第7話 巨熊

 転んだ拍子に、大量の鉱石が転がる音が響き渡った。リュックに入っていた鉱石が出てきて、地面に倒れた僕の後頭部に何度も当たった。鉱石の当たる痛みが何度も伝わってきたが、そんな事はどうでもいい。今は大きな音を立てる方が大問題である。

 僕が転んだだけなら大きな音を立てずに済んだかもしれない。だが不運にもリュックの口がちゃんと閉まっていなかったようだった。

 転んだ僕を皆が唖然とした表情で見ていた。穴があったら入りたい気持ちになった。


 だがそんなことを考える余裕は無かった。


 鉱石が転がる音が止むと、重量感のある足音が聞こえてくる。しかもさっきよりも速い。

 グロベアが僕達の存在を確信して向かってきていた。


「走れ!」


 エイトさんが叫ぶと同時に、皆が一斉に走り出した。僕もすぐに起き上がって走り始めた。

 その気配を察したのか、グロベアの足音も速くなった。


「やっぱり追ってきたか! まずいぞチナト!」

「あぁ! 多分奴は腹を空かしている。五階層のモンスターがいないのもあいつのせいだ」

「あいつが全部食べたの?!」

「さすがに全部じゃないはずだ。だが派手に暴れていたことは確かだ。他のモンスターは隠れているだけかもしれない」


 最初にグロベアを見た時、口元と前足が黒ずんでいた。あれは他のモンスターを食べたときに付いた血の色だ。


「腹を空かせたあいつがやばいのは、さっき言ったとおりだ。捕まえるまで追って来るぞ」


 そんな予感はしていた。さっきからグロベアは足を緩める気は全くなさそうだ。むしろさっきより距離を詰められている気がする。


 だが別に可笑しい話ではない。こっちはさっきまで採掘や荷物運びを長時間していた。そのせいで体力が落ちているのもあるし、持っている鉱石のせいで足が重くなっているのもある。リュックを捨てればもう少し早くなるが、依頼主の許可無く捨てるのは躊躇われた。


「ヴィック、あと少しだけ荷物を運んでくれ。僕に考えがある」


 チナトさんには何か策があるようだった。それを信じて走り続けていると、四階層と繋がる上り坂に着いた。重い荷物を持ったまま上るのはきつかったが、グロベアに追いつかれる前に上り切る。

 背後を振り返ると、グロベアはまだ坂を上っている最中だった。それを見たチナトさんは僕のリュックを取ると、口の開いたリュックを両手で担ぐ。そしてリュックを持ったまま、中に残っていた鉱石の全てを吐き出させるようにグロベアに向かって放出する。


「これで足止めが出来れば……」


 転んでしまったせいでリュックには半分ほどしか鉱石が残っていなかった。しかし、ひとつひとつの鉱石は大の大人の拳くらいの大きさがある。大量の鉱石が上から転がってくる光景は恐ろしいはずだ。驚いて追ってくる気を失せてくれるかもしれない。

 

 いくつかの鉱石は転がった拍子でグロベアから逸れたが、半数以上はグロベアに向かっていく。にもかかわらず、グロベアは足を止めることなく進み続ける。眼が悪くて鉱石を視認できないからか、鉱石に当たっても問題ないからか。その理由はすぐに分かった。

 グロベアに鉱石が衝突する。しかしグロベアは意に介さず、速度を落とさないまま坂を登り続けた。


「くそっ! バケモンかよ!」


 エイトさんが悪態を付きながら走り始める。さっきよりまずい状態になった。

 鉱石を転がしたときに、皆が足を止めて結果を見守っていた。一方でグロベアは全く足を止めずに走り続けた。その結果、僕達とグロベアの距離は縮まってしまった。

 しかも四階層にはモンスターが残っている。途中でモンスターと遭遇して足止めされたら追いつかれてしまう。

 さらにまずいことに、三階層目と四階層目を繋げる道は梯子で繋がっている。グロベアとの距離が離れていればそこで逃げ切ることができるが、今以上に距離が縮まると梯子を登っている最中に襲われる可能性が高い。


 何とかして、距離を稼ぐ必要があった。荷を下ろして懸命に走るものの、疲労のせいで速度が落ちている気がする。一瞬だけ後ろを振り向くと、さらに距離が縮まっているのが見えた。


「避けろ!」


 エイトさんの声が響く。後ろに向けていた視線を前に戻すと、前方を走っていた皆は走りながら頭を下げていた。

 前方から手と羽が一体化した黒色のモンスターが飛んで来る。デバットと呼ばれる、ダンジョンの至る場所に生息するモンスターだ。

 急な襲来に反応できず、僕の顔にデバットがぶつかる。衝突したせいでバランスを崩してしまい、また転んでしまった。

 

 転倒の痛みを感じる前に、地面から大きな振動を感じ取る。すぐに起き上がるが、グロベアとの距離はもう10メートルもない。今から起き上がって走り出したとしても、グロベアから逃げ切れる自信が無い。


 生まれて初めて目の当たりにした死の恐怖に、僕は動けなくなった。


「伏せて!」


 死を覚悟した直後、ミストの声が響いた。同時に、僕とグロベアの間に鉱石が投げ込まれる。ミストのリュックに入っていた鉱石だ。

 鉱石で足止めする気なのだろうが、おそらく無駄だ。さっきと同じように無視される。それをミストも知っているはずだ。案の定、グロベアは躊躇せずに突進している。


 違ったのは同時にミストも前に出たというところだ。


 ミストは僕の横を通り抜けながら腰に佩いていた剣を抜いて、跳んでいるグロベアに向かう。

 そしてグロベアと交差する直前、ミストは左に避けながら目元を右の剣で切り裂いていた。


『ギャウン!』


 人のものとは思えない声が聞こえた。獣が嫌がったときに出すものだ。グロベアは目元を切られたことで立ち止まっていた。


「おい、早く立て」


 後ろからエイトさんに声を掛けられる。エイトさんとチナトさんは武器を持ち、戦いに備えている。僕もすぐに立ち上がって剣を抜いた。

 

「さて、覚悟を決めるぞ」

「分かってるよ。ミスト、十分だ。早く下がるんだ」


 視線をグロベアの方に戻すと、グロベアの前にはミストが立ちはだかっていた。

 僕と同じ新人が、今日冒険者になったばかりの少女が、初めてダンジョンに入った子が、ベテランすら逃げるほどの凶悪なモンスターに立ち向かっている。


 ミストはチナトさんの指示に従わず、その場から動かない。グロベアを前にして怖じ気づくことなく武器を構えている。

 怖くないのか? 恐ろしくないのか? 殺されると思わないのか? 脳裏に疑問を浮かばせる僕をよそに、彼女はじっとグロベアを見据えている。グロベアもミストから目を離さない。まるで決闘が始まるかのような雰囲気だった。


 二者の間には、互いにしか通じない空気があったのだろう。僕には分からない何かを合図にして、双方が同時に動き出す。

 グロベアは少し身体を起こすと、前傾気味でミストに接近し、太い右前脚を振り下ろす。ミストはそれを横に避けず、むしろ突っ込んでいく。当たるかと思ったが、ミストはグロベアの攻撃を下に避けていた。低く前に跳び、前転しながらグロベアの右後ろに回った。その途端、グロベアの体勢が崩れる。前脚を地につけ、頭が低い位置に降りる。よく見ると、ミストが転んで抜けた側の足に傷がついていた。避けたと同時に攻撃していたんだ。

 ミストは体勢が低くなったグロベアの背中に乗る。グロベアは振り落とそうと横に転ぶが、そのときにはミストは上に跳んでいた。ミストは落下中に双剣を逆手に持ち替えて、切っ先を下に向ける。そしてグロベアの背中に降りたと同時に、双剣を首に刺した。


『ウゴアァア!』

 

 グロベアの悲鳴が上がる。後ろ脚で立ち上がってミストを振り落とすが、落とされたミストはすぐに双剣を順手に持ち替えた。グロベアは振り向きざまに右前脚を振り下ろしたが、彼女はそれを易々と避けて懐に潜り、双剣をグロベアの腹に振るった。

 横方向の傷を2つ、再び振るって4つ付けると、止めと言わんばかりに双剣を突き刺した。それが致命傷となったのだろう、グロベアは前のめりに倒れて動かなくなった。


「ふー……」


 ミストが長い息を吐く。その音で我に返ったのか、エイトさんは「マジかよ」と感嘆し、チナトさんは信じられないと言いたそうな顔を見せた。

 僕は彼らの反応を見てようやく、目の前の事実を認識した。

 

 彼女が、とんでもないことをしでかしたのだと。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る