然通じるはずもなく、放す気配がない。

 必死に力を入れて抜け出ようとするが、ミノタウロスの手はビクともしない。ミノタウロスとの力の差を感じてしまった。


 ミノタウロスが左手を持ち上げる。このまま地面に投げ落とす気だ。そんなことをされたら、何もできずに死んでしまう。だが、逃げ出す手段が思いつかない。


「誰か……助けてっ――」


 一緒に護衛していた冒険者達は、まだ馬車の近くにいる。あのモンスターの集団を相手取っているのだ。援軍に来られる状況ではない。

 頭では理解していた。しかし分かってはいても、誰かに助けを求めずにはいられなかった。


 だから、


「その手を――」


 ヴィックの声を聞いたときは、とても嬉しかった。


「放せぇ!!」

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