第51話 選別──魂の境界

──王都崩落。

 地上に穿たれた巨大な洞は、底知れぬ闇へと続いていた。そこは王都の真下に築かれた“冥府反転層”。

 生者と死者、魂と虚無の境を侵す黒い脈動が、地中から世界へと滲み出し始めていた。


 王国軍の抵抗はほぼ壊滅。

 最奥へ続く昇降路を焼け焦げたまなざしで見下ろしながら、蓮は右腕に絡む黒い紋章を押さえ込んだ。


 ──遅い。

 脈は、彼自身の鼓動を上回る速さで脳髄を侵す。


 無数の声が囁く。


『喰エ。喰ラエ。喰ライ尽クセ。』


 蓮は頭を振る。

 意識が、薄い。


 背後で足音。

 ミリアが血に濡れた杖を抱え、蓮の影に寄り添う。


「……だめ、もっと深く侵食されてる。蓮、このままじゃ──」


 蓮は笑った。


「わかってるさ。今さら止まれねぇ」


 闇の脈動が腕から肩、胸へ。

 生者の色が、ひとつずつ奪われていく。


 ──彼はもう、人ではない。



 最奥。


 王国の核──魂炉(ソウル・クルーシブル)。

 冥府の裂け目から溢れる死者の力を、国家のために循環・精製する巨大装置。


 その中心に立つ男──

 黒髪の青年、ルシアン。


 笑う。


「来たね、蓮。いや……冥王の胚(はい)」


 ミリアが震えた。


「……胚?」


 ルシアンは軽く杖を振り、魂炉に浮かぶ無数の“子供の魂”を示す。

 そのひとつひとつが、黒く、歪んだまま蠢いている。


「ミリア。君は“鍵”だ。

 冥府を開き、王国を喰わせるために生まれた娘。

 蓮はその“器”。

 王国は、最初から冥王の到来を望んでいたのさ」


 ミリアの表情が凍る。


「私が……開いた……?」


「そう。君の祈りが、魂を呼び、冥王を育てた。

 ほら──見てごらん」


 振り返る。


 蓮の腕が裂け、黒い翼めいたものが生え始めていた。


 骨がねじ切れ、灰が舞う。


『ミリア……ミリア……どこだ。

 おまえの魂……味を……覚えた……』


「ダメッ! 蓮──!」


 ミリアが駆け寄る。

 しかし、その足をルシアンが杖の一振りで止める。


 魂炉が吼えた。


「さあ、選べ──ミリア。

 蓮を救うか、世界を救うか」


 嘲り。

 それは、あまりにも残酷な選択。



 蓮は目を開く。

 焦点は歪み、視界は黒に染まる。


 身体の奥。

 膨張する“冥王の魂”。


 理性は細い糸ひとつ。


『喰エ……全テヲ……喰ラエ……』


 蓮は歯を食いしばる。


「ミリア……俺は……」


 血の涙が頬を流れる。


「──世界なんてどうでもいい。

 おまえを、守りたかった」


 次の瞬間、背から黒い羽が咲いた。

 天井を突き破る勢いで広がる。


 魂圧で空間が砕ける。


冥王胎動・蓮 vs ルシアン(魂炉制御)


 ルシアンが魂炉と同調し、無数の死者の亡霊を放つ。


 蓮は咆哮し、影を振るう。

 触れた亡霊が次々と霧散し、魂の残滓が蓮の体へ吸収される。


『喰ラウ。喰ラウ。喰ラウ──ッ!』


 蓮は加速。

 影の剣を形成し、ルシアンへ切りかかる。


 金属ではなく、魂と魂が衝突する音。

 魂炉が悲鳴を上げる。


 ルシアンは笑い続ける。


「いいぞ──もっと、堕ちろ!」


 ミリアが震えながら叫ぶ。


「蓮!! 戻って──!」



 その声だけが、

 蓮の“最後”の理性を繋ぎ止めていた。


『……ミリア』


 影が霧散。

 蓮は膝をつき、胸を押さえる。


 ──が。


「遅いよ、ミリア」


 ルシアンの掌が蓮の胸を貫いた。


 魂を抉り取る光。

 蓮の目が見開かれる。


『ァ──ァァァァァ!!』


 黒い魂が噴出し、天へ。

 影が王都全域を覆っていく。



 ルシアンは囁く。


「ミリア。君が選ぶのは──

 蓮の魂を、刺し貫き解放するか。

 あるいは、蓮と共に冥王として世界を喰らうか」


 杖がミリアの足元に転がる。


 選べ、と。

 迫る。


 ミリアは震える指で杖を拾った。


 涙は、止まらない。


「……蓮」


 蓮はもう、かろうじて人の形を保つだけ。


 その目は、涙の記憶を探している。


「……おれは……

 おまえが、笑っていれば……

 それだけ、で……」


 ミリアは嗚咽した。


「ごめん……

 こんな世界で……

 あなたを好きになって……」


 杖を──

 彼の胸へ向ける。


「──大好きだった」


 光が、世界を裂いた。


世界、崩落

冥王、顕現

王国──滅


──物語は、次の“世界”へ。

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