第20話 リスタート


 街行く人々の賑やかな音で目が覚めた。足音や話し声、荷物を動かす音が耳に入ってくる。大通りからあまり離れていない路地裏で野宿をしているので、騒がしいのは仕方がない。

 

 ララックさんから貰った毛布から出て、野宿の片づけを始める。毛布や服に付いたゴミを払い、荷物の中身を確認する。以前、眠りから覚めたときに浮浪者が荷物を盗ろうとしていたので、それ以来荷物を確認するようになった。無くなった物は無さそうだ。

 

 僕は荷物をまとめて大通りに出た。何人かが汚いものを見るような目で僕を見たが、無視してギルドに足を運ぶ。大丈夫だ。この程度ではへこたれない。

 冒険者ギルドに入ると、すぐにいらない荷物を受付に預ける。いつもなら掲示板で依頼を探すが、今日はそのまま外に出た。依頼を受けずにやりたいことがあったからだ。

 

 僕は迷わず目的地に向かう。人が多い通りで、道行く人々にぶつからない様に気をつけながら歩く。目的地であるロマロス武具店に到着すると、財布の中身を一度確認してから入った。

 店の中は相変わらずだった。防具や武器が整然と並べられている。武器屋の店長は、入ってきた僕を見て一瞬嫌な顔をする。

 

「おいおい、きたねぇ格好だな。冷やかしなら帰ってくれ」

 

 邪険に扱おうとする店長だが、僕は無視して目的の品に近づく。大した装飾の無い、いたって普通の盾と剣だ。それらの値段を確認して、僕は店長に言う。

 

「これください。お金はあります」

 

 掲示された値段と同額のお金を取り出すと、店長は一瞬で表情を変えた。

 

「なんでぇ兄ちゃん。買うならそう言ってくれよ」

 

 愉快に笑いながらそう言った。最初に剣を買ったときと同じ調子である。以前と同じ変貌ぶりに僕は安心していた。



 

 装備を購入した僕はマイルスダンジョンの五階層に足を踏み入れた。五階層に来るのは久しぶりだった。ミストと一緒に依頼を受けて以来、この階層には来ていない。五階層からは強いモンスターが現れ始める。そのうえ以前のグロベア出現の事態を思い出してしまい、なかなか訪れることができていなかった。

 

 だけど今日で、その弱気とはさよならだ。


 武器屋で買った新しい剣と盾。右手の剣は以前のよりも少し軽く、左腕に付けた盾は小さい円形で鉄製の品だ。

 今までよりも上等な武器で、身に付けたことで少しだけ気が楽になる。そのお蔭で五階層に降りることができた。

 もちろん、踏み入れるだけで終わるつもりは無い。踏破するのが目標だった。


 冒険者の格は、倒したモンスターと踏破したダンジョンで格付けされる。マイルスの下級冒険者の場合、マイルスダンジョンのどの階層までを踏破したかで評価が決まる。七階層までを踏破すれば、下級冒険者としては一人前のレベルだと言われていた。

 

「……よし」

 

 僕は覚悟を決めて、五階層を進み始めた。

 五階層と言っても、基本的には四階層までと同じ構造だ。やることは変わりない。松明が備えられた道を進めば、それだけで次の階層に辿り着けるのだ。

 しかし、心配事が無いわけではない。以前五階層に来たときは、同階層のモンスターと一度も遭遇せず出ることになった。そのせいで、モンスターの強さが分からないという不安があった。

 

 事前に生息するモンスターは調べてきたが、実際の強さまでは敵対するまで分からない。予想より強かった場合を考えて新しい剣と盾を買ったが、どこまで通用するだろうか。

 剣と盾の使い方は、ここに来るまでのモンスターで練習している。少なくとも、最低限の使い方は覚えたつもりだ。相手が五階層のモンスターでも、同じように対応すればいいはずだが……。

 

 不安を抱きながら歩き続けると、前方から物音が聞こえ始めた。

 反射的に武器を構えると、前方から一体のモンスターが現れる。そのモンスターの姿を見て「運が悪い」と心の中で嘆いた。

 肌が黒くて、僕よりも少し高い身長で、僕の二倍ほど横幅がある、ネズミ顔の人型モンスター、ワーラットだ。

 調べた情報によると、普段は七階層を縄張りとしているモンスターのはずだった。人と同じように、武器を使って戦う知能のあるモンスターだ。

 

 予想外の敵と遭遇で、背筋に汗が流れる。

 大丈夫だ。こっちには盾がある。ワーラットの攻撃を受け、攻撃した隙を狙って反撃すれば勝てる。

 

 息を整えてワーラットの様子を窺う。ワーラットは『ヂュルルルル』と声を出しながら、右手で持つ棍棒をクルクルと回している。戦う気満々のようだ。

 

 ワーラットが大股で近づいて来て、間合いに入ると棍棒を振るった。それほど早くない攻撃で、軌道も良く見えた。僕は軌道に合わせて盾を動かし、攻撃を受ける。その威力は想像以上だった。

 

「いっ――!」

 

 攻撃の重さに我慢できず、苦痛の声を漏らす。すぐさま反撃をするつもりが後ずさりをしてしまい、ワーラットとの距離が離れてしまった。

 しかし、その距離はすぐに詰められてしまう。ワーラットが二撃目を振るおうと近寄ってきた。何とか体勢を立て直して盾を構える。一撃目は予想外の重さに戸惑っただけだ。次はちゃんと返せるはず。

 二撃目をまた盾で受ける。今度は後退しなかったものの、衝撃で左腕が痺れて動けない。ここからすぐに反撃? 無理だ。耐えるだけで精一杯だ。

 

 四階層までのモンスターの攻撃を受けたときは、これほどの威力は無かった。ワーラットが本来は七階層のモンスターとはいえ、これほどの差があるのか?

 武器を新調してもすぐに強くなれるはずがない。僕自身はまだ未熟なのだ。こんな当たり前のことを忘れていたとは……。

 

 目論見の甘さに後悔する。僕が二ヶ月かけて準備しても、ワーラットを倒せない。受け入れたくない現実を目の当たりにし、歯軋りをしてしまう。

 

『ヂュア! ヂュア!』

 

 ワーラットが何度も棍棒を振るう。盾で受けるが反撃できず、ただ左腕にダメージが蓄積するだけ。このままだと腕が折れてしまう。それどころか殺されてしまうかもしれない。

 

「――くそっ!」

 

 嫌気が差して悪態をついてしまう。選びたくない選択肢が頭に浮かび上がり、助かるにはそれ以外無いことにイラついた。

 

 ワーラットが棍棒を振り上げた瞬間、僕は前に出る。振り下ろし切る直前に盾をぶつけ、棍棒を強く弾いた。左腕に今までで一番の衝撃が伝わったが、歯を食いしばって痛みに耐える。

 そのまま前進をしてワーラットの懐に入る。同時に腹に目掛けて剣を突き刺そうとするが、刺さる直前にワーラットが後ろに跳び退いた。喰らってくれれば最高だったのだが、そこまで甘くは無かった。だが、これで十分だった。

 

 僕は来た道を振り返り、猛ダッシュでワーラットから距離を取る。ワーラットの足はそれほど速くない。全力で走れば逃げ切れるはずだ。

 

 30秒程走ってから振り向くと、ワーラットの姿は見えず、足音も聞こえなかった。

 逃げ切れたことに安堵し、深く息を吐く。しかし、無性に自分が情けなくなった。

 

「ダメだった、か……」

 

 二ヶ月間、七階層の踏破を目標に努力してきた。そのために色んな依頼をこなしてお金を貯め、鍛錬を積み、装備を一新して五階層に挑んだ。実績と自信を得るために強さを求めて挑戦した。


 だが、結果はこれだ。

 地面に叩きつけようと剣を振り上げ、寸前でそれを止める。物にあたっても意味がない。全部、僕の実力不足が招いた結果だ。

 

 深呼吸をして心を落ち着かせる。そうして再認識した。

 僕はまだ、ミストの力になれないことに。

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