末
末・前
それら長大な山々の連続体は、東側に津市を含めた伊勢平野を抱え、西側には奈良の
そして、この並び聳えたつ山地が、中央構造線と交差している。
2009年、十二月三十一日木曜日。午後一時をすこし回ったころ。
S山脈の最高峰たる
四人はローテーブルを囲んでいる。古いホテル特有の悠々としたソファ席だ。乙女一人だけが電動車いすの上に座している。足元は濃い黄色のひざ掛けに覆われており、その奥にある足元を隠している。
全員身形は大晦日に相応しく、温かいものに包まれている。三雲も珍しく鑑識の制服ではなく私服を纏っており、ダークチェリーカラーのロングコートは彼の白すぎる肌を引き立て、その常人らしからぬ印象を深める役割を果たしていた。
「じゃあ、乙女さんは来年から
コーヒーカップを手にして聞く三雲に、乙女はからりとした笑顔を浮かべつつ「はい」と頷いた。彼女の手元にあるのは湯気を立てた柚子茶である。
「しばらくは、星ちゃんのところでお世話になろうかと。そんで、色々術式のこととか教わろと思ってます」
乙女の隣で星が小首を傾げ微笑む。今日も彼女の肩には、彼女自身の本体である白い虎が顔を乗せている。
「あたしも手伝ってくれる手があると助かるから」
乙女の手が伸び、白い虎の喉元をなでた。ぐるぐると機嫌が良さそうに喉を鳴らす。
「脚以外やったらなんぼでも出したれるしな」
「そこはさすがに期待してないわ」
少女二人、顔を見合わせくすくすと笑う。なかなかのブラックジョークに口元をわずかに引きつらせるのは三雲の隣の庚午だ。こちらは黒いダウンジャケットを羽織っている。ジーンズ姿から今日の彼が非番であることが伺われた。
庚午の目が、ついと窓の外へ向く。ちらほらと降る細やかな雪は、天を覆う白く分厚い雲から注がれるものだ。自然庚午のうちに寐厨で見た天の情景がよみがえる。
「降り出しましたね。庚午さん、そろそろ行きましょうか」
三雲にうながされて、「ああ、はい」と庚午は首肯する。
男ふたりが立ち上がったのに合わせて、女性ふたりも席を立つ。乙女のために室内風呂がある個室をとってあるとのこと。乙女の車椅子を押す星と、無邪気な笑顔で手をふる乙女に手を振り返して、三雲と庚午はホテルのロビーを後にした。
ホテルを出て左手へ伸びる傾斜を昇れば、すぐ目の前に御在所ロープウェーの乗り場が見えてくる。雪の薄く降りた道を滑らないよう、男ふたりは無言で進んだ。
ロープウェーの前には思いのほか列ができている。頭に粉雪を乗せつつ黙って並び列が動くのを待つ。庚午は自分の左隣に立つ三雲の頭頂を見下ろした。
そもそも上背のない三雲のことだが、出会った当初はもう少し肩幅もがっちりとしており、全体的には筋肉質だった印象がある。それが今ではどうだろうか。全体の肉付きそのものが格段に薄くなっているのだ。単純に痩せたというようなものではない。明らかに骨格自体が滑らかなカーブを描いており、それに伴って身体の線が変質している。
無意識のうちに庚午の眉間に皺がよる。
「どうしました」
心持ち高く聞こえる三雲の声にはっとすれば、上目遣いでこちらを見上げる三雲の目とかち合う。
「溜息なんか吐いて」
「吐いてましたか」
目元を細めて、三雲は薄く笑む。
「ええ。寒いのなら、もうすこし側に寄りましょうか」
「――人前でそういうのは止めてください」
「人前でなければいいんですか?」
「だからそういうのは」
「冗談です」
真顔で冗談を言わないでほしい。
順番が回ってきたので、窓口で各々が料金を支払う。
「本日の下山時刻は十六時半となっております。お気をつけて行ってらっしゃいませ」
改札前でチケットを見せたあと、回転バーを押して建物の中へ入る。再びの列を廊下で並んで待ち、ふたり連れであることを確認されてから、ぐるりと回ってきたゴンドラに乗り込んだ。
「いってらっしゃいませ」
ふたりが対角の位置に腰を落ち着けるのも待たず、ゴンドラは勢いよく斜面を昇ってゆく。
「庚午さん、酔いませんか」
「大丈夫です。多分」
窓の外は、白い色で八割方が占められている。雪を被った樹々と、それから天の白い雲だ。
一方で、離れてゆく下界の多くは灰色をしている。見下ろしているとその果てに伊勢湾が姿をあらわし、やがてその向こうに名古屋港が影を見せ始めた。
庚午の口から、「ふ」と吐息が洩れた。
「――下のセンター、カモシカのポスターがめっちゃ貼ってありましたね」
庚午が小さく零すと、三雲が「そうですね」と返す。
「牛鬼とは何かについて、ふと思ったのですが」
ぼそぼそと、コートの襟と、チェックのマフラーに口元を埋めていた三雲が話し始めた。
「カモシカって、鹿じゃないんですよね」
「え、そうなんですか?」
「はい。カモシカって、牛の一種なんですよ。天然記念物として保護地域が設けられていて、S山脈系と紀伊山地にも保護地域が設定されています」
俯きがちにぼそぼそと語る三雲の頬には薄っすらとした赤みがある。
「この保護地域というのが、中央構造線ともまた重なっているのですよ」
「え、と。中央……」
「中央構造線。日本列島を関東から九州まで縦断している断層のことです。紀伊半島においては、南側、つまり外帯側に紀伊山脈があり、内帯となる北側には、高見山地と和泉山脈をもって一線が描かれていて、その狭間には和歌山平野があり、この断層は淡路を通過して四国の徳島平野にも同様に展開されています」
「え、ええと」
三雲は小さく息を吐くと、するりと立ち上がった。かつかつと踵を鳴らして庚午に近寄ると、その右隣に座り、左手で庚午の右手を取りあげた。ふわりとまた白檀が香る。
「あの」
「手のひらを、ゆるく曲げて」
「――はい」
「この三本線の真ん中、人さし指の下から、手首外側へ向けて下っている線があるでしょう」
「はい」
「これが頭脳線です。上に走っているのが感情線で、下に走っているのが生命線」
三雲の白い人差し指が、庚午の手のひらの線をなぞる。
「……はい」
「手のひら全体を紀伊半島として、頭脳線と生命線の間にあるのが紀伊山地。頭脳線と感情線の間にあるのが」
三雲の人差し指が、小指の下にとん、と置かれる。
「ここから、東へ向かって、和泉山脈、高見山地、布引山地と続き――」
三雲の人さし指が、庚午の手のひらの上を移動する。感情線と頭脳線の間を、小指側からはじまり、人さし指の付け根へと向かってゆく。
庚午の目は、伏せられた三雲の目と、その縁を彩る長い睫毛に向いている。
庚午の人さし指の付け根にたどり着くと、三雲の人差し指は、そのまま庚午の人差し指そのものの上をなぞっていった。
「その先にここ、S山脈があって、その先は伊吹山地となって日本海へと伸びています」
伏せられていた三雲の目が、ぱちりと瞬いて庚午を見上げた。
「話、聞いてますか?」
庚午は、三雲から目を逸らさなかった。
「ええ。聞いてます」
「――この一線と、中央構造線の交点こそが、畿内と以北とを隔てる壁であり、また蛇来村がある地点だったんです」
ああ、と庚午の内で納得がゆく。
「青森から南下してきた宝月と、大分から北上してきた蛇来がぶつかるわけだ」
「そうですね。――それから」
三雲の手が庚午の右手から離れた。そのままその場で三雲は脚を組む。
「話が戻りますが、カモシカの面相って、四つ目だと言われているのはご存知ですか?」
「え、目がですか?」
「毛の生え具合からそう見えるというもので、実際に四つも目があるわけではありません。ただ、牛の頭部をもつ異形という意味ですと」
「カモシカを見て想像された可能性はある、と」
三雲は「はい」とゆっくり首肯した。
「そして、カモシカは、鹿とその生息域が重複しています」
「鹿と、ですか」
三雲はマフラーの位置を直しながら小首を傾げた。ちらとその白い喉元が見え隠れする。
「カモシカは、氷河期以前に北ルートから日本列島へ入ってきたものです。一方、鹿はアメノカクという鹿の神があることが指す通り、天津神として半島ルートから渡来してきています。そして現在、九州では鹿の繁殖に押されてカモシカは絶滅の危機に瀕しています」
庚午は俯き、自身の足元を見てから、窓の外を見た。
ロープウェーの山頂駅が近付きつつあった。
「皐月のヤツが鹿やったんやとしたら、あいつが警戒してたんは、エサを取りあうなかになるカモシカやったんかもしれませんね」
「そうですね」
がこんとゴンドラが駅のなかに乗り入れる。その一瞬、ふたりの視界が暗く覆われる。
「じゃあ、菰野岩からきた神堂さんなんか、正しくハーレムを奪いにきた天敵やないですか」
灯りがさして、ふたり互いの顔を近くに見た。
係員のいる位置が扉の前に迫ってきている。ゴンドラが制止される前にふたりは立ち上がった。上背のある庚午は自然身を屈める形になり、ふたりの頭の位置は依然近付いたままだ。
三雲が目許を細めて微笑んだ。
「そうだったのかも知れませんね」
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