第13話 信頼できる人


 耳を疑った。ジラさんの言葉を信じられず、聞き間違いだと思い込んだ。

 だけどジラさんは、念押しするように言葉を付け加える。


「フェイルさんは囮としてお前を連れて来たんだ。グラプから安全に逃げるためにな」

「……冗談ですよね?」


 嘘だと思って聞き返す。僕を励まして後押ししてくれたフェイルさんが、そんなことをするわけがない。

 だがジラさんは、また「はっ」と嘲笑う。


「どんだけ信じてんだよ。馬鹿じゃねぇの。俺の言葉が嘘だっていうなら、あの人が下級のお前をここに連れて来た理由をどう説明するんだ」

「それは……」


 何も答えられない。それは僕自身が疑問に思っていたことだったからだ。

 だがジラさんの言葉通りなら説明がつく。生かして返すつもりが無いから、ここが上級ダンジョンだということを教えなかったのだ。

 死人に口なし。連れ入れられた冒険者がいなければ、誰もフェイルさんを罰せられない。


「あの人は詐欺師だよ。さ・ぎ・し。口が上手いから騙されるバカが多いんだよ。特にお前みたいな底辺冒険者がな。お蔭で俺も大分稼げたぜ」


 喜々としてジラさんは笑う。嘘を言っている様には見えない。そんな笑い声だった。


「さて、そろそろヤバいから俺は逃げさせてもらうぜ。精々囮役を頑張ってくれや」


 遠くから大きな足音が聞こえる。僕の足を縛り終えたジラさんは、音が鳴る逆方向に去って行った。

 ジラさんが去った後、僕の下にモンスターが来る。地面に寝かされた僕は、視線を上げてモンスターの姿を見た。

 

 全身が蔓に覆われた人型のモンスターだ。フェイルさんが言っていたグラプだろう。教えてくれた通りの特徴だったが、実際に目にしてからその姿に圧倒された。

 まず身体が大きい。事前にも聞いていたが想像以上だった。せいぜいグロベア程度だと思っていたが、その倍はある。いや、見上げているせいで正確な高さが分からないため、もしかしたらもっと大きいかもしれない。

 そして顔。蔓に覆われているが、その隙間からは赤く光る眼が見える。僕を見下ろすその眼がとても威圧的に感じ、グロベアと対面したとき以上の恐怖を感じた。


『ジュルルルルルル……』


 グラプが変な声を発している。グラプの生態については教えてもらったこと以外は知らない。だけどその声に怒気が含まれていることは感じ取れた。

 ここはグラプの寝床であり植生場。大事な住処を荒らされたと思って怒ってるんだ。


 グラプは僕に手を伸ばす。その動作は鈍かったが、手足を縛られた僕にはどうにもできない。

 いや、縛られてなくても同じだっただろう。


「はは……」


 乾いた笑い声が出ていた。


「やっぱり、思ってた通りじゃないか」

 

 生きる気力が失せていた。

 散々な目に遭ってきた。過酷な日々を送ってきた。憂鬱な毎日を過ごしてきた。悪いことしか起きなかった。それでも前向きにいようとしたのにこの始末だ。悲惨過ぎて笑ってしまう。

 

 冒険者になったことで、何でこれからは良いことが起きると思っていたんだ。全くもって滑稽な話だ。

 所詮、僕の人生なんてこんなものだ。生まれたときから人生は決まっていて、変えることなんてできやしない。良い人生を選ぶ選択肢すらありゃしない。奇蹟が起きてここから助かっても、碌なことなんて無いだろう。


 だったらこんなクソみたいな人生は、ここで終わらせよう。

 

 僕は動かずにじっとした。このまま死んで楽になろう。後悔なんて無い――

 そんな風に思っていたが、1つだけ心残りがあったことを思い出した。


「やっぱり、先に謝ってれば良かったな……」


 ミストの姿が頭に浮かんでいた。

 結局、彼女に謝ることは出来なかった。ただ謝罪するという簡単な行為を、後回しにしてしまった。

 たったそれだけの事を出来ていれば、後悔なく死ねたのにな……。

 

 あまりにも心残りだった。その思いが強いせいか、目の前にミストがいるように思えた。彼女の背姿が目の前にある。幻覚が現れるなんて、どれほど後悔していたんだ。滑稽な現象に僕は自嘲した。

 

 だがそれは、幻ではなかった。

 ミストの幻が、両手の剣でグラプの手を切り刻んでいたからだ。


『ジャラァアアアア!』


 グラプが伸ばしていた右手を引っ込める。幻に斬られたグラプの姿に不思議がっていると、彼女が僕に振り向いた。


「大丈夫?」


 幻ではない、本物の彼女がそこにいた。


「な、なんで、ここに……」


 ありえない筈の光景だった。

 ここは上級ダンジョンだ。ミストがここに来て僕を助けてくれるなんて、考えられない。


「ヴィックが怪しそうな人と一緒だったから、ばれないようについて来たの。けどモンスターの相手してたら見失っちゃって……」


 ミストは話しながら、僕を縛っていた縄を剣で斬る。あっという間に僕を縛っていた縄が斬られ、自由に動けるようになる。

 その直後に、グラプが僕らをめがけて殴りかかった。縄を斬り終えて安心するミストは、グラプの攻撃に気づいていない。僕はすぐに立ち上がり、ミストを引っ張って攻撃を避けた。


「ありがと」

「それは僕のセリフだよ」


 グラプから距離を取ると、彼女は「あのあと、いろいろと考えたの」と話し始める。

 

「ヴィックの言ったことを思い出して、傷ついてたのなら謝ろうと思ったの。また一緒に冒険したかったから、仲直りしたかった。だからすっごく考えたんだけど……」

 

 申し訳なさそうに喋っていたが、次の言葉ははっきりと断言した。


「結論。私は全く悪くない」

 

 歯に衣着せぬ言葉だった。あまりにも遠慮のない言葉に、僕は戸惑った。

 

「正直すぎない? まぁ、間違ってないけど……」

「でしょ。ヴィックには悪いけど、これが私の普通なの。私に非は無いもん。ヴィックのことをいちいち気にして冒険なんてできないよ」

「これだから天才は……」

「そんなつもりは全くないって。……けど」

 

 ミストの声に困惑が混じる。

 

「このままは嫌なの。何もしないで放っておきたくない。ヴィックの事を忘れて冒険に行きたくない。初めて一緒に冒険した友達だから、これからも一緒に冒険もしたいの。だから……何とかしたい」

「……どうやって?」

「それは分かんない。けどもしヴィックも同じ気持ちなら、一緒に考えて欲しいの。私達、お互いの事を知らなさすぎるから。話し合えばきっと良い答えが見つかるよ。……多分」

 

 最後の弱々しい言葉に、思わずくすりと笑ってしまった。

 

「まぁ……そうかもしれないね」

 

 ミストの言葉に同意し、同時に悟った。やはり、分かり合うのは難しいと。

 逃げた僕とは違い、ミストは真剣に考え、不格好ながらも自分なりの答えを出した。問題を先送りした僕とは違い、彼女はすぐに動いていた。その強さは、僕には持ち合わせていないものだ。

 

 天才と凡人。強者と弱者。恵まれた者と恵まれていない者。

 その壁は厚くて大きい。理解できないことが、譲り合えないことがきっとある。それがある限り、僕は劣等感を抱き続けるだろう。

 

 だけど、そんなのは後回しだ。

 僕はミストに酷いことを言った。普通なら僕を見捨てても良いはずの行いをした。

 だというのに、彼女は僕を助けてくれた。生きることを諦めていた僕を、彼女は救ってくれた。

 それがとても嬉しかった。

 僕のことを真剣に思ってくれる人がいた。それを知れたことが、どれだけ僕に希望を与えてくれただろう。

 

 だったら、せっかく助けてもらったこの命で望みを叶えよう。

 彼女に謝罪し、彼女と話し合う。そのために使おう。

 最後の最後に、神様は僕に望みを叶えるチャンスをくれたのかもしれない。

 だとしたら、死ぬのにはまだ早すぎる。

 

「じゃあ、まずはここから逃げよう」

「さんせーい」

 

 ミストが気の抜けた返事をした直後、グラプの拳が飛んでくる。僕とミストは後ろに避ける。グラプの攻撃を二度見たが、どちらも遅い。見てから避けられる程度の速さだ。

 問題は、どうやって逃げるかだ。

 

 僕が通ってきた道はグラプが入れない程の狭さだ。あの道に戻れば助かるが、生憎、その方向はグラプの向こう側だ。戻るにはグラプの横を通って行く必要がある。グラプの挙動は鈍いが、五メートル近くある巨体だ。リーチの長さを甘く見ていたら捕まってしまう。

 少々危ういが、賭けに出るしかない。

 

「十分に引きつけてから避けよう。攻撃直後なら隙は大きいはずだ」

「りょーかい」

 

 悪くない案だと思った。さっきと同じ攻撃なら、逃げるまでの余裕は充分ある。回避後に足元を抜けていけば、グラプが反転する頃にはもう、はるか遠くに逃げられるはずだ。

 

 再びグラプが拳を振るう。速度の遅い攻撃だ。僕とミストはギリギリまで引きつけてからそれを避ける。直後、僕達は走り出し、グラプの足元を通り去った。

 最速で無駄のない動きだった。これなら逃げ切れる。


「よしっ。これで――」


 大丈夫だ。そう言おうとしてミストの方に向く。だがそこに、彼女の姿は無かった。

 動揺して、僕は足を止める。どこに行った。僕より先に進んだのか? けど前には姿が無い。じゃあ方角を間違えたのか? けど近くには居ない。

 

 嫌な予感がして後ろを振り向く。グラプの足元で、転んでいるミストの姿があった。


「何をして――」

 

 ミストの様子に違和感があった。彼女は立ち上がろうとする前に、足で何かを振り払おうとしている。

 異常を察して、急いでミストの下に駆け寄った。近づくと、彼女がただ転んでいたのではないことを知る。足に蔓が巻き付いていた。グラプが逃げようとしたミストを、蔓を使って捕まえたんだ。


「蔓を使って捕まえようとしてくるから、結構厄介なモンスターだよ」

 

 フェイルさんの言葉が脳裏に甦る。嘘ばかりを吐いていたかと思えば、真実も言っていた。その事実が腹立たしかった。

 

 ミストが剣で蔓を切っているのを見て、僕もそれを手伝った。蔓は太いがそれほど硬くない。ミストの足を傷つけないよう慎重に、同時に素早く蔓を切る。

 不幸中の幸い、絡みついていた蔓の数は多くなかった。二人掛かりだったこともあり、あっという間にすべての蔓を切り離せた。

 

 その直後、ミストが僕の身体を強く押した。予想以上の衝撃で、2メートルほど飛ばされた。

 いきなりのことで混乱したが、さっきまで僕が居た場所を見て理解する。そこにはグラプの身体から伸びた新たな蔓があった。ミストが突き飛ばしてくれなかったら、今度は僕が捕まっていただろう。

 だけど新たな蔓は僕を捕まえ損ねた後、すぐにまたミストに絡みついた。しかも腕を縛ったことで、ミストは剣を地面に落としてしまった。

 

「ミスト!」

 

 立ち上がって彼女の下に駆け寄ろうとした。だけどグラプが僕より早くミストに拳を向けていた。

 間に合わない――

 

「逃げて!」

 

 ミストが叫んだ直後だった。彼女は碌に防御もできずにグラプの拳をくらった。

 殴打の衝撃は凄まじく、ミストを縛っていた蔓が千切れるほどだった。殴られた彼女は吹き飛びながら地面を転がり、壁にぶつかってようやく止まる。だが止まった後、彼女は起き上がることなく、その場に倒れ伏した。

 

 全く動く気配が無い。にもかかわらず、グラプはミストの方に歩き出す。まだ動ける僕を後回しにし、先にミストに止めを刺そうとしているのだ。

 僕はすぐさまミストの下に向かう。足は僕の方が早く、先に辿り着けた。

 

「ミスト、起きて! ミスト!」

 

 声を掛けるが、ミストは全く反応しない。幸いにも息はあるが、頭を強く打ったせいか意識を失っている。

 起こすのを諦めて、ミストを背負って逃げることにした。だが背負った時には、すでにグラプは僕らの前に立ち塞がっている。しかも逃げ道を無くすように、蔓をめい一杯広く展開していた。

 

 後ろは壁、前にはグラプ、左右には蔓。八方塞がりだった。

 生き残る道は、目の前にいるグラプを倒すことだけ。だがそれは、一番無茶な選択肢だ。

 剣はミストに突き飛ばされたときに落としてしまった。いや、仮に持っていてとしても、これほどの巨体を相手にして勝てる気がしない。

 

 もはや選択肢は、何もできずに死ぬことしか残っていなかった。

 

「いやだ……」

 

 その選択肢を、選びたくはなかった。

 さっきまでなら、僕一人だけだったら諦めていたかもしれない。

 今、僕の背中にはミストがいる。僕が死ねば彼女も死ぬ。彼女のためにも、死にたくなかった。

 

 だが現実は非常だった。

 僕の思いを歯牙にもかけず、グラプは殴り掛かってきた。相変わらずの遅さだが、逃げ道が無いという重圧が僕の足を止めていた。

 

 死にたくない。けど生き延びる術が思いつかない。

 絶望が目の前にまで迫ってくる。

 

「誰か……」

 

 ミストが来てくれたように、誰かが助けてくれることを願うしかなかった。

 

「誰か……助けてください!」

 

 最高にみじめだと思った。

 だけどみじめでもいいから、助かりたかった。ミストを助けたかった。

 

 恐くなって眼を閉じた瞬間、大きな音が目の前で弾けた。

 

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