第11話 チャンス

「チャンスって、どういうことですか?」


 予想だにもしなかった言葉に、僕は戸惑っていた。

 見ず知らずの他人から出された誘いの言葉。それはとても胡散臭く思える。この時点で詐欺師だということを疑っていた。だがその一方で、フェイルさんの次の言葉を待っている僕がいた。

 

 既に陽が水平線の向こうに隠れている。この時間帯では仕事を終えた人々が帰路についたり、街の酒場や食事処が賑わっていて人通りが多い。場所によっては人の多さで歩きづらかったり、会話が聞こえないほどうるさかったりする。

 しかし今は、その鬱陶しさを感じなかった。


 道の真ん中に突っ立っているフェイルさんを皆が避けていく。大声を出していないのに、穏やかな声が僕の胸の奥にまで届いてくる。まるで空間が切り取られたかのように、誰も僕達に気づいていないようだった。

 今まで感じたことのない空気感に、僕は少なからず高揚していたのだ。


「言葉通りの意味さ。君の現状を変えられる、大きな切っ掛けということだよ」


 フェイルさんは相変わらず笑顔で話し続ける。その言葉に、僕は耳を傾けた。


「冒険者である君に、僕の仕事を手伝ってほしいんだよ。それを成し遂げれば、君は変われるはずだ」

「変われるって……何を根拠に――」

「まず、金銭面で余裕が持てる。仕事の報酬は2ゴラドだ」

「……え?」


 あまりの報酬の多さに、間抜けな声が出ていた。

 2ゴラドは、上級ダンジョン向けの依頼じゃないと手に入らない額だ。それほどの報酬が得られれば、欲しかった装備も揃えることができる上に、1ヶ月分の衣食住の心配はなくなるだろう。


 予想外の金額に目が眩みそうになる。だけど直後に警戒心が強まった。


「そんな依頼をなんで僕に任せようとするんですか?」


 僕は冒険者になって1ヶ月の新人だ。しかも大して実力があるわけでも無い。そんな僕にそれほど高額な依頼を出すのは、どう考えても不可解だった。


「これは君に必要なことだからさ」

「必要なこと?」

「そうだ。君には欠けているものがいくつもある。それを補うためにこの依頼を用意した」


 僕に無いもの。そんなものはいくらでもある。それがたった1つの依頼をこなすだけで補えるなんて、到底思えない。


「そんなの……できるわけないでしょ。高額とはいえ、その依頼だけで解決なんて……」

「できるさ。何故ならこれを達成できれば、君はあるものを手にすることが出来る。それが君の欠点を無くしてくれる力になるのさ」

「あるもの?」

「勇気さ」


 フェイルさんは拳を握る。


「力不足も、無教養も、不人望も、勇気を持てば解決できる。それを得るためにこの依頼が君に必要なんだ。いや、依頼というより、君にとってはこれは試練と言い換えても良いだろう」

「試練……」

「そう、試練だ。人は試練を超えてこそ強くなる。成長できる。生まれ変われる。その試練を僕が君に与えよう」


 彼の言葉を、僕は聞き入っていた。言われてみれば、僕は自分の意思で何かを乗り越えたことは無い。ただ流されるままに流されてきただけ。そこに僕の意思は無く、それゆえに僕自身が成長することはなかった。人任せの人生だったのなら当然かもしれない。


 だけど、このままでいいのか?


「迷うのも無理はない。高額な依頼にはそれ相応の危険性が孕んでいる。大怪我を負う事はもちろん、死ぬことだって有り得るんだからね」

「……けど」

「そうだね。君が懸念している通りだ。楽な試練は試練なんて言わないね。それに壁が高ければ高いほど、それを乗り越えれば君は成長できる。君が望むものを手に入れられるんだ」


 今の自分が嫌いだった。弱くて、馬鹿で、仲間がいない自分の事が大嫌いだった。非力なせいで劣等感を抱き、ミストに八つ当たりをしてしまった。

 鬱憤を晴らしても、すぐに別の苛立ちが生まれる。いずれはそれが肥大化して、また誰かに吐き出してしまうかもしれない。


 悪循環の先にあるものは、他人の事を考えない自分勝手な最低人間だ。そんな人間になりたくない。

 それを抜け出すには変わる必要がある。僕自身が成長しなきゃ終わらないのだ。


 僕は唾を飲み込んで、フェイルさんに尋ねた。


「なんで僕に、こんなことをしてくれるんですか?」


 一番気になっていることだった。

 フェイルさんとは初対面だ。見たことも聞いたこともない人物が、僕を助けようとしている。高額な報酬金の依頼を用意して僕の成長を促してくれるなんて、とても虫のいい話だ。

 この状況に作為的な意図を察していた。何か別に狙いがあるのか。それが気掛かりだった。


「今日、僕は君を見た。冒険者ギルドで、君が少女を罵倒しているときだ」


 フェイルさんは笑みを消して、悲しそうな顔を見せた。

 あのときギルドには、少人数だったが人がいた。職員と食堂に残っていた冒険者。フェイルさんはその中に居たらしい。


 急にバツが悪くなった。あの痴態を見られていたなんて……。


「あのときの君はとてもかっこ悪かった。自分が出来ないことを出来る彼女に嫉妬して、鬱憤をぶつけていた。身勝手もいいところだ。だけどね……」


 フェイルさんが目に涙を浮かべた。


「けどね、今まで君が酷い待遇で扱われていたと聞いたら、放って置けなくなったんだよ。親が死に、ひどい扱いを受け、それでも一人で頑張った。だけど冒険者になってすぐの女の子が遥か格上のモンスターを討伐し、あっという間に君を置いて行った。僕なら嫉妬で狂ってしまいそうだよ」


 大げさに身振り手振りを交えながら、フェイルさんは喋る。普段の僕なら恥ずかしくて、目を逸らしてしまいそうな程の大胆な挙動だ。

 だけど僕は、彼から目を離せなかった。


「けど君は耐えて耐えて、耐えてきた。一人で努力してきた。だというのに、世間は君を見てくれない。恵んでくれない。そんなのって、あんまりじゃないか! 君はこれからも、良いことが自分には来ないと言っていた。けど違う、逆だ! 今まで不幸だった分、君にはこれから良いことが起こるはずなんだ。いや、起きなきゃいけないんだ! そうでなきゃ、君みたいな冒険者が救われない。だから僕が、そのきっかけを作りたいんだ」


 熱の入った言葉に、僕は圧倒されていた。

 フェイルさんは真剣な表情で言っている。嘘の欠片も感じられない、誠心誠意の言葉だった。


 これほどまでの情熱を僕に注いでくれる。そんな人は他にはいなかった。


「ごめん、ちょっと熱が入り過ぎちゃったね」


 フェイルさんは手で涙を拭うと、照れながら言った。


「けどね、今回の依頼は是非受けて欲しいと思ってる。良い経験になるし、達成できれば自信もつく。報酬金で良い装備を整えれば、次の依頼にも役立てる。良いことづくめだと思うんだ。それに、君はミストちゃんに謝りたいんだろ?」


 心臓が大きく鼓動する。どうして知っているんだ? いや、僕の様子から察したのかもしれない。


「謝るのは良い。けど形ばかりの謝罪では何も変わらないよ。君が変わらなければまた同じことを繰り返す。劣等感を抱いて、彼女から距離を取って、今後彼女と関わらない未来が僕には見える」

「そんなことは……」


 「ない」とは言い切れなかった。脳裏にミストの姿が浮かぶと否定しきれなかった。たしかに、謝るだけでは意味が無いかもしれない。


「いいかい、ヴィック君。冒険者に必要なことは、才能でも努力でも経験でもない。勇気だ。僕がチャンスを与えても、変わろうする勇気が無ければ何も始まらない。だから今回の依頼を受けて勇気を身に付ければいい。そうすれば君は、背筋を伸ばして前に進める」


 フェイルさんはそっと僕の前に手を差し伸べる。


「君が前に進むために、僕に手助けをさせてくれないかい?」


 それは優しい声だった。

 心にじんと伝わる、傷を癒すような暖かい音だった。こんな風に僕の事を思ってくれた人は、今まで居なかった。

 この人は僕の事を分かってくれる。理解してくれる。


 だから僕は、差し出された手を力強く握った。

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