第26話 命に代えても

 

 「マイルスダンジョンの七階層目を踏破すれば、冒険者として一人前」。マイルスの冒険者達の間では、常識的な言葉である。

 マイルスダンジョンは、各階層に生息するモンスターの傾向が偏っている。四階層より上の階層は弱くて臆病なモンスターが多いが、五階層からは獰猛なモンスターが増え始め、八階層以降には中級モンスターに近い強さを持つモンスターが生息する。

 

 そのなかで七階層を縄張りとするワーラットは、マイルスダンジョンで最も厄介なモンスターであると言われていた。

 能力だけを見れば、ワーラットよりも優れたモンスターは他にもいる。事実、マイルスダンジョンで最強と呼ばれるモンスターはグロベアだ。グロベアのパワーと耐久力は、他のモンスターを凌駕する。そしてグロベア以外にもワーラットよりも強いモンスターは居て、それらは八階層以下に生息する。

 にもかかわらず、ワーラットが厄介だと言われるのは、その知能にあった。

 

 ワーラットのような二足歩行のモンスターは人型モンスターと呼ばれ、彼らは総じて知能が高い。彼らは道具を作り、武器を使い、戦術を立てて戦うことができる。

 四足の獣型モンスターは、己の持つ力を本能のままに振るうがため、素直な挙動が多い。それ故に行動が予測しやすく、複雑な攻撃を仕掛けてこないという特徴がある。

 

 だが人型モンスターは違う。知能が高いために、他のモンスターと同じような戦い方をしない。優れた知力を活かした様々な手段と、人の動きを読んで対応する戦法は、モンスターよりも人に近い。しかもモンスターであるがゆえに、人より強い膂力を持っている。

 つまり人型を相手取るということは、自分よりも大きて強い人間と戦うことと同義であった。

 

 マイルスダンジョンのモンスターは、ほとんどが獣型だ。獣型に慣れているがゆえに、人型のワーラットに苦戦する者は多い。マイルスダンジョンの死因の一位はグロベアだが、二位がワーラットなのはそれが理由だった。

 それほどまでの強敵が迫って来て、僕達を殺そうとしていた。

 

 背中に汗が伝い、恐怖で足が震える。以前に負けたときの記憶が脳裏をよぎる。あれ以降、ワーラットと戦うのなら力をつけてからと考えていた。

 だが、現実はそう都合よくいかない。世界が僕に厳しいということを、僕はまだ理解できていなかった。

 目先にはワーラット。背後には非戦闘員のフィネさん。逃げ場のない一本道。ワーラットを倒せなければ、二人とも死んでしまうという絶望的な展開だった。

 

 あまりの厳しさに嫌気が差す。僕はともかく、フィネさんをこんな目に遭わせるなんて、神様は一体何を考えているんだ。彼女みたいな優しい子を危険に晒すなんて、神様を殴れるなら今すぐ殴り飛ばしたい。

 と、心中で鬱憤を晴らしたところで、僕はワーラットを視認する。

 いつまでも悲観していられない。ここで倒さなければ、僕だけじゃなくフィネさんも道連れにしてしまう。

 

 フィネさんの死。それは一番避けたいことだ。彼女が死ねば、彼女の家族と友人達、冒険団の人達が悲しむだろう。

 そして何より、僕が一番後悔する。

 

 今まで僕を応援してくれたフィネさん。彼女のあの太陽のような明るい笑顔が見れなくなる。

 そんなことは絶対に許せない。

 必ず守り通してやる。

 

 今までにないほど、身体に力が入った。震えが止まり、汗も気にならなくなる。いつでも戦える状態に入っていた。

 視線の先にいるワーラットは、僕達の方に迷うことなく近づいて来る。僕はフィネさんから離れ、ワーラットの方に向かって進む。

 互いに距離を詰め、相手までの距離が2メートル程になる。

 

 先手を打ったのはワーラットだった。ワーラットが一歩踏み出し、棍棒を振り下ろす。フェイントのない分かりやすい攻撃だ。僕はそれを冷静に避ける。

 攻撃してきた隙を狙い、僕は一歩踏み出した。ワーラットの胴体に向けて剣を振る。ワーラットが身体を引いて、胴には浅い傷が残る。

 追撃しようと身体を前に傾けるが、すでにワーラットは棍棒を持ち上げ、迎撃態勢になっている。いつもの僕なら、この状態になれば距離を取る。間近で敵の攻撃を避けるほど、僕の反射神経は優れていない。だが今回は退けない。後ろに下がれば、その分だけフィネさんが戦闘に巻き込まれる可能性が高くなるからだ。

 

 僕は足を止めて、ワーラットの攻撃範囲内にとどまる。後ろに退いて避けられない現状では、少しのミスが命に関わる。盾で受けることが出来ない今、攻撃の回避後に反撃することしか手段は無い。

 そのために、ワーラットの一挙手一投足に注目した。反射で動けないなら、動きをいち早く察して避ける。複雑な攻撃をしてくるのなら、それを読むために身体の動きを観察する。

 これが勝利に繋がるか分からない。だけど出来ることは何でもやる。それだけが生き残るための切り札だった。

 

 ワーラットが振り下ろす棍棒を見て、右に避ける。振り下ろした隙を狙って腕に剣を振るう。若干だが腕に傷を付けた。続けてワーラットは何度も攻撃を仕掛けてくる。二回、三回、四回と棍棒を振り続ける。一発でも当たればただでは済まない攻撃だ。

 右、下、左に避ける。避けた後は反撃せずにじっと見る。ワーラットがまた攻撃をして、僕はそれを避ける。

 反撃を考えていたら、こうも上手くいかない。しかし今は、ワーラットの動きを観察して隙を探すことを目的にしている。回避に専念すれば、油断さえしなければ当たることは無い。後ろに下がれないという制限はあるが、ワーラットの動きは何故か単調で、それ故に攻撃を予想して回避できていた。

 最初は無理難題だと思ったが、ワーラットの攻撃は五階層のモンスターのそれに比べれば少し遅い。それに、受け流しの練習のお蔭で度胸がついたのか、思っていた以上のプレッシャーは感じない。少しずつ攻撃にも慣れてきて、懐に入るタイミングも掴めるようになった。

 心配事といえば、体力がいつまでもつかだ。

 

 さっきまでずっと七階層を移動し続けていた。最初にダンジョンに入ったときの疲労も抜けていないため、長引けば長引くほど疲労が溜まり不利になる。

 前に出て剣を振るう。ワーラットが下がって距離が空いた隙に、視線を背後に向ける。フィネさんは壁際にいて、不安げな顔を浮かべていた。

 一瞬、逃げることを考えた。ワーラットを倒すことは難しいが、動きを把握すれば大きな隙くらいは作れる自信があった。その隙にフィネさんを逃がすことが出来れば僕も逃げられる。

 だけどフィネさんの様子を見て、それを諦めた。彼女はまだ怖がっていて、すぐに動ける状態じゃない。あれだと僕が指示を出しても碌に動けないだろう。

 

 僕は再びワーラットに視線を向ける。他の打開策を考えようとして観察を再開すると、違和感を覚えた。

 何か変わっている。そんな風に見えた。

 それが何かを観察するが、違和感の原因を見つける前にワーラットが攻撃を仕掛けてくる。右手の棍棒を振り下ろしてきて、僕は冷静にそれを避ける。

 

 その瞬間、答えを見つけた。

 右手の棍棒を避けられたワーラットは、即座に左手を振り下ろす。

 左手には、もう1つの棍棒が握られていた。

 

「なっ――!」

 

 上手く声が出なかった。いつの間にか、ワーラットは棍棒を両手に持っている。どこかに隠し持っていたのか。

 予想外の連続攻撃に、僕は慌てて横っ飛びで右に避ける。何とか回避に成功したが、勢い余って壁に身体をぶつけていた。避ける範囲がさらに狭まってしまう。

 起きて体勢を立て直そうとするが、ワーラットの攻撃の方が速かった。壁に叩きつけるように、右手の棍棒を横に振るって攻撃してくる。しゃがんで避けたが、すぐに次の攻撃が来る。脳天をかちわるように、ワーラットは左手の棍棒を垂直に振り下ろした。

 

 右には壁があって避けられない。左に避けようとしても、ワーラットが振り下ろした右手の棍棒が邪魔になって動けない。盾で受けることを考えたが、しゃがんでいる体勢で上からの攻撃を受けても、勢いを殺し切れない。即死しないまでも、腕が折れるのは必至だ。

 選択肢は、1つしかなかった。

 

 棍棒が当たる直前、僕は後ろに跳び、勢い余って後転した。ワーラットは今ので仕留めるつもりだったのか、次の攻撃をして来ない。追撃が無いことにほっとしたが、それも束の間だった。

 立ち上がろうとすると、足がなにかに当たる。後ろを見るとフィネさんが居て、足が彼女に当たっているようだった。いつの間にか、僕は奥の壁にまで追い込まれていた。

 

「に、逃げてください!」

 

 僕だけでも助かってほしいのだろう。フィネさんは悲痛な声を出していた。

 本当は自分も逃げたいはずなのに、この状況でも僕の心配をしている。そのことに、僕は情けなくなった。

 

 フィネさんの震える身体を見ていると、あのときの事を思い出す。

 上級ダンジョンでグラプに追い込まれたとき、僕は助けを求めた。居るか分からない冒険者に、必死な思いで叫んだ。ひとえに僕とミストが助かるために。

 だが後ろにいるフィネさんは違う。自分の事ではなく、僕が助かることを願っている。自分の命を二の次にしている。

 不覚にも笑ってしまった。どんだけお人好しなのだ。

 

 僕は立ち上がってワーラットに向き直る。ワーラットは前進してきて、僕の目の前で止まる。心なしか、その顔が笑っているように思えた。追い詰めたと思っているのだろう。たしかに、そう見える状況だ。

 背後にはフィネさんがいる。僕が攻撃を避ければ棍棒はフィネさんに当たる。盾で受ければ、一撃目は耐えられるものの、二撃目で僕は死ぬ。

 

 避けるか、受けるか。2つの選択肢がある。

 だけど僕は、最初からどっちを選ぶのか決めていた。

 

 底辺冒険者の僕を命の危機から救ってくれた人達の背中が、脳裏から離れない。一人は自分の命を顧みずに、一人はそれがさも当然の様に僕を助けてくれた。そのとき僕は、言葉に出来ないほどの安心と幸福を感じた。

 きっとフィネさんも、助かることを望んでいる。しかし僕の不甲斐なさを見て、再び絶望している。

 それは僕の責任だ。

 

「大丈夫。必ず、助けるから」

 

 フィネさんにだけではなく、自分に言い聞かせるように、僕は言った。

 あのときの英雄が僕を助けてくれたように、僕もフィネさんを助けたい。


 この命に代えても。

 

 ワーラットが右手の棍棒を持ち上げる。僕は盾を構えて、攻撃に備えた。避ける気は全く無い。たとえ盾が壊れようと、腕が折れようとしても耐えてやる。

 

 振り下ろされた棍棒を、軌道を見て受け止める。予想以上の衝撃に顔を歪める。攻撃後の隙に反撃を試みたが、その隙は小さく、ワーラットはすでに左手を振り上げていた。

 盾を構えると、直後に棍棒が振り下ろされる。直感で分かった。受ければ折れる、と。

 

 死を前に、走馬灯が見えた。

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