第14話 マイルスの英雄

 

 転がる岩が硬いものにぶつかって割れるような音だった。どんな硬いものも砕くような破壊音。つい、殴られた音だと思った。

 しかし痛みは一向に訪れず、僕の身体は五体無事で地面に立っている。

 恐る恐る眼を開けると、その光景に目を丸くした。

 

 一人の青年が、僕とグラプの間に立っていた。

 

 僕よりも一回り大きい体格。腰にはメイス、右手に剣、左手には盾を持ち、その盾で拳を止めている。

 

 助かった――

 予想外の救援に安心し、その場で座り込んでしまった。

 

「おい」

 

 グラプが防がれた拳を引っ込めると同時に、青年は後ろを振り向かず僕に声を掛けた。慌てて「はい」と返事をする。

 

「そこでじっとしてろ」

「え、でも……」

 

 意外な言葉に戸惑った。目の前にいる青年はグラプの攻撃を止めてくれた。しかし、何度もあの巨体の攻撃をくらったら無事に済むとは思えない。

 グラプの攻撃を受けきるほどの実力があるのなら、一緒に逃げることもできるはずだ。だというのに、青年はそれを提案しない。

 

 すると青年は、後ろ姿からでも分かるほどの大きな溜め息をついた。

 

「いいからそこで待ってろ。うろちょろされるほうが面倒なんだ。それに安心しろ」

 

 青年は僕の方を向く。青い短髪。黒い瞳。小さな傷が残る顔。その顔つきから、歴戦の勇であることが見て取れた。

 

「お前らの命は、俺が守ってやる」

 

 青年がそう言うと同時に、グラプは再び右手で殴りかかった。青年は盾を構える。また受け止めるのかと思いきや、ぶつかるや否や、拳は盾の上をすべるように右に逸れて地面に突き刺さった。瞬時に青年はグラプの太い腕に剣を振り下ろす。すると何の抵抗も無かったかのように腕が切り落とされた。

 腕の断面から血が溢れ出る。グラプの悲鳴が響くがはやいか、青年は駆ける。盾と剣を収め、メイスを両手で握る。グラプの足元に着くと、メイスを大きく振りかぶって右足の側面を殴った。

 

「ふんっ!」

 

 五メートルの巨体が宙に浮いた。右足が殴り飛ばされ、左足も勢いに巻き込まれて地面から足が離れる。

 信じられない光景を目にし、僕は大きく目を見開いていた。あの体格差で、どうしてこんなことができるんだ?

 

 グラプが仰向けに倒れると、いつの間にか青年はグラプの頭の前に移動していた。そこでメイスを振り上げると、躊躇うことなく振り下ろす。ぐしゃりと嫌な音が聞こえ、同時にグラプの頭から血が噴き出た。

 青年はグラプから離れると、メイスを振って付着した血を落とす。その顔には難敵を倒したときの達成感は無く、そこら辺の雑魚を狩ったような冷めた表情が浮かんでいた。

 

「こちらにいましたか」

 

 不意に後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。そこにはギルドの制服ではなく、武装したリンさんの姿があった。腰の左側には刀を提げている。

 

「ったく、遅ぇぞリン。どこで道草食ってた」

「途中で下手人の一人を見つけましたので、彼の確保をしてました」

「フェイルか?」

「いえ。下っ端です」

 

 青年が「ちっ」と舌打ちをする。

 

「フェイルは逃がしたか……」

「はい。彼から情報を聞くしかありません」

 

 二人の顔から失意の感情が読み取れる。どうやらフェイルさんがここに居たことを知っていて、彼を捕まえるように動いていたようだ。

 

「何か知ってたら良いんだけどよ……。そういや確認してぇんだが」

 

 青年が僕を指差す。

 

「こいつがフェイルに騙されたヴィック、でいいんだよな?」

「その通りです。それがどうしましたか?」

「この女は何だ」

 

 次に僕が背負っているミストを指す。

 

「さっきお前、フェイルに誘われたのはこいつだけって言ってなかったか?」

「えぇ。その通りです」

「じゃあなんでそれ以外の冒険者がいるんだ? しかも下級っぽい装備じゃねぇか」

 

 心臓が縮みそうになった。

 

「ここは上級ダンジョンだ。下級冒険者が入ることは禁止されてるってことを言ってないのか?」

 

 緊迫した空気が張り詰める。青年の声には怒気が孕んでいた。

 

「冒険者になった者全員に説明済みです」

 

 リンさんは淡々と答える。それを聞いて青年は、納得したような表情を見せた。

 

「お前が言うなら、ま、そうなんだろ。つーことは、こいつは無断で入ったってことか。ったく、最近の新人はダンジョンを舐めてんじゃねぇのか」

「違います」

 

 ミストが責められている。それを察した僕は、後の事を考えずに口を挟んでいた。

 青年が鋭い目つきで僕を睨む。怖気づいてしまったが、なんとか堪えて言葉を続ける。

 

「ミストは……彼女は優秀な冒険者です。かっこよくて頼りがいがあって優しい人なんです。ここに来たのも僕を心配して来たからなんです。彼女が来てくれなかったら、今頃僕は死んでました……」

 

 言い終わった後、青年が大股で僕に近寄って来る。先程よりも顔を険しくしていた。

 青年は僕の前に来ると、右手を振りかぶって僕の顔を殴った。あまりの強烈な拳に、地面に倒れてしまった。顔が痛く、脳がグラグラと揺れている気がする。

 

「てめぇ……なに仲間を危険な目に遭わせてんだ!」

 

 青年の怒鳴り声が響く。脳が揺れていても、その言葉がよく聞こえていた。

 彼の言葉は、僕の胸に深く突き刺さる。傷の痛みに耐えるのに必死で、僕は何の言葉も口にできなかった。

 

 青年は踵を返して僕に背を向けた。

 

「ちっ、胸糞わりぃ。リン、俺は先に行く。馬車はお前が使え」

「帰りはどうするんですか?」

「歩いて帰る。そんなヘタレと一緒に居られるか」

 

 リンさんはそれ以上止めることなく、歩いて行く彼の背中を見ていた。「まったく」と少し苛立ったようにリンさんは呟く。珍しく、感情を露わにして。

 

「それでは……」

 

 リンさんが僕の方に視線を向ける。

 

「まず治療をします。それが終わりましたら私と共について来てもらいます。拒否権はありません」

 

 僕は黙って頷く。現状、リンさんの指示に逆らう理由は無い。むしろ、どんな命令でも受け入れるつもりだった。

 騙されたとはいえ、僕は冒険者のルールを破り、そのうえミストを巻き込んでしまったのだ。お咎めなしで終わるとは思えない。何らかの処罰を受けることになるだろう。

 

 だけど、それで良かった。

 ミストを傷つけてしまった罪を、罰を受けることで償いたかったから。

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